幕間 その1
おおよそ、日常生活では経験することのないであろう不思議な発光が収まって、その光の中心にいた天梨優月とイーネス=エロイーズ・スティリア・レ・ド・オーベルライトナーが消えた。
そんな非日常の最中にある柳刃家で、泣き崩れる少女が一人。
「……いかないで、いかないでよぉ、ゆづくん……」
彼女――西留梨花も、目の前で非日常を目撃した一人であった。
「……梨花ちゃん、大丈夫?」
顔を覆う両手の指の隙間からとめどなく涙を流す梨花にそう声をかけるのは、優月の母親の巳月だ。梨花の背中を優しくさすり、嗚咽を漏らす彼女を宥める。
「……分からない」
「え?」
「分からないですよ、何も。今起こった出来事も、ゆづくんが言ったことも……」
巳月に背をさすられ落ち着いた梨花が、そうこぼす。
「おばさん、教えてください! どういう事なんですか? 何があったんですか? あたし、もう訳が分からなくて……信じられなくて……」
「そうね……。じゃあ、説明するからまずはお茶でも飲んで、ほら」
そう言ってお茶を差し出される梨花。それを啜って梨花が一息ついたころ、巳月はぽつぽつと事の顛末を説明した。
◇◆◇
「――というわけなの」
何故優月の異世界行きを許可したかというところまで説明を終えた巳月は、ほうっとため息をつく。それを巳月の正面で聞いていた梨花は、小刻みに震えていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
「え? なんで梨花ちゃんが謝るのよ」
「……あたしが、あたしがゆづくんのこと、ちゃんと助けられなかったせいで……こんなことに……」
「何言ってんのさ。梨花ちゃんは悪くないわよ」
「違うんです! あたしが悪いんです!」
「……どういう事?」
「……ちゃんと一から、話します……」
再びこぼれた涙に眼を腫らし、唇を噛みしめる梨花は、優月のいじめについての梨花の視点での出来事を語りだした。
纏めると、こうだ。
優月からおそらく一番最初に「いじめられている」と相談を受けた梨花は、それに対して激怒。すぐさまいじめの主犯格の斎藤と高枝に抗議に行った。
しかし、これが悪手だった。そのことに対して気分を悪くした斎藤達が、梨花が抗議に行った次の日、その梨花の抗議を梨花からの相談と騙って、同学年中に「優月は幼馴染の梨花をレイプした最悪最低の性犯罪者」というデマを流した。
そこからは言うまでもなく、更に優月に対するいじめが加速、それと同時に、何もされていない梨花のことを心配する友達や、同情してくる人まで現れた。しかし、梨花はそのすべてに対して否定を繰り返していた。断固として認めなかった。当たり前だ。何もされていないのだから、認めるもクソもない。
しかし、それを面白がらなかった斎藤達は梨花を校舎裏に呼び出し、「デマを撤回してほしければデマを否定するな。そして一切俺たちの邪魔をするな」と告げる。断るわけにもいかず、渋々従うことに。
だが結局、デマは撤回されることはなく、今に至るという事だった。
途中、堪えられなくなった梨花は何度も大泣きして、謝罪を繰り返していた。実際にいじめられていた優月はもちろん辛かっただろうが、梨花も梨花でよっぽど辛かったのだろう。今まで心中に抑え込んでいた自責の念が、一から状況を説明する中で堰を切ったかのようにあふれ出したのだ。
いじめを止めようとしたら勝手に性犯罪の被害者に仕立て上げられ、何の意味もない心配や同情を押し付けられ。
話を聞き終わった優月の両親と祖父母の反応は、それぞれだった。
父、天梨優朔は額に青筋を浮かべ、母、天梨巳月は開いた口がふさがらず、祖父、柳刃玄隆は沈黙、祖母、柳刃タエ子は目に涙を浮かべていた。
「……梨花ちゃん」
「……はい」
沈黙の中、最初に口を開いたのは、優月の父、優朔だった。
「辛かっただろう」
「……へ?」
予想外の言葉に、思わず頓狂な声が出る梨花。彼女は辛辣な言葉をぶつけられるとばかり思っていたのだが、そうではない言葉をかけられ驚いていた。
「辛かっただろう、本当に。でも、それでも優月のために動いてくれてありがとう」
「……でも、結局、あたしのせいで状況が悪化して……あたしの、あたしのせいで……」
「そうだとしても、君が優月のことを大切に想ってくれているのはよくわかるよ。そうでもないと、ここまで必死に謝ったり、泣いたり、なにより、優月に対するいじめを止めるために動いたりなんかしない。そうだろう?」
「――」
「おじさんはね、それが嬉しいんだ」
それは、嘘偽りない優朔の本音だった。
「だから、そんなに自分を責めないでくれ。梨花ちゃんは、よく頑張ってくれたよ、うん」
「……ありがとう……ございます」
かすれた声で、だけどどこか、少しだけ救われたような声でそう吐き出す梨花。
「……なるほどのぅ……梨花ちゃんもなかなかに大変じゃったのぅ……」
無言を貫いていた老夫婦のうち、老父の方が口を開いた。優月の祖父、柳刃玄隆だ。
「して、梨花ちゃんや、少しばかり聞きたいことがあるのじゃが、ええかの?」
「……はい、何でも聞いてください」
優月のいじめに関することだろう、と、梨花はそう思っていた。
梨花自身、いじめに関する全貌は把握しきれていない。梨花が見聞きしたこと以外にも、きっともっとひどい仕打ちを受けているに違いない、と、たやすく想像できるくらい、最近の優月は何となく雰囲気が違っていた。本人は隠していたつもりだろうが、幼馴染ならそのくらいはわかるものだ。
ともかく、そういった類の質問だろうと予想していた梨花にとって、玄隆の質問は少々予想外のものであった。
「梨花ちゃんや、優月に会いたくはないかの?」
「……え? ま、まあ、そりゃあ会えるなら会いたいですよ。でも、おばさんの話だとゆづくんはもうこの世界にはいないんですよね? なら、会えっこないですよ……」
「それは確かにそうじゃな。しかしの、優月は年に一回、この世界に帰ってくることになっとってのぉ。転移装置の機能だか何だかで、そういう事になっておるみたいじゃ」
「ほ、本当ですか!? な、なら、あたし待ちます! 何年先になろうとも、ずっと待ち続けて、ゆづくんに謝んなきゃ……じゃなきゃあたし!」
「ほっほっほ、それもなかなかにローマンチックでええ感じよのぉ。じゃが、もし、そんなに長く待たんでも、こちらから会いに行けるとしたらどうじゃ?」
「……え? それができるなら今すぐにでも会いに行きたいですけど……」
「なら、儂と行こうかの、異世界」
「「「……え?」」」
満面の笑みの玄隆と、唖然とする梨花と優朔と巳月、その両者の間を、タエ子のお茶をすする音が抜けていった。
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