エモーショナル・スカーズ ~いじめられっ子の異世界拷問英雄譚~
中綿ヱト
序章
第一話 心の闇
これは持論だが、人間という生き物は、老若男女問わずだれでも『心にできた傷』から生じるある種の『闇』を抱えているものだと思う。
ある人は、殺したいほど憎たらしい相手がいたり、ある人は殺したいほどに愛している人がいたり、ある人は、幼児に性的興奮を抱いたり、ある人は、他者を痛めつけて苦しませたいというサド的なものだったり、ある人は、自身を痛めつけてほしいというマゾ的なものだったり、ある人は、何もかもがどうでもよくなって、いっそのことすべてが壊れてしまえばいいといった破滅願望だったりと、多種雑多、十人十色な闇を抱えながら、この上辺だけは綺麗な社会を生きているものだと思う。
人間がそういった『闇』を抱える原因の一つとなりうる『心の傷』のでき方も多様なもので、例えば、恨みつらみが精神の器量を超えてしまったとか、重すぎる愛が一方向に偏ってしまったとか、仕事が嫌になったとか、人生が思うようにいかないとか、親や友人に言われた何気ない一言とか、あるいは今まで育ってきた環境が悪かっただとか。
ともかく、人間という生き物は、誰だって『心の傷』、そしてそこからじくじくと滲み出る『闇』を抱えているものである。まあ、それは生きていく上では仕方のないことなのかもしれないし、人間とはそういう生き物だと言われればそんな気がしなくもないが、例にももれず、この俺も心に『闇』を抱えている人間のうちの一人だ。
俺の場合、心に『闇』を滲ませる『心の傷』が大きくついてしまった原因が――よくあるいじめだった。
朝、いつも通り学校に着き、下駄箱に何もされていないことを確認して一安心。この高校は県立の高校なので、これと言って特徴があるわけではなく、見た目だけは平凡な学校だ。そんなたいして特徴のない学校を慣れた足取りで進み、自分のクラスである二年二組の教室の前に到着。ドアの前で軽く深呼吸、覚悟を決めて一思いにドアを開けた。
教室中の視線が一気に集まる。
その中でも、一際悪意に満ちた視線を向ける人物が、こちらに唾を飛ばす。
「お、今日も懲りずに来るとかマジでマゾなのかなぁ? マジマゾ? 『ヒーロー』気取りの優月くぅん?」
汚く歪んだ顔で俺――
「プックク、あんなド変態マゾ男に助けられたとか、恥ずかしさで死にそうなんじゃないのぉ? ねぇ、豚男」
甲高い声ではしゃぎながら、近くにいる肥満体型の眼鏡男の背中をバシバシと叩いているのは、同じくいじめの主犯格の高枝だ。ちなみに、主犯格同士はカレカノの関係らしいが、クズ同士よくお似合いだと思う。使用済みのトイレットペーパー並みにクソほどどうでもいいが。取り巻きたちも奇声を上げている。無視。
俺がいじめられるようになった切っ掛けは、今、高枝に背中を叩かれているデブ――中野が斎藤達にいじめられていた所を助けたことだ。たまたま校舎裏で殴られているところを見かけて、それをかばった。その時に、斎藤達は俺の方にも殴りかかってきたので、小さいころから祖父に教わり、今なお研鑽を続けている古武術――『
それがよほど悔しかったのか「覚えてろよ」とかいう雑魚キャラ特有の捨て台詞を残して逃げた。
まあ、そのあとはお察しの通りで、いじめのターゲットが俺になったというわけだ。しかし、中野の時とは違って暴力ではなく精神的な方面でのいじめだった。多分、暴力では俺にはかなわないと判断したのだろう。それは賢明な判断であったが、できればその賢明な判断でいじめもやめてほしかった。
いじめられてるのなら、古武術使って黙らせればいいじゃん! と思うかもしれないが、それは、俺を武道家たらしめる矜持が許さなかった。
斎藤達のような武道の経験もないであろう素人に拳を向けることは、我々武道家の禁忌なのだ。
そして、何よりも驚き、傷ついたのが、俺が助けた中野の反応だった。中野を助けてからちょっと経った頃に、俺は中野がまたいじめられてるのではないかと心配になったので、声をかけてみることにした。
「よっ、中野、あれから何かひどいことされてないか?」
片手をひらひらと上げ、できるだけ自然に声をかけてみたのだが、聞こえていないのか何なのか、反応がなかった。
「おーい、中野ー、聞こえて……」
「……僕に話しかけないでもらえるかな」
「え?」
中野から帰ってきた返事は、思いもよらないものだった。淵の太い眼鏡の奥の瞳が、侮蔑の色で染まっていた。
「助けてもらっておいてなんだけど、君みたいな、男として最低な人間に助けられるくらいなら、僕はいじめられている方がまだよかった」
「い、いや、何言ってんだ中野。なんで俺が最低な男とか言われなきゃならないんだよ」
「……聞こえなかったの? 僕に、話しかけないでってば」
「――――」
俺は言葉を失った。言ってる意味が分からなかった。俺は、良くも悪くも普通に生きてきたつもりだ。古武術はもう少しで免許皆伝、割と多趣味、そのくらいしか特筆することはないが、それ以外はいたって普通に生きてきた人間なのだ。それがなぜ、いじめから救った相手に「最低な男」と言われるのか。全く持って理解不能だった。
「……き、ゆ……き、オイ優月! 聞いてんのか、よっ!」
顔面にぶつかった容器からあふれた液体が、俺を濡らした。どうやら、斎藤がお茶の入ったペットボトルを投げつけてきたらしい。少し前のことを思い出していた俺は、斎藤の呼びかけに気づけず、怒りを買ってしまった。
「聞いたよ、アンタ、一組の西留さんのこと、無理やり脱がせて犯したんだってね」
「……は?」
ニヤつきながら、高枝が信じられない言葉を吐く。波が広がるように、教室がざわつく。
俺は、絶句した。もちろん、実際にそれをやって、それが明るみになったからではなく、それ自体が事実無根の冤罪だったからだ。
「俺が梨花を? そんなことするわけないだろ! ふざけるのもいい加減にしろよ」
怒りで赤く明滅する視界を通して、俺は高枝を睨む。
二年前に事故で両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされたのちに、安いアパートを借りて、バイトをいくつも掛け持ちしながら全てのお金を自分でやりくりして学校に通うような、俺なんか足元にも及ばないくらい、すごい女の子だ。
昔は近所住みで仲が良く、事故で両親を亡くして、親戚が誰も援助をしてくれないという事実を知ったうちの家族が、進んで援助をするくらいには家族間の交流もあった。
高校生になってからも仲はとても良好で、よく悩み事を相談しあうような仲だ。もちろん、俺がいじめられていることとその経緯も相談した。
彼女は「あたしが絶対助ける」と言ってくれたのだ。自分のことで精いっぱいのはずなのに「困ったときに助けない幼馴染なんているわけないじゃんっ!」とはにかんでくれた。
それが俺にとってどれだけ嬉しかったことか。どれだけ救われたことか。ぶっちゃけ、梨花のその一言で今日までやってこれたといっても過言ではない。そんな梨花を、俺が、無理やり……?
「そんな、そんなひどいこと……」
悔しさと怒りで今にも眼前にいるクズどもを血祭りにあげたい衝動に駆られるが、ぐっとこらえる。その時、中野と目が合った。その目は、俺のことを完全に侮蔑していた。そう、あの時の目だ。
――そういう事か。あの時中野がなんで俺のことを「最低な男」と言ったのかが分かった。あいつ、自分を助けた人間よりも、自分をいじめてた人間の言うことを信じるのかよ。
悔しさ、怒り、困惑、破壊衝動。様々な感情が心の中で入り乱れて、音を立てて心を蝕んでいく。もはや何の感情なのかもわからなくなり、視界がボンヤリと二重になり始めたころ、遠くで、誰のものなのかはわからない、それでいてはっきりとした言葉が聞こえた。
「――レイプ魔」
多分、というか状況的に、確実にそれは俺に向けられた言葉だった。
意味が、分からなかった。
「もぉどうでもいいからさ、『ヒーロー』気取りのレイプ魔は学校、来んなよ」
めんどくさそうな、それでいてどこか嗜虐的な笑みを浮かべた表情で高枝が俺に言い放つ。それをきっかけに、俺に対する「キモイ」「帰れ」「レイプ魔」「二度と来るな」などの罵声が溢れた。
それを言っているのは、主に斎藤や高枝、そしてその取り巻き達だが、他のクラスメイトはそれを止めるそぶりも見せず、我関せず状態だ。こうなればもうみんな同罪。全員、俺の敵だ。
「――ッ」
口の中に、鉄臭い味が弾けた。意識してみると、どうやら気づかないうちに唇を噛み切ってしまっていたようだ。そこまでして堪えても絶えず飛んでくる罵声にとうとう耐えきれなくなった俺は、思わず教室を飛び出した。
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