第三話 あの時の記憶

 目の前には、『箱』があった。ただの箱ではない。人一人がすっぽりと収まるくらい大きい『箱』だ。


 棺を思わせるその外観は、派手な装飾は一切なく非常に簡素なものだが、その『箱』からはおびただしい量の管が伸びていて、周りに『箱』を囲むようにして四つ設置されている、青色に発光する動力装置のようなものに繋がっている。


 数分前、リガレットさんが「スキルの発現のはこれが必要なんですよ」と言って担ぎあげて運んできたのがこの『箱』と装置だ。『箱』はさることながら、装置もそこそこ大きいサイズなのに、侍女の手伝いの申し出を断ってまで一人で担いできたリガレットさんは、知識以外も割とヤバいのかもしれない。脱いだら凄そうである。


「ではユヅキ殿、この中へ入ってくだされ」

「は、はい、わかりました」

「そう心配なさらずに。痛くはありませんからの」


 痛くないのか、ならよかった。痛いのは嫌いだ。心も、体も。


 俺は、言われた通りに『箱』の中に入った。すると、リガレットさんが『箱』の扉を閉めた。その扉越しに語りかけてくる。


「これより、『スキルの発現』を行います。準備はよろしいですかな?」

「はい、お願いします」

「承知しました。では、心を落ち着けて待っていてください」


 外で、リガレットさんの何かを唱えるような声が聞こえた。


 すると途端に、視界が白く光り出した。その光は、だんだんと強さを増して……意識が……。


 ……あれは、蛍光灯? 何でここに蛍光灯が? ここは? あれ、俺は異世界にいたはずなんだけど……見覚えあるような……?


 あ、ここ、学校だ。


 でも、なんで? いつから?


 ああ、そうか、今までの、夢だったんだ。いじめられている現実から逃げ出してしまいたいと強く願う俺の、脆弱な心が生み出した妄想幻覚幻視幻聴。


 そうか、そうだよな。そもそも、異世界なんてあるわけない。


 豪華絢爛な城も、『賢者』と称される老人も、初対面で下の名前で呼ぶフランクな王様も、モジモジしながら「友達になってくれませんか」と言ったり、コロコロと表情を変える、王女のはずなのに王女らしくない女の子も、すべて、紛い物だった、わけ、か。


「……ぃ……おい、優月くぅん? なぁに無視しちゃってんのかなぁ?」


 俺は、嫌に背筋が凍る感覚がした。振り返ると、奴がいた。


 ――斎藤。


「まぁ所詮は『ヒーロー』気取りたいだけだもんねぇ優月君って。『いじめられてるクソ雑魚陰キャを助ける俺ってかっこい~』って、思いたいだけなんだろ? なぁ、そうなんだろ?」


 違う、そんなわけない。


 そう言いたいけど、唇が震えてうまく話せない。かすれた音を発するだけの喉にもどかしさを覚える。


「こいつに何言っても無駄だよぉサイトー」


 この耳障りな甲高い声は、高枝だ。全身がひどく汗ばむのが分かる。脇から、冷たい汗が脇腹に伝う。


「なんたってこいつは……プックク……レイプ魔なんだよ? そんな奴が自分の快楽のため意外にこんなクソ雑魚豚野郎なんか、助けるワケなくなぁい?」


 そういって、なぜか顔が黒くなってて見えない中野の背中を蹴りつける。


 ――レイプ魔。


 またか、また俺は根拠もない言いがかりだけで、ここまで貶められるのか。


 四方八方から、罵詈雑言が飛んでくる。


 侮蔑の視線が突き刺さる。


 暗澹あんたんたる空気感が、俺を蝕み、心を侵していく。


 だれも、助けてくれないの?


 中野、俺、お前のこと助けたよな? 何でお前まで、そんな蔑みの目を向けてくるんだ? 顔は見えないけど、その小馬鹿にしたような、どこか見下した態度で分かるんだよ。


 そうだ、梨花は? 梨花なら何とかしてくれる。きっと、助けてくれるはずだ。


いじめの事を相談した時だって、そう言ってくれたんだ。


 ……梨花……梨花……どこ……あ、居た。


 やっと見つけた梨花は、俺が異世界に転移する前に、最後に見た表情をしていたように見えた。が、しかし――。


 ……梨花? あれ? 何で倒れてるの? ねえ、何で起きないの? 梨花? どうして泣いてるの? あれ? 梨花じゃない? え? だれ? りか? え? え? え?


 梨花、何で、目が、抉られてるの?


 梨花、何で、歯が、全部抜かれてるの?


 梨花、何で、舌が半分無いの?


 梨花、何で、鼻が削がれてるの?


 梨花、何で、耳が千切れてるの?


 梨花、何で、梨花、何で、りか、何で、りか、なんで、梨花、ナンで。


 りかりかりかりかえりかりかりかりかりかりか梨花りかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりか梨花りかりかなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでんんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんであアああああ亜ああアァあアああアあああああああア嗚呼アあアアァアぁア亜ア。


 ア――――、ア――――、ア――――、ア――――?


 誰だ、誰がやった? 


 あぁ、なんだ、お前らか。そうか、そうだよな、それしかない、そうに違いない、そうでしかない、それ以外ない、そうに決まってる、それのみである。


 気が付くと、斎藤達は、木の椅子に縄で縛られて固定されていた。先程の勝手で不遜な態度とは一変、蛇に睨まれた蛙の様に萎縮し、涙を流し、震えている。


 俺の手には、ペンチやナイフ、そして周りには、鉤爪のようなものや、針がびっしりついた鎚、先端に鋭い鉤爪のついた鞭、肉厚ののこぎりや、猿ぐつわなど、一目見てそれが何に使われるのかわかるようなものが腐るほど置いてある。


 まるで、今まで我慢してきた俺の斎藤達に対する気持ちを具現化したようなそれは。


 まるで、俺の心の残虐性を体現したかのようなそれは。


 ――拷問器具。


 それを手に取ったのなら、やることは一つ。決まってんだろ?


「お前らに、俺の、俺と梨花の、苦しみを、痛みを、恐怖を、絶望を、何一つ惜しまずに教えてやる。遠慮は、いらないから。お前らの、気が狂うまで、俺の、気が済むまで、拷問した後、虫けらのように、処刑してやる」


 眼球がこぼれんばかりに、とめどなく血の涙をこぼす目を見開く。泡立つ口から涎が垂れる。その二つが混ざり合って赤白い体液となったものを、ボタボタとまき散らしながら、斎藤達に近づく。


 ふふっ、ふふふっ、あははははははははははははははっははははは!


 まずはサイトウ、おマえかラダ。


 爪をハぎ、指先ヲツぶし、ネモトカラユビヲキリオトス。


 何かを呻きながらじたばたと暴れる斎藤の右手、小指の爪に細い針を差し込もうとしたところで、俺の意識はプッツンと切れた。


「――き――キ――ユヅキ!」

「ぅえ!? は、はい! 優月です!」

「はぁぁああ、よかったぁ。心配したよぉ」


 イーネスがギュッと抱き着いてくる。どうやら俺は、短時間意識を失ってぶっ倒れていたらしい。なんだったんだろう、あれは。夢? いや、夢とは何か違った様な気がする。じゃあ幻視? うーむ、分からん。そしてなぜだか、細かいところが思い出せない。漠然と怖かったとか、不快だったとか、心が痛いような感覚しか残っていなかった。


 というかリガレットさん、痛くないって嘘じゃん! めっちゃ痛かったよ、心が。


 しかし、しかしだ。それよりも――、


「あのー、イーネスさん? 心配してくれるのはありがたいんだけど、抱き着かれるとその……ね」

「はうぅ! ご、ごめん! 気持ち悪かったよねそうだよね!」

「いや、全然そんなことはないんだけど、ホラ、冷や汗沢山かいてるからさ」


 俺は、あの悪夢のようなものを見た影響と推測できる冷や汗をびっしょり掻いていた。


「なんだ、そんなことか。わたしは気にしないのに」


 口に手を当てて、フフッとイーネスが笑う。そういっていただけるのはうれしい限りだが、俺の方が気にするんですよ……。


「ユヅキ殿、本当に大丈夫ですかな?」


 声の方を振り向くと、リガレットさんが憂色の濃い面持ちでこちらをのぞき込んでいた。


「ああ、リガレットさん。大丈夫ですよ」

「それならいいのですが……如何せん、『スキルの発現』で気を失う人を見たのは初めてでしてな。異世界人ゆえの弊害なのか、それともほかの理由があるのかはわかりかねますが……。それに、顔色も悪い」


 そうなのか、気絶、普通はないのか。周りを見渡してみると、侍女の皆さんはおろか、王様までも案じるような表情をしている。よっぽどレアケースなんだな、これって。


 そういえば、『スキル』は無事に発現したのだろうか。


 不快な気分になった挙句、スキルまで発現していないとなると、シンプルにただの損である。しかし、今回の俺の気絶がレアケースらしいので、『スキルの発現』ができていない可能性は否めない気もする。


「あの、リガレットさん、『スキルの発現』はうまくいったんですか?」


 少々不安になりながらも、成否を聞いてみた。


「ええ、おそらく成功したはずですよ。確認のため、服を脱いでもらいますが、よろしいですな?」

「はい、大丈夫ですよ」


 それもそうだ。体のどこかに刻印が現れるとリガレットさんは言っていた。聞かずとも、服を脱げば分かることだ。


 俺は、とりあえず上半身の服だけ脱いでみた。流石に下半身の方から脱ぐ勇気はなかった。


 結果から言うと、俺の『スキルの発現』は、成功していた。刻印は胸の真ん中にしっかりと刻まれていたから、すぐにわかった。 


 しかし、問題が一つ。


「刻印の色が……黒色……?」


 『賢者』たるリガレットさんが、困惑し、かすれた声を上げた。先程のスキルの説明の中に、色でそのスキルの『レベル』が分かるという説明があったが、そこには黒色なんて一回も出てこなかった。


 どういうことだ? これも、レアケース故のイレギュラーな現象なのか?


 俺が稚拙な考察を巡らせていると、一つの可能性にたどり着いたらしいリガレットさんが、その可能性の話をした。


「……刻印の形状も見たことがありません。もしかするとその刻印、『ユニークスキル』かもしれませんね」

「『ユニークスキル』? なんですかそ……」

「なんと、まことかリガレット!」

「リガレット様、本当なんですか? ユヅキが『ユニークスキル』持ちだなんて……」


 『ユニークスキル』の意味が分からなくて質問をしようとした俺の言葉を遮り、王様とイーネスの驚愕の声が上がる。見れば、侍女たともあんぐりと口を開いている。


 一方で、俺の頭の中の謎は深まるばかりであった。

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