第二話 幻獣

「どわぁあ!」


 いきなりイーネスとヴェロニカから飛びつかれた俺は、切れかけていた身体強化術を再発動し、倒れそうになったところを寸でのところで踏ん張った。


「どうしたんだよ二人とも、急に飛びついてきて」

「良かった……無事で良かった……。アタシ、ユヅキくんが死んじゃうんじゃないかって思って……」

「わたしもだよ……。怖かった……ユヅキが、いなくなっちゃうんじゃないかって……」


 二人して涙目だ。ちょっと大げさである。


「あぁ、さっきの一際大きなレッサーファングとの戦闘の時ね」

「……うん。あの時はわたしが障壁を展開するべき状況だった……。もしあの時、ユヅキが傷を負ってしまっていたらって考えると怖くて……」

「そうね。ユヅキくんの空中からの一撃が、まさか躱されるとは思ってなくて……。ごめんなさい、あそこは遠距離から魔法を撃てるアタシが援護するべき場面だったのに……」


 イーネスとヴェロニカは、沈鬱な表情でそう言った。


「……なるほど、そういうことね。それなら気にしなくてもいいよ。狼の行動はすべて予想の範囲内だったから、切り抜けるのは難しくはなかったし」


 俺は、くっついていたイーネスとヴェロニカから離れて、そう返した。


「……ふぇ? そうだったの?」


 イーネスがポカーンとした顔でそう聞き返す。


「うん。初撃が避けられるのも、闘いにおいては一番警戒される攻撃だから想定内だし、狼が俺の攻撃を体を捻ってスレスレで避けたのも、爪と比べて確実に一撃で仕留めやすい牙で速攻反撃するためだって予想がつくし、その牙を躱しながらダメージを与える攻撃もはじき出せてたしね」


 ヴェロニカの魔法で黒焦げになったレッサーファングに突き刺さったままの剣を回収し、鞘に収めつつ戦闘中の一連の思考を話す。一緒に焦げたかと思われた剣自体は無事だった。学院から借りた武器は基本的に訓練などで壊してもいいという事になってはいるが、できるだけコイツとは長く付き合いたいと思う俺がいる。訓練用の簡素な剣ではあるがせっかく巡り合えたわけだし。


「そ、そこまで考えてたんだ、ユヅキくん……」

「まぁね。じいちゃんが言ってたんだけど、『闘いは読み合いの情報戦。いかに相手の数手先まで読めるかが勝敗を分ける一つのカギとなる』ってことなんだ。だから、戦うときは常にいろんな未来を予測して戦うようにしてるんだ」

「……その時その時の状況判断だけでなく、先の予測、か……なるほど、その考えは一理あるな」


 腕組みをしているザンが、うんうんと首を振る。


「一人でたくさんの武器も持っているし、闘いにおいては至極真っ当な正論を持っているって……ユヅキのお爺様って、何者なの?」

「じいちゃんは俺が使っている『柳刃天穿流古武術』の免許皆伝で現師範だよ。歳よりなのに滅茶苦茶強いんだよね……」


 呆れかえるほどの強さを誇るじいちゃんの皺だらけの笑顔を思い出し、少しだけ寂しくなる。


 しかし、それよりも俺はさっきの戦闘で感じた違和感を確かめるため、みんなに問いかけた。


「それはそうと、さっきの大きなレッサーファングと闘った時、何か違和感とかなかった?」

「……そういえば、なんていうか……覇気が他の魔物とは一際違ったような……」

「アタシも、それは感じてたな。あの狼の目を見たら萎縮しちゃったっていうか」

「……確かにな。あのイヌッコロは、他の奴らよりも明らかに何かが違ってたな。体の大きさだけじゃねぇ、決定的な何かが……」

「そっか、やっぱり……」


 俺が感じていた違和感は、俺だけの思い違いではなかったようだ。


 あの一回り大きなレッサーファングは、他のレッサーファングと比べて明らかに格が違った。


 自分以外の仲間が戦っている最中の、仲間を駒としか思っていないような冷めきった目。そして、半端な攻撃ではびくともしない盾持ちのザンを押すほどの威力を誇る力。俺が奴の目を抉るまで続いた舐めた目。何より、傷を負ってからの撤退までの状況判断の早さと正確さ。


 これらを鑑みるに、どう考えても今まで戦ってきた魔物とは格が違う。


「アイツ、もしかしたらここらの森の群れの、次のボス候補かもしれねぇな」


 ザンがふと、そう呟いた。


「……なるほど。そう考えると辻褄が合うかもな」

「ああ……。それに、一際ガタイの良いレッサーファングが次の群れのボスになること自体はよくある話だ。今回は運悪くそいつに出くわしちまったってわけだ」

「でもさ、ここってまだ森の入り口あたりだよ? 何でこんなところにそんな次期ボス候補がうろついてるワケ?」

「俺に聞くなよねーちゃん……流石にそこまではわからねぇ」

「も、もしかしたら……その、この森で出た赤いお化けと、なにか、関係があるのかも……」

「あ、その線は可能性としてはありえるかもね。あと、まだお化けだって決まったわけじゃないからそんなに怯えなくてもいいんじゃないかな、イーネス」

「だっ、だってぇ! ヴェロニカが学院で変なこと言うから怖くなったんだもん! そ、そういうユヅキは平気なの?」

「まぁ、そりゃ少しは怖いよ。イーネスほどじゃないけど」

「な、なにそれぇ!」


 俺たちは、そう言った憶測を広げあいながら、噂の赤い光の調査のため、森のさらに奥へと進んだ。もちろん、先程一際大きなレッサーファングに出会ったことも踏まえて、警戒を更に強くして進んでいた。


 みんなが推論を述べる中、俺も可能性としてはあり得ることを頭の中でまとめ、みんなに提示しながら歩いた。


 それから、十分くらい歩いた頃だろうか。


 それは、突然やってきた。


 視界に、前方から伸びてきた、点滅する赤い光が突き刺さった。


「うっ! なんだ!?」

「ぬぁ! 眩しい!」

「これって、噂の……」

「で、でたぁ! おおおお化けぇ!」


 イーネスが叫んだ、その直後だった。遠くで、轟音が響いた。連続するその音は、衝撃波を孕んで、俺たちに飛び込んできた。


「お前ら、オレの後ろに隠れろ!」


 ザンが咄嗟にタワーシールドを開き、地面に突き立てて構える。それ以外の三人はザンの後ろに隠れ、俺は身体強化を使いザンの背中を支え、イーネスは全員に防御力上昇のバフ魔法『アルマドゥラ』をかけつつ物理障壁魔法『フィシカリィ・ヴァレラ』をザンの盾に重ねるようにして展開し守りに徹して、衝撃で折れた木や砕けた岩、抉れた地面などの飛来物は、ヴェロニカが魔法で撃ち落とす。四人で何とか連携し、突如襲い掛かった災害に抗う。


 それから、数分が経った。数分が経って、それはやっと収まった。


「……はぁぁあ……、流石にきつかったぜ……」


 そこかしこがへこんだタワーシールドを投げ捨てるようにして手放すザン。彼の言う通り、かなりきつかった。


 その衝撃波は、本当にすさまじいものだった。元居た世界では、普通に生活していればまず体験することのないような、本当に大きなものだった。


 最前線でみんなの盾になったザンはもちろん、その最前線に立つザンを支え、一緒に激しい衝撃を受け続けた俺も、『アルマドゥラ』で味方を守りつつ『フィシカリィ・ヴァレラ』で最前線に立つザンのダメージを減らし続けたイーネスも、レッサーファング戦の際に見せた火の矢『フォーコス・フレシーカ』と、それに加えて彼女の得意魔法の一つである火球『フォーコス・パーラ』で飛来物を撃ち落し続けたヴェロニカも、みんな一様に疲弊していた。


 こんなことは初めてだった。


「なんだったんだろう、いまの」


 俺は思わずそう呟いてしまった。


「……これはアタシの、魔法使いとしての勘だけど」


 それに答えたのはヴェロニカ。彼女は、顎に指を添えて推論を提示した。


「今の衝撃は、多分上位魔法同士のぶつかり合いによるものだと思うわ」

「あ、それわたしも思った」


 ヴェロニカの勘に賛同するイーネス。


「ヴェロニカ、その話、もう少し詳しく聞いてもいい?」

「うん。さっきの衝撃波が飛んできたとき、その波に交じって魔法を使った後のマナやオドも一緒に飛んできたの。それが、アタシが使える一番大きな魔法と比べても歯が立たないほど強大かつとてつもなく練り込まれたものだったのよ。ほんの少ししか感じ取れなかったけど、その少しでもはっきりわかるほどのものだった」

「それについてはわたしも感じた。本当に大きな魔法だと分かるくらいすさまじかった……」

「でも、違和感もあって……。魔法同士がぶつかり合ったんなら普通は二種類のオドが感じられるはずなんだけど、今のは一種類しか感じられなかったのよねぇ……。イーネスはどうだった?」

「……言われてみれば確かにそうだね。うん、そう、変な感じだ。そのオド自体も、今までに感じたことのない特殊な感じがするし……」

「おいユヅキ、オレは魔法はからっきしだからよくわかんなかったけど、お前は何か感じたか?」

「いや、俺も魔法は使えるけどまだまだ未熟だからな……ヴェロニカやイーネスほどは感じ取れなかった。ただの衝撃波に流されてきたマナだという風にしか……。だとしても、なんでこの森で? ここはそこまで危険度が高くないから、学院からも訓練所として指定されてるんだよね? そんな森で何で上位魔法が……」


 俺の思考は沼にはまるばかりで、ますますわからなくなっていた。と、ここでザンが思わぬことを言い出した。


「……昔、絵本で読んだんだけどよぉ」

「え? ザンって絵本読むんだ。すっげぇ意外」

「うっせぇ! ガキん頃の話だよ! ……そんでな、この森を題材にした絵本だったんだけどよ、この森にはその大昔、幻獣がいたんだと。というか、この国自体にこういう感じの言い伝えってあったよな。なぁイーネス」

「……それは確かに、この国の言い伝えにもあることだね。この森の伝説は、『幻獣バイコーン』。普段は時空の狭間に住んでて、気まぐれに姿を現すといわれる幻獣だね。わたしも、屋敷の蔵書で読んだことがあるし、昔、お母様や爺やからもよく聞かされてた」

「あ、それなら俺もミャー先生から授業の脱線上で聞いた! ……あー、つまりその、幻獣? の仕業ってこと?」

「……あくまでその線もあるんじゃねぇかって話だ」

「でも、その幻獣のお話って、アタシらが産まれる何千年も昔の話ってことでしょ? あり得なくない?」

「確かにあり得ない話ではある……でも、もしこれが本当に幻獣の仕業なら……」


 あのすさまじい衝撃波や轟音を目の当たりにした今なら、全否定はしづらい。あれだけ大きければ、今頃学院でも騒ぎになっているかもしれない。


 俺の沼っていた思考が若干進みだしたところで、ヴェロニカが唐突に「あー!」と叫んだ。


「今の衝撃がすごすぎて忘れてたけど、衝撃が起こる前、噂の赤い光が光ったよね! ねぇ、早速調査しに行こうよ!」


 すんごいキラキラした目で訴えかけて来るヴェロニカ。だけど、俺は不安が拭えなかった。


「……なぁ、今日は止めといたほうがいいんじゃねぇか?」


 そう、俺の不安を代弁してくれたのはザンだった。


「えぇ~、なんでよぉ!」

「だってよ、ボス候補であろうさっきのレッサーファングのことでさえ気がかりなのに、今のデカい衝撃波やらねーちゃんたちが感じた上位魔法やらで先の不安がでけぇ。しかも、オレたちかなり消耗してるだろ? 今から行ってもしヤベェ魔物でもいたらどうするよ」

「そんなの、この森に限って起こりっこないでしょ」

「今までならそう言えたかもしれねぇが、今は状況が違う。普段は起こらねぇはずの事が起こっちまってんだ。早々に引き上げた方がよかぁねぇか?」

「うーん、そう言われればそうだけど……うーん、でもなぁ……」


 ヴェロニカは迷っていた。おそらく、せっかくのチャンスを前に引き返すのも悩ましいんだろう。


 引き返したいザンの気持ちもわかる。俺だってそっちよりの考えだし。でも、噂の原因が目の前に転がっているかもしれないのに、それをみすみす見逃しておくのももったいないというヴェロニカの気持ちも、理解できないわけではない。


 そこで俺は、急遽こしらえた折衷案を提案してみた。


「じゃあこうしよう。もう少し進んだところにいつも目印にしてる大木があるでしょ? とりあえずあそこまで進んでみて、今日はそれ以上は進まない。これでどうかな?」

「わたしは賛成。正直、わたしも赤い光の正体、気になるし。……ちょっと怖いけど」

「むー、ユヅキくんがそう言うならしょうがないなぁ~」

「……オレは引き上げた方がいいと思うが、ねーちゃんがどうしてもっていうんなら仕方ねぇな……。全員、絶対にオレより前に出るなよ」


 ということで話はまとまり、もう少し先まで進んでみることにした。


 先に進むにあたって、俺達はできる限り最大限の警戒をした。


 先頭には、さっきの衝撃波のせいであちこちへこんではいるがまだ機能するタワーシールドを構えたザン、そしてそのすぐ後ろはヴェロニカとイーネス。二人はすぐに魔法が使えるようにオドとマナを混ぜ合わせ魔法の素を作りつつ、開いている掌で赤色の昇煙玉を握っている。そして、最後尾が俺。俺もイーネスとヴェロニカ同様、いつでも身体強化できるように魔法の素を練りつつ剣の柄に手を当て、背後や左右の警戒をする。


 この並びで歩いた。普段の森の危険度ならやりすぎだといわれるくらいの警戒態勢だが、今はイレギュラーなことが起こってしまっているので、このくらいはしておくべきだ。


 気配を消して、歩いた。息を殺して、歩いた。足音を立てずに、歩いた。


 歩いた。歩いた。そして、目印の大木に到着した。


 結論から言おう。噂の『赤い光』の正体は、結局分からずじまいだった。そこには、確固たる証拠をもってして、噂の原因だ! と言えるものは何もなかったのである。もう少し先に進めばもしかしたらあったのかもしれないが、今となってはそれはもうわからない。


 ただ、その大木の根本には、一体の大きな黒い馬の死体が横たわっていた。そして、その亡骸を悲しそうな声を上げながら揺さぶる、一回り小さな黒い馬がいた。


「……う、嘘……だろ?」


 先頭で盾を構えていたザンが、放心したかのような声を発した。


 悲しげな鳴き声を上げるその馬は、あでやかに黒く、美しくてらつく体をしていた。


 人間のように、目から大粒の涙を零すその馬は、なびくと風に溶けてしまいそうなほど細く、繊細で、それでも一つとして絡まることのない、息を呑むほど凄艶な純白のたてがみを持っていた。


 哀傷を孕んだ息遣いをするその馬は、ひとたび大地を踏み鳴らせば、その大地は爆ぜ、抉れ、穿たれるのではないかと思わせる程に剛強な蹄をしていた。


 美しい美貌に深い愁傷を刻んだ横顔のその馬は、額に凶悪で、邪悪で、最悪で、だけど、どこか秀麗で蠱惑的な、互いに絡みつくように捻じれあった、二本の角を持っていた。


 それは、その黒馬の正体は――――。


「……幻獣、バイコーン……」


 受け止めがたい現実を目の当たりにし、まともな言葉が出てこない俺たちの中で、イーネスだけが、震える唇でそう呟いた。

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