第十三話 兎穿
右から、左から、上から、下から、斜めから、ガードの上に、肩に、腹に、脚に、絶え間なく乱撃を叩き込む。得意なだけあって、近接戦でのお父さんの防御は固い。しかし、その中にわずかな綻びを作るため、拳を、肘を、脚を、膝を、立て続けに放つ。
そしてついに、お父さんのガードが下がった。それを見逃すはずがなく、俺はあえてそこに蹴りを放つ。渾身の回し蹴りだ。なぜ回し蹴りなのか、それは単に攻撃の流れの中で、一番先に次の一手を出せたからだ。
蹴りは吸い込まれるようにお父さんの顎に向かって、この組手の勝敗を分ける決定打に――ならなかった。右脚で放った俺の蹴りは、お父さんの左腕によっていなされていた。
『柳刃天穿流古武術』柔術『
相手の攻撃をいなし、自らの攻撃に繋げる防御兼繋ぎの技。
いなされた俺の右脚は空いていたお父さんの右腕に絡めとられ、そこに回し蹴りをいなした左腕も追いつき、両腕での『垂水』によって掬い上げられた。
ここまでの一連の流れは、完璧に俺の予想通りだった。
少し前の、俺が下した判断に戻ってみよう。俺は、『あえて』この分かり切った流れに乗ったのだ。つまるところ、お父さんが罠として意図的にガードを下げたことを分かって、あえてそれに乗ったのだ。ここから勝算が無ければ、こんな無謀なことはしない。
一度目の『垂水』との明確な違いは、掬い上げらる時にあえて同じ方向に力を加えて加速することで、お父さんの想定外の結果にするという目論見がある部分だ。
加速を加えて地面に叩きつけられる前に一周した俺は、頭から落ちるのを回避し、綺麗に着地。そしてその瞬間、空中で前もってたわめていた脚を一気に開放、『瞬』を真上に向けて放った。
お父さんの驚いた表情を刻んでいる顔が高速で近づいてくる。目論見は成功した、と確信が持てた俺は、その顔ではなく急所である鳩尾に『瞬』の勢いを余さず乗せた拳を、突きあげるようにしてねじ込んだ。
『柳刃天穿流古武術』接近戦闘術『
「ッラァ!」
咄嗟の機転と極限まで高めた集中のおかげで成せた空中での動作、そして渾身の気合いとともに放った『兎穿』。手ごたえは十分だった。だがここで俺は、すぐさまバックステップで距離を取った。
ほんの一瞬の、動揺の隙を突いた渾身の一撃が綺麗に決まり、手ごたえも十分。本来ならば追撃で倒しきるべき場面だ。
しかし、その手ごたえが問題だった。
手ごたえが、ありすぎたのだ。普通に鍛えた人間が力を込めた程度の腹筋の固さではなかった。何か別の、それこそ巌のような途方もなく固いものを殴ったような感触。その正体は――、
「……決まったと思ったんだけど、あの一瞬に反応して『巖鉄』を使うとか、やっぱお父さん強すぎなんじゃない?」
「…………」
『柳刃天穿流古武術』防御法『
特殊な呼吸法で筋肉の限界まで硬度を高める技法。一瞬の判断からの行動に移すまでの速度、そしてその技の質、流石は接近戦闘最強の名は伊達ではないと、改めて思い知らされた。
俺の頬を、冷や汗が伝う。
――今ので倒しきる予定だったのに、予想が甘かったか。マズいぞ……。
そう思っていると、お父さんがおもむろに口を開いた。
「――いや、今回は優月、お前の勝ちだよ」
「……え? どういうこと?」
「さっきの優月の一瞬の機転と無駄のない『兎穿』までの流れは、流石に僕も予想外でね。『巖鉄』のタイミングが遅れて、完璧に使えてなかったんだ。油断してたよ」
苦笑いを浮かべているお父さんの額には、同時に玉のような脂汗がいくつも浮かんでいた。つーか今、『巖鉄』を完璧に使えてなかったって言ったよな。完璧じゃなくてあの固さかよ、マジかよ。
「優月渾身の『兎穿』を僕の不完全な『巖鉄』が受けきれるはずがない。確かに少しは威力も和らいだが腹に効いてね……。もう、脚が言うことを聞かないんだ」
「……ということは?」
俺は、ちらりとお母さんを見た。お母さんは優しく微笑みながら軽く頷く。そして、高らかに宣言した。
「天梨優朔の戦闘続行不可宣言により、この組手の勝者は、天梨優月とする!」
真っ先に、ドでかい拍手が届いた。見ると、祖父が破顔して俺の勝利を喜んでいた。
「……マジか、勝ったのか……初めて、俺が、お父さんに……」
信じられないが、勝ってしまった。全く勝利のビジョンが見えなかった、お父さん相手に。
嬉しさよりも、不思議と実感がわかない感覚の方が強かった。
信じられずに自分の掌を眺めていると、ふと思った。
これで、『自分すら信じられなくなった自分』の否定ができたのだろうか。あの連撃の瞬間に考えていたことへの答えは出たのか、分からなかった。ただ、俺の気持ちはとても晴れやかだった。
初めてだからまぐれかもしれない。次やったときは勝てる確証もない。だけど、越えられないと思っていたお父さんを、壁を、今日初めて超えた。あの時の刹那の強い感情が、普段では思いつきもしないような機転を利かせ、体を動かし、お父さんの予測を超えて打ち勝った。
戦えなくなってしまったとばかり思っていたけど、まだここまで戦えたんだ、と。
これが答えなような気もするし、そうでないような気もする。でも、こんなに気持ちが晴れやかなのは久しぶりで、俺の心は少しだけ軽くなっていた。
このことに対する素直な喜びを噛み締めていると、お父さんが「あいたたたた……」と情けない声を出して座り込んだ。お母さんが、心配そうに、けど何故かニヤニヤしながらお父さんに寄り添う。
「いやぁ……最後の一撃は流石に効いたなぁ。もろにくらってたら血反吐を吐いてたかもしれない」
俺の『兎穿』をくらったあたりをさすりながら、お父さんはイーネスの方を見やる。
「さて、と。どうだったかな、イーネスちゃん。うちの息子は、あくまでそれなりに鍛えた人間相手にならこの程度は戦えるのだけど、そっちの世界の危機を救うのに役に立てそうかな?」
「……え? そ、それって、どういう……」
イーネスがたじろぐ。同時に、俺もたじろいでいた。今、お父さんが言ったことって、言い換えると……。
「つまり、優月の異世界転移への許可を出すってことさ」
「「えぇぇええええ!!!!!!!!」」
俺とイーネスは、予想をはるかに超えてあっさりと出された許可に、声をそろえて驚くのだった。
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