君の中に春を閉じ込めた。

真風呂みき

第1話 接吻の色

目を覚ますと、いつもの僕の部屋の白い天井が見える。築20年程度の家とは思えないが、右側の天井が剥がれかけている。壁に掛かった時計を見ると6時だった。そんな、いつもと変わりない景色を確認して、僕はもう一度布団を被る。 決して、もう一度寝て起きた時に僕の上に美少女がいて起こしてくれるラブコメ展開とか、ツンデレな妹が起こしに来て朝からラッキースケベがあるとか期待はしてない。ただの二度寝だ。

キイっと僕の部屋のドアが開く音がした。ちらりとそちらに視線をやると、ペットの猫、ニコがニャーと鳴いて僕の方へトコトコと歩いてくる。ニコさんは毎朝ではないが気まぐれに朝起こしに僕の部屋に来る。だいたい、お母さんが餌をあげるのを忘れているときだ。スコティッシュフォールドのまるまった耳と、まんまるの目で甘えるように僕の側へ寄ってはニャーと泣き続ける。

「ニコさん、ごはんまだなの?」

ニャーァ

はやくしろ、と訴えるかのようにすこし不満そうな鳴き声だ。

「よしよし。わかったよお嬢さん。」

僕の二度寝はものの数分で終了となった。

むくりと布団から起き上がり、僕はニコさんの横を歩く。ニコさんはうしろをトコトコ着いてくる。

僕の部屋は2階で、階段をおりる。リビングに向かうと、ニコさんは早足にフードボールの前に座って僕を切なそうに見つめる。僕は棚からキャットフードを取り出して、フードボールへ適当に入れる。

「好きなだけ食え〜」

むしゃむしゃとニコさんはごはんを食べ始めた。

飼育的には、飼い主側が食べてからペットにごはんを与えるのが良いらしいが、ウチはいつからお猫様が先にごはんだ。

ばたばたばたッ

階段を駆け下りてくる音が響く。

「仁くん、おはよう!ニコさん、おはよう!ごはん忘れちゃってたわ、ごめんなさいね。」

「おはよう母さん」

「ごめんねぇ、締切が近くて…。朝何食べる?」

母さんはボサボサの髪の毛をひとつに束ねる。いつも通りのことだ。

ちらりと時計を見ると6時20分。家を出るまであと1時間もある。

「母さん座ってて、僕が作る。」

「ママも作る!何したらいい?」

僕は冷蔵庫を開けて、朝の献立を軽く考える。

「じゃあパンを2枚、トーストして。」

ストンと、食パンとバターをぼさぼさ髪の母の両手にストンと渡す。

「……はーい」

テキパキと冷蔵庫のありものからサラダを用意する。卵を2つ取り出し、フライパンに割入れる。

カンっ

ぱか

カンっ

ぱか

片手で割って入れられるように練習したなぁと思い出す。

「仁くんさすがぁ」

母に褒められて喜ぶような歳でもないが、満更でもない。

「いでよ、カル〇ファー」

ぱちぱちぱち……ぼ!

少しふざける。

母さんはにこにこしながら僕を見つめる。

平穏な時間だ。

僕の母は、かならずごはんを一緒に食べる。どんなに忙しい時でも。父親がいなくなってから、ずっとそうしてくれてる。

「締め切りって1週間後だっけ?」

「そうそう」

水を目玉焼きの周りに入れる。

じょわああ

直ぐにフライパンにガラス蓋をして蒸発音が閉ざされる。白い蒸気が蒸気穴から吹き出している。

母さんは、トースターの中のパンが焦げないか見張るようにトースターの中を見つめている。

穏やかな朝だ。

きっと、母さんもそう思っているだろう。

僕が目玉焼きをお皿に乗せるころに、トースターも軽快な音でパンの焼き上がりを知らせ、母さんはバターをパンに乗せる。

2人で食卓に座り、いただきます、と言って食べ始める。僕はリビングの時計をちらりと見た。6時50分。

ニコさんが気がついたら足元にやって来て、おこぼれを狙っている。


「最近学校はどう?」


「いつも通りだよ、大学の推薦も決まりそう」


「余裕あるねぇ、さすが。結果いつだっけ?」


「7月下旬」


「そっかぁ。そいえば、昨日優真くんに似てる人見たわ。」


ごふっ

僕は驚いて飲もうとしていたお茶を吐き出しそうになった。


「それ本当?」


「うん、あのハーフの子だよね?目、青かったし本人かと思うくらい。うん、やっぱ似てたわー。」


「どこで?」


ニャーっとニコさんが鳴いた。

「たしか、中学校の門のとこよー。出版社の帰りに車から見たから遠目だったけど……って仁くん、時間大丈夫?」


はっとなって時計を見ると7時30分。もう家を出る時間だった。

「あ、やべ。」

僕は早々と朝食を胃にかきいれ、制服に着替えて玄関へ向かった。

「仁くん!靴下!いつも履き忘れるんだからー」

「感謝。いってきます。」

裸足で靴を履いて、僕は家のドアを開けた。

自転車にすぐさままたがって家の門を自転車をぶつけてでる。母さんに怒られると思ったけど、それどころではなかった。

その衝突音を玄関から聞こえていた母は、ニコさんを見てため息をついた。

「もう、仁くんてば!…それにしても、優真くんのことほんと好きねー。」

ニャーと、ニコさんも同意するかのように鳴いた。


僕は徒歩通学だ。遅刻しても、早く学校につきすぎてしまうため、そうそう自転車は使わない。

でも今日は違う。


僕は、平穏な、なんでもない日々を送りたい。

それが落ち着くんだ。


なのに、どうしても穏やかに居られないことが僕にはある。

優真。親友だった。

中学校の卒業式に、僕は優真にキスをされた。

理由は聞けなかった。

遠くに引っ越したと、後々同級生から聞いた。


自転車のペダルを漕ぎながら、暑い7月の日を浴びた。並木道を通り抜けると、セミが求愛の鳴き声を響かせていた。

並木道を抜けた坂道を、僕は強くハンドルを握って、立ち漕ぎをする。登りきってから、顔を上げた。僕はこの日初めて空を見た。


雲ひとつない青空だった。

あの至近距離で見た優真の青い瞳はこんな色だったなと、思い出す。

それを起点として、キスの唇のやわらかさに僕は酷く驚いたこととか、実は初キスだったとか、なんでキスしたんだ、とか。

今まで抑えていた色んな考えが僕の頭の中をよぎる。


「あーーー!」と、大声で叫びたい気持ちだった。

でも、僕はもう19歳。通勤時間のため、周りにも人は歩いている。

目玉焼きを作る時に炎の妖精を呼ぶことは、家族の前でしかできないなと思うくらいの羞恥心はある。


叫べない声を僕はぐっと喉奥にのみ飲んだ。










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君の中に春を閉じ込めた。 真風呂みき @mahuromiki

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