第二話 異世界の少女
不自然に鼓動が高鳴り、動悸がした。必死に走った。あの地獄から一歩でも、一秒でも速く遠ざかるために。そして、下駄箱に向かう角を曲がったとき、誰かとぶつかってしまった。先生だとまずいなと思いつつ、反射的に謝った。
「あ、すみません! 大丈……」
「痛ってて……あ、ゆづくん」
「り、梨花……」
ぶつかった相手は、俺の幼馴染にして、なぜか俺に無理やり犯されたことになっている西留梨花だった。
「ごめん、大丈夫か?」
「うん、へーきへーき」
梨花は、赤いリボンで高くまとめ上げた黒いポニーテールを揺らし、俺に普段と何も変わらない笑顔でそう応えた。
ぶつかった衝撃で尻もちをついた梨花に、俺は手を差し出した。その手を梨花が握ろうとした瞬間、梨花ではない誰かの叫び声が響いた。
「リカちん! 危ない!」
「駄目だよ梨花! いくら幼馴染だからってアンタ、そいつに無理矢理犯されたんでしょ?」
「ちょ、だからっ! それは違うって言って……」
「――お前らもか」
「え?」
梨花の友達らしき女子達が、俺のことを「レイプ魔」扱いしたところから、心に渦巻いていた激情が激しくなり、周りの音がうまく聴き取れなくなっていた。少しは落ち着いていた動悸も、再びぐつぐつと起こりだした。
「……もう、たくさんだ」
「ちょっ、ちょっと待ってよゆづくん!」
「――もう、関わらないでくれ」
「――――」
おぼつかない足取りで、下駄箱に向かう。後ろで「あんな最低男……」「リカちんが、あんな奴……」というような声と、それに対して何かをわめく梨花の声が聞こえたが、もうどうでもいい。
今までのいじめなら、我慢をすれば耐えられた。だが、今日のはなんだ? 俺がレイプをした? それも、相手はよりにもよって幼馴染の梨花だって? 冗談だろ、文字通り、死んでもそんなことはしない。そんなことする度胸もないし、したくもない。俺にとっての梨花は、そんなのじゃない。
もう、訳が分からなくなった。思考もぐちゃぐちゃになり、自分が何を考えているのかさえもハッキリとは分からなくなっていた。
「……ハハッ」
乾いた笑い声、口からはそれしか出てこなかった。
――どれくらい歩いただろうか、気が付いたら公園にいた。俺の通学路にある、何の変哲もないただの公園。そのブランコに腰かけて、ゆらゆらとブランコを漕いでいた。
耳の横を、風がそよいで通り過ぎる。
ふと、考えていた。
――何が、いけなかったのか。
――どこで、間違えたのか。
いじめられていた中野を助けたこと? いや、それは世間的にも、そして何より人としても正しいことをしたと自負しているし、きっとそれは間違っていない。
いじめをかばった俺が、いじめの対象になるというのも、納得はできないがまあ百歩、いや千歩譲って理解はできる。
そんなことは、まあどうでもいいのだ。
一番納得できないのが、俺が梨花を無理やり犯したという事実無根なことを言われていることだ。俺はそういう事は一度も経験していないし、そもそもそんなことをするような度胸も持ち合わせていない。
というか、なんで俺がレイプ魔扱いされなきゃならないんだ? 誰がそんなことを言い出したんだ? どうせ斎藤達だろうが、俺を、俺だけを追い詰めるために、関係のない第三者を巻き込むような噂を流すか? そんな馬鹿な真似を? それは一体、何の得がある?
「……もう、どうでもいいか」
考えても考えても、頭の中はぐちゃぐちゃだし、状況が状況だから冷静な思考もできていない。これ以上は考えるだけ無駄だという考えが一割、残りの九割は本当に何もかもがもうどうでもいいという空虚な感情。
ふと、空を見上げた。空は、今の俺の心の中とは真逆で、とても澄んでいて、突き抜けるような青色をしていた。俺には、それが、とても皮肉的なものに見えて仕方がなかった。
「これから、どうしようかな……」
朝のショートホームも受けないまま教室を飛び出し学校をさぼってしまった俺は、これからどうすればいいのか分からなかった。
学校をさぼるのはこれが初めてだし、『あの教室から逃げ出す』という目的も果たした今、本当に何をすればいいのか分からなかった。
「とりあえず、久々に思い切りブランコでも漕いでようか……」
誰に聞かせる訳でもない独り言をこぼし、それを実行すべく脚に力をいれた瞬間だった。
「なッ、なんだ!?」
突然、目の前が強く光りだした。初めは、ストレスによる幻覚かと思った。だが、何度目をこすっても、頬を抓っても、その光は消えることはなく、むしろ強くなっていった。
その光からほつれ出た糸のようなものが複雑に絡み合い、何かの模様を描いていく。ゲームやマンガによく出てくる魔法陣に似たそれは、より複雑さを増し、だんだんと大きくなっていく。それに反して、光はだんだんと弱まっていき、代わりに人間のものと思しきシルエットを浮かび上がらせていた。
そのシルエットは、だんだんと立体的になっていき、はっきりと人型と認識できるくらいには形を成していた。そして、激しかった光がだんだんと落ち着いていき、眩しさで細めていた眼を開いて、目の前で起こったことをしっかりと認識しようとした。
複雑に広がっていた大きな魔法陣も光と一緒に消え、代わりに目の前には、一人の少女が立っていた。
緩く波打つ透き通るような金髪を揺らし、灰みがかった青い目で俺を見つめているその少女の服装は、どう見てもここ日本で見られるような一般的な服装ではなく、軍服を思わせるものだった。
白を基調としたジャケットには、日の当たり方によっては妖しく紫に光って見える黒いボタンがいくつもついており、胸元のポケットの上には、王冠をかたどった輝く勲章のようなものが一つ付いている。
同じく白を基調にしたスカートは短めの丈で、黒いフリルが施されている。そのスカートから伸びるスラッとした長い脚は、丁寧な刺繍が施された黒いニーソックスと、純白のロングブーツに覆われている。
そして何より存在感を放っているのが、腰に吊るされた剣だ。
俺が習っている古武術の稽古は、真剣を用いて行うことも少なくはない。その経験から判断するに、ほぼ直感だが少女が携えている剣は、飾りこそ多いものの偽物ではない。本物だ。
初見の感想は、「コスプレイヤーさんかな?」というものだった。このカオスな状況の中では割とまともな判断なのではないかと思う。が、激しい光の中から現れるコスプレイヤーなんて聞いたことないし、いろいろと現実的ではないので、即却下した。
それに、腰に吊るされた剣が、武道家としての俺の勘曰く、どうやら本物らしい。自分でも気付かぬうちに、俺は身構えていた。
学校での出来事以来、混乱しっぱなしの頭でこれ以上の思考ができず、体を固くして警戒態勢をとっている俺を見て、少女は柔らかな笑顔を見せて一言、こう告げた。
「――あなたは、『英雄の器』に選ばれました」
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