第十話 父の思惑
リビングに入ると、お父さんもお母さんも既に帰ってきていた。挨拶を交わした後に、お父さんに「先生、もうすぐ来るよ」といわれたので、おとなしく席について待っておく。
数分もしないうちに、先生がやってきた。時間を見る限り、顧問をしている部活にも行かず、仕事を早く切り上げてきたのがよく分かった。
「こんにちは、お世話になっております、優月君の担任の、古賀誠二です」
「こちらこそお世話になっています。優月の母です。さあ、どうぞおあがりください」
「失礼します」
母との短いやり取りを終え、先生がリビングに入ってきた。
「お世話になっています、優月の父です」
お父さんが、先生に深々とお辞儀をする。
「これはご丁寧にどうも。優月君の担任を務めさせていただいている、古賀誠二です」
続けて祖父母にも挨拶をした先生が、俺の方を向いた。俺から挨拶の言葉をかける。
「先生、こんにちは」
「こんにちは、優月君。今日はどうしたのかな? 体調が悪かったのかい?」
相も変わらず爽やかな顔で話す古賀先生。焦げ茶の前髪をいじるしぐさも相まってナルシスト度が加速している。「ええ、ちょっと……」と、返答に困っている俺に、お父さんが助け船を出してくれた。
「そのことも踏まえてお話ししますので、まずはお掛けになってください」
「これはどうも。失礼します」
素直に先生は椅子に座った。
「して、お話というのは?」
先生のこの一言をきっかけに、お父さんは、俺に話すよう目線で促す。俺は、俺が受けたいじめの全貌を語った。
◇ ◆ ◇
先生の顔色は、面白いくらいにコロコロと変わった。赤くなったり、青くなったり、黄色くなったり、白くなったり、緑になったりと、カメレオンのごとき変わりようだった。
普段は見せないような表情だったので、少し面白かった。
そんなコロコロ顔色を変える先生に対して、俺は家族にもまだ見せていなかったいじめの証拠を提示した。
物的証拠はいくつか保管しておき、靴箱の中に入れられた生ゴミや、上履きの中に塗りたくられた歯磨き粉、机の上の誹謗中傷などは全てスマホで写真を撮っていたのだ。しかし、それらは個数が少なかったため証拠になるかどうか不安だったが、先生の反応的に十分証拠になったっぽかった。この時、証拠を初めてみたお母さんは、昨日のように涙目になり、お父さんは眉間に皺を寄せていた。じいちゃんたちも難しい顔をしている。
「……一通り、話し終わりました、けど……」
先生は、死んだ魚のような眼をしていた。口をわなわなさせ、心ここにあらずといった表情だった。そして、ハッと我に返った先生は、俺の予想外の行動に出た。
座ってた椅子から勢いよく立ち上がり、少し離れた場所に移動。そして、勢いそのままに頭を床に叩き付けて、一言。
「誠に、申し訳ございませんでしたぁ!」
俺のクラスの担任の先生が、俺と家族に対して、百点満点の土下座を披露していた。
「優月君の担任を務めていながら、彼が受けているいじめに、そして苦しみに気づいてあげられなかった。私は……教師失格だ!」
なおも土下座を続け、謝罪と懺悔の言葉を叫ぶ。と、そこへお父さんの冷静な声が飛んだ。
「私としても言いたいことはいくつもありますが、今それを言ったところで仕方がありません。先生、頭をお上げください。優月の話は終わりましたが、私からの話はまだ終わっていない」
弾かれた様に、先生は顔を上げた。お父さんの表情は、静かな怒りをたたえていた。なぜ気づいてやれなかったのか、何のための担任なんだ、と。それと同時のその怒りはお義父さん自身にも向いているように思えた。
「そうでした、申し訳ない、取り乱してしまって」
先生は荒れた髪とネクタイをキッチリと戻し、再び椅子に腰かける。
「では、先生にお願い申し上げたいことがあります」
お父さんが、最大限真面目な顔で――俺には、ある種の覇気のようなものが感じられた――先生に本題を伝える。
「優月を、しばらく休学させます」
「休学……ですか?」
「はい。今の彼には、心身ともに休養が必要だと判断しました。その上での休学です」
「……なるほど、分かりました。学校側には私の方から伝えます。優月君、その証拠たちを私に預けてくれないか?」
「いいですよ、どうぞ」
いわれるがままに、俺は先生に複数の証拠を手渡した。スマホの写真は、先生と俺の持ってるスマホがどちらとも某リンゴ社のものだったので、ナントカドロップで送信した。
「……優月君、本当に、申し訳なかった。君には、消えない傷を負わせてしまった。私は、この罪を一生背負う。君からしたら、だからどうしたという話だろうが、これは、未熟な私なりのけじめだということを伝えておく。ご家族の皆様、優月君、改めて申し訳ございませんでした」
ひたすら自分を責め、ひたすら謝罪をしながら先生は帰っていった。俺は、いじめられたストレスが許容量を超え、一周回ってどうでもよくなっているため「そんなに謝らなくても……」と思ってしまうのだが、それに反して家族は全員――特にお母さんは、まだ言い足り無さそうだった。
ふと、お父さんが声をかけてきた。
「優月、久しぶりに組手をしようか」
「え? 今から?」
「ああ、今から。駄目か?」
「いや、いいけど……どうしたの急に」
急な提案に多少面食らっていると、お父さんがいたずらっぽく笑った。お父さんにしては、珍しい表情だった。
「優月の覚悟のほどを試そうかと思ってね」
なるほど、そういう事か……。
と、分かったふりをしている俺だが、本当の思惑ははかりかねていた。
「じゃあ三十分後に道場においで。イーネスちゃんも連れてくるといい」
「じいちゃんたちも来るの?」
「おぅともさ!」
今ので何となく察したが、このイベントに関しては俺を除く家族全員がグルらしい。さっきお父さん、俺の覚悟を試すとか言ってたし、これは何かあるぞきっと。その何かはわからないけど。
「分かった。三十分後に、イーネスと一緒に来るよ。恰好は稽古着でいいでしょ?」
「ああ、構わないよ。じゃあ、待ってるぞ」
そう言い残すと、お父さんを筆頭にみんな道場に向かっていった。
「何のつもりなんだろ……」
誰に向けたものでもない言葉をつぶやきながら、取り合えず道着に着替えるべく俺は自分の部屋へと向かった。
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