第七話 親心と子心

 俺たちは、昼間に立てた作戦の通りに話を勧めた。作戦は、おおむね予定通りに進んでいた。


 まずは、イーネスがこの世界にやってきた理由と彼女が異世界人である証拠となる魔法を提示。次に、俺が置かれている学校での現状と、それを踏まえたイーネスのお願いに対する答えと、イーネスが向こうの世界に戻ることができる期限――タイムリミットの存在を話す。――と、詳細に話すべき点はほかにもあるが、これでとりあえず流れとしては終了だ。


 我ながら、作戦という程のものではないなとは思うが、一応前後の混乱もなく話しきることができたように思う。


 俺たちが話している間は、家族みんなは静かに聞いてくれていた。お母さんの顔色だけ、青ざめたり赤くなったりと、ころころ変わってはいたけど。


「――という訳で、俺は異世界に行こうと思う」

「……話は……それだけ?」


 みんなが難しい顔をしている中、一番初めに口を開いたのはお母さんだった。


「まぁ、とりあえずひと区切りはついたよ。ね? イーネス」

「うん、ついたね、確かに」

「そう……」


 俺とイーネスから視線を外し、お母さんは俯く。そして、わなわなと肩を震わせ始めた。


「巳月……」


 隣のお父さんが、心配そうにお母さんの肩に手を置く。よく見ると、お父さんの顔色も悪かった。元が色白のお父さんだが、今の顔色は青ざめていた。


「お母さん、信じられないかもしれないけど、全部本当なんだ」

「……全部?」

「そう、全部。お母さんも見たでしょ、魔法。あれが紛れもな……」

「……魔法も、そのナントカ王国も、異世界が存在することも、百歩譲って理解はしましょう。本当に信じられない話だけど……。ただ、優月とその、イーネスちゃんが言ったことが全部本当なら……」

「……本当なら?」


 俺は、唾を飲み込んでお母さんの次の言葉を待つ。俺の決断に対する反対か? 賛成か? それとも、勝手な判断に対する叱責か? はたまた……。


 頭の中でごちゃごちゃと考えていた俺の思考は、俯いていた視線を勢いよく上げ、俺の目を見るお母さんの表情でぶった切られた。


 ――お母さんは、泣いていた。


「なんで……なんでもっと早く言わなかったのよ! なんで! もっと早く! いじめられてるって言ってくれなかったのよぉ!」

「……え?」

「異世界とか、魔法とか、確かに訳が分からないし、信じられないし、でも、それでも目の前で実演されたら信じるしかないわよ! でも、でもねぇ! そんなことはどうでもいい! どうだっていい!」


 ボタボタと、涙を流しながら、テーブルに両手を叩きつけて叫ぶ。


「何でいじめられてるって相談してくれなかったの! なんで、一人で抱えて! 悩んで! 苦じんでだのよぉ!」


 ほとんど絶叫に近い声でそう言い放つと、お母さんはテーブルに突っ伏してわんわんと泣き出してしまった。


 俺は、頭が真っ白になった。


 俺にとっては日常の一部――悪い意味での、だが――になっていたいじめ。


 俺にとっては、至極当たり前になっていたいじめ。


 だけど、初めてそのことを知る家族にとっては、いじめられるのが日常と化してしまっている俺では想像がつかないほど衝撃的な話だろう。信じがたい話だろう。


 まして、それをさも当たり前のように息子に話されては、確かに、常識では信じがたい異世界だの魔法だのの話は、目の前で証拠として実演されたとしてもどうでもよくなるかもしれない。


 ――「何でいじめられてるって相談してくれなかったの」、か。


 いじめを受けている子供は、苦しいながらも親にはそれを打ち明けることは少ない。


 それは、「親には、自分は惨めな思いをしているんだと知られたくない」「親には、余計な心配をかけたくない」「親に相談しなくても、自分が我慢していれば収まるし大丈夫」などの、子供ながらに親を思う、いわゆる『子心』とでも言おうか。そこからくるものが多いように思う。


 もちろん、それ以外の気持ちも含まれているだろう。例えば、「大人に頼ってもどうせ変わらない」などの諦めの気持ちとか。


 しかし、この『子心』というものが大きく関わっていることはほぼ間違いないはずだ。


 実際、俺も「親に自分がいじめられてると知られたくないし、自分が我慢していれば収まるし大丈夫」と思って、今まで耐えてきたのだ。古武術を修める上で培った(自分で言うのもなんだが)そこそこ強靭な精神力で、いじめによる苦しみは、顔には一切表さないようにもしていた。これも、俺なりの『子心』ゆえだ。


 一方、親の方は子供には何でも話してほしいと思っている。学校であった些細な事だったり、今日の体調だったり、それこそ、学校やその他の親の目が届かないところでいじめられていないかどうかだったり。


 益体もないような話でさえ、子供の話となれば根掘り葉掘り聞きたくなってしまう。それはひとえに、親は、自分の子供のことが心配だからだ。子供のことを何よりも想っているからだ。いわゆる『親心』というやつである。


 この『子心』と『親心』のすれ違いというのはよくあることだと思うし、親子という関係で生きていく上では避けられないことだとも思う。しかしそのすれ違いは、子供がたとえどんな状況にあろうと平等にやってくる。


 良いのか悪いのか、その一例が、たった今目の前で起こってしまっていたのだ。


「――優月、その、いじめの事については、明日にでも先生を呼んで話し合おう。包み隠さず、今の言葉を先生にも伝えるんだ」


 口を開いたお父さんは、至って冷静だった。


「う、うん、分かった」

「それと、異世界に行きたいという優月の意思とその理由は分かった。信じがたいことだが、目の前で実演されてはね……。後は、お父さんたちに考える時間をくれ」

「分かった。元からそのつもりだったしね」


 そう言って俺は、イーネスの方をちらりと見た。彼女も、悲しそうな、それでいてどこか空虚な、引っかかるような表情をしていた。


「それと、ほかに何か言うことは?」


 普段は温厚で優しい父が、珍しく厳しい表情になる。それもそのはずだ。状況が状況だから。


「――いじめられてたこと、隠しててごめん。やっぱり、家族に隠し事はだめだよね。ほんと、ごめん」


 俺は全員に――最後の謝罪は、まだしゃくり上げている母に向かって言った。


 静まり返った部屋には、お母さんの啜り声だけがもう少しだけ続いた。


 その時のイーネスの顔は、何故か寂し気な表情を浮かべていた。

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