第七話 異世界の教室
「お、おはようございますっ」
少し上ずりながら、イーネスは教室の入り口であいさつを言った。
「おはようございまーす」
申し訳程度に、俺もイーネスに続いて挨拶をする。教室にはすでに結構な人数がいて、そのほとんどがこちらに注目している。
教室には、扉越しに聞こえていた楽し気な声がぴたりと消え、嫌な沈黙が蔓延していた。
原因はどう見ても見慣れない顔であろう俺。そう思いたかったのだが……。
俺たちの方に、一人の少年が近づいてきた。短いツンツン髪で俺よりも身長が大きく、ガタイの良いその少年は、イーネスに軽蔑の眼差しを向けていた。
少年は、少し離れた場所で立ち止まった。そして、蔑視をよりきつくすると、
「今日も懲りずに来たんだな、『呪われ姫』。何度も言ってるがな、テメェの居場所なんかここにはねぇんだよ」
と、イーネスに唾を飛ばす。クラス自体は沈黙を保っているが、そのほとんどは短髪男と同じ、軽蔑の視線をこちらに送っていた。
「お、おはよう、ザン君。確かにそうかもしれなけど、わたし、ほら、復活した魔王と戦わないといけないから、そのために少しでも力をつけなきゃいけないし……」
「勇者に選ばれなかった無能が、なにほざいてんだ? 勇者じゃねぇと魔王は封印できね……お? 後ろのそいつ、みねぇ顔だな。おい、お前は誰だ?」
「あ、うん、紹介するね。この人は……」
「テメェには聞いてねえよ黙ってろ。呪いがうつんだろうが」
「…………ごめん」
イーネスが俯く。
ここまでで、正直俺はかなりムカついていた。このザンとかいうやつの失礼極まりない態度、そしてイーネスのことを病原菌のような扱いをした事。なんだよ呪いって。なんだようつるって。
だが、俺は至って平静な顔を保っていた。理由はいくつかあるが、話の本質的な部分を理解するためには、俺が今持っている情報ではハッキリしない部分があるというのが一番大きい。ここで俺が感情任せに食って掛かっても、話の本質をつけなければ余計こじらせてしまうかもしれない。だから、黙って聞いていた。
「よお、みねぇ顔だなぁ、お前。……ああ、もしかしてあれか? 使えねえ『呪われ姫』に変わって魔王を封印してくれるっていう言い伝えの『英雄の器』様か?」
「……だったら、なんだよ」
「クハハッ、信じらんねぇ! もしそうだとしたらお前も災難だったなぁ! 異世界からわざわざこんなところにまで連れてこられてよぉ! 『呪われ姫』が能無しなばっかりになぁ!」
膝を叩いて笑うザン。ブチ切れそうになるのをこらえ、俺は反論に出た。
「言っとくがな、俺はこの世界に連れてこられたんじゃない。自分から行くって言って来たんだ」
「……はぁ? お前、マジで異世界から来たのか?」
「うん、そうだよ。日本っていう国から来た。けどまぁ、そんなことはどうでもいいんだ。それよりお前、さっきイーネスに言った言葉、撤回しろよ」
「あ? 何をだよ」
「イーネスの居場所はない、お前は『呪われ姫』だ、その他諸々の暴言をだよ」
「……まさか、お前、知らないのか?」
「は? 何のことだ」
ザンは、ぽかんと口を開けながら俺に問いかけてきた。何のことか、俺には全く分からないが。
すると、ザンは再びクックッと笑いだした。
「お前、騙してたんだなぁ『呪われ姫』ぇ! 異世界人が何も知らないのをいいことに、お前が死んだ人間を屍人にして操り、生命を冒涜する呪われた嫌忌のスキル、『
途端に、クラス中がざわめきだした。「え? 騙してたの?」「王女じゃなくて詐欺師じゃん」「最低」「そりゃ勇者にも選ばれないわな」その他にも沢山の、イーネスを誹謗中傷する言葉が、わざと聞こえるように囁かれている。
ふと浮かんだ疑問なのだが、スキルって二つ持てるのか? イーネスは確か、『
だが、この疑問はいったん保留だ。なぜなら、異世界に来たばかりの俺が考えても到底わかることではないだろうし、なによりイーネスの様子が明らかにおかしくなっているからだ。
先程から俯いていたイーネスが、真っ青な顔でふらつく。俺は慌てて肩を支えたが、教室に入る前とは比べ物にならないほどに震えていた。
この状況、この苦しさ、痛いほどわかる。俺も、似たような状況に直面したことがあるからだ。
俺は、イーネスの肩を支えながら耳元でこう尋ねた。
「イーネスが後で話すって言ってくれたことって、今の『
がちがちと震え、俯きながらイーネスはこくこくと首を縦に振る。
「そっか。さっきも言ったと思うけど、話したくないなら話さなくても良いからね。それで騙された! なんて思わないからさ」
努めて明るく、俺は言う。すると、弾かれた様にイーネスがこちらを向く。藍鼠色の目は、困惑と涙で濡れていた。
俺は、支えていた肩を引き、イーネスを俺の後ろに移動させた。そして、ザンに近寄り、睨みつける。
「さっきから聞いてれば、ずいぶんイーネスのことを知った風な口をきくんだな、お前」
「あぁ? そりゃそうだろ。この姫サマが呪いの力を持ってることなんざ、この国の国民ならだれでも知ってんだよ。呪われてようが何だろうがこの国の王女なんだからなぁ。だがなぁ、王女と言えども、あんな穢れたスキルを持ってたんじゃ……」
「そうじゃない、そんなことはどうでもいい」
きっぱりと、俺は言い切った。ザン含むクラスメイト達は、一気に静まり返り、文字通り「何言ってんだコイツ」という顔になる。
「俺はイーネスと出会って、友達になってまだ少ししか経ってないけどな、お前らよりイーネスの良いところ沢山知ってる自信があるぞ」
「は? コイツと友達になったって、お前何言って……」
「まず、イーネスはすっごく優しい! 大切な自国の危機なのに、それを救うただ一つの手段である俺を無理やりこの世界に連れて行こうとしなかった。最終的な判断は、すべて俺にさせてくれたんだ」
「……ユヅキ?」
振り返ると、イーネスがこちらを心配そうな目で見ていた。きっと、自分のせいで俺が悪目立ちしたら、これから先の交友関係が築きにくくなるとかそんな心配だろう。顔にそう書いてある。
こんな状況でも他人の心配かよ。
おれは、大丈夫の意味を込めた笑顔でイーネスの視線に応え、もう一度ザンを見据える。
「だから、お前は何を……」
「次に、イーネスはかわいい! 笑顔が無邪気で愛嬌があってかわいい!」
「ち、ちょっ、ユジュキぃ!」
でた、ユジュキ。イーネスさん、誰ですかそれ。しかも、なんかちょっとだけ元気でたっぽい?
俺は、構わず続ける。
「そして、イーネスは面白い! 表情がコロコロ変わって、とてもからかい甲斐がある」
「も、もうっ! ユヅキのバカ!」
「そして、イーネスは優しい! 俺のことをよく気にかけてくれ……」
「もういい。……で? 結局何が言いたいんだ?」
俺の話を遮って、呆れたような、なんとも言えない顔でザンがそう問いかけてくる。
「つまりだな、多分、俺はお前らなんかよりよっぽどイーネスの良いところを知ってるぞってことだ。お前らより付き合い短いのにな。どうせ、お前らはイーネスの表面的な部分しか、お前らにとって都合の悪い部分しか知らないんだろ?」
「ユヅキ……」
「……だから何だってんだ」
「別に、それ以上のことはないけど。ただ言われっぱなしはムカついてさ。そっちがイーネスの悪いところしか言わないんだったら、こっちはイーネスを褒めまくろうと思ってね。あ、褒めるところまだまだあるけど、聞く?」
俺は、わざとおどけた風にそう言った。その態度も仕返しの内だ。
ザンの表情が変化する。あの顔、多分キレている。
「テンメェ、なめてやがんのか? あ? 『英雄の器』だか何だか知らねぇけど、あんま調子乗んなよ」
「『英雄の器』としてでは無くて、イーネスの友達として言ったんだけどなぁ。伝わらなかったかな?」
「スカしてんじゃねぇ!」
そう言って、ザンはファイティングポーズをとり、蹴りを放ってきた。その蹴りは鋭く弧を描き、俺の顔面へと向かってくる。
俺はその蹴りを状態を反らして避けた。【戦闘学部】というだけあって、なるほど実力はかなりのものらしい。動きの無駄のなさ、咄嗟に放った蹴りの冴え、並大抵の人間ならもうとっくに意識を失っているであろう完成度だ。ザンになら、柳刃流で戦っても問題ない。というか、そうしないとこっちが危ない。向こうも本気みたいだし、こちらもそれに応えるべきだろう。
「ハッ!」
反らした体を捻って、そのまま後ろ回し蹴りをザンの腹をめがけて放つ。蹴った脚に衝撃。蹴りは当たった。だが、当たったのは腹ではなく腹を守っていたザンの腕だった。
蹴られた衝撃を利用して、ザンはバックステップで距離を取った。が、しかし、俺がその隙を見逃す程甘くはないのをザンは知らない。
「なッ、消え……」
「ここだよ」
「ッ!」
俺は『
そして、その低い姿勢から脚を踏ん張り、真上に向かってもう一度『瞬』を使う。その勢いを余さず乗せた拳を、歯を食いしばって思い切り突き上げる。
『柳刃天穿流古武術』近接戦闘術『
相手の視界から消えるような、低い姿勢での『瞬』で隙を突き、その『隙』に今度は真上方向の『瞬』で勢いをつけた拳を叩き込む、連撃。
その『天穿』が、深々とザンの鳩尾に突き刺さった。
「ゥッ……ガァッ」
たまらず、ザンは膝から崩れ落ちる。どうやら、呼吸もままならないらしい。『天穿』を使った効果としてはほぼ満点に近い効果が発揮されている。
多少気の毒だが、今回先に襲ってきたのは向こうだ。しかも、結構な手練れの様子だった。誰も文句は言うまい。多分。
「喧嘩っ早い性格は、あんまり得しないから直した方がいいと思う」
「……ッグゥ、だ、だま、れ……」
「あと、次イーネスの良いところにちゃんと向き合わないで悪口を言ったやつ、絶対に許さないからな」
この言葉はザンだけではなく、クラスの方を一瞥していった。先程までざわついていたクラスメイト達は、黙り込んでしまった。まぁ、第一印象は最悪が妥当だろう。いいんだけどさ、別に。
まだ苦しみながら腹を中心にくの字に曲がって悶えているザンを無視し、後ろで小さくなっているイーネスに話しかける。
「あの、自分の席が分からなくてさ、どこだっけ?」
「た、多分、わたしの隣。これも、その、お父様の計らい……だと思う」
「ははっ、流石王様。それしかない」
笑いながら俺がそういうと、イーネスの表情も心なしか、緩んだように見えた。
――その時だった。
「キャーーーーッ! なになに!? 朝から何の騒ぎですかぁ!?」
出席簿らしき黒い冊子を落とし、頬に両手を当てながら狼狽した様子の女の人がいた。
「……ぅぐ、せ、先生……コイツにやられました……」
ザンが俺の方を指さす。おいまて、先に手を出してきたのはお前だぞ。
「コイツ……ですか? わっ、もしかしてあなた、今日から新しく編入してくる生徒さんではないですか?」
「え、はい、そうですけど……」
「編入初日からなにやってるんですかぁもう! お話、聞かせてもらいますからね!」
栗色のボブカットを揺らし、ぱっちりとした翡翠色の目に俺を映して、『先生』と呼ばれた人物は俺を指さすのであった。
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