武蔵野に咲く花のごと

@kanaeyosi

第1話

 砦の周りは既に紅蓮に染まり、黒い一群が禍々しい雲のように押し寄せて来る。その様を眺めながら、あのお方は、しかし、口元に笑みすら浮かべていらっしゃった。

 「奥よ、もはやこれまでのようじゃ。わしは残った手の者と最後の死に花を咲かせるつもりよ」

 「わたくしめはいかがいたしましょうや」

 「落ち延びよ」

 「いえ、是非にもお供を」

 愛するお方とここで果てるのも、わが運命であろう。だが、あの方は、傍らに控える者に声をおかけになる。

 「頼むぞ。いかようにでもして奥のため血路を開いてくれ」

 「承知仕りました」

 そして、あの方は、わたしを抱き寄せると、耳元にささやく。

 それは、一首の歌であった。わたしは口に出さず心に深く焼き付ける。いずれまた会おうとの想いを込めた、その歌を。

 二人はまた逢える。何度生まれ変わろうとも、いずれどこかで必ず。それが宿世の縁であるから。

 「はい、お待ちしておりますれば」

 「うむ。そうじゃ。これを持て。わしにはもう用のない品だ」

 渡されたのは、「古今和歌集」の一巻である。

 「これは、あの」

 「そうよ、覚えておろう」

 その書を胸に抱き、あの日のことを思い出す。

 それは、まだ、この辺りが平穏であったころ。

初めての出逢いの時、あの方は尋ねた。歌は好きかと。

 「不調法でございますが、詠みまする」

 「そうですか、わたしも、いたって下手な歌詠みですが、世にとってはそちらのほうがよろしいでしょう」

 そして、いかにも大切なことを告げるように付け加えられた。

 「鬼の目にも涙ぐらいならまだしも、天地が動いては大変なことになる」

 思わず笑いをこらえ、袖を口にあてる。

 それが、もとより、異つ国の「詩経」の序にならって書かれた「古今集」仮名序の「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」からのもじりであることは、自分の如き浅学の者でもわかる。

 一気にこのお方を好ましく思いなし始めた。家同士の思惑で、意に沿わぬ縁を無理矢理押し付けられるのは乱世の習いと、半分諦めに似た気持ちであったが、このお方の心根をうかがうことで、それが、喜びに変わっていくような気がしたものだ。

 「わたくしめが歌の師と自ら心に頼むお方は、とうに亡くなられておりますが、これがなかなかの御仁でしてね」

 そう言って教えてくれたのが、こんな一首であった。


 武蔵野の折べい草はおほけれど露すぼこくて折られないもさ


 武蔵野には折らねばならない草は多いが、露で滑って折られぬことよ、そんな意であろうか。これにはもう耐え切れず、笑い声をあげてしまった。

話し言葉の終わりに「べい」や「もさ」を使う、このあたりの訛りを詠み込んでの戯れ歌である。聞けば、そのお方がかつて上京の折、堂上人の前で披露したものであるという。

 「さすが、草深いあづま人の歌よ、と手を打って喜ばれたそうですよ」

 だが、かようなものもございます、とさらにもう一首詠まれたという。


 露おかぬかたもありけり夕立の空より広き武蔵野の原

 

「まず、師には、ほんの小手調べといった程の一首でしょうが、これにも堂上のお歴々は感心されたとか。都人と申しても所詮、本物の歌心のあるものはそうはいないということかな、と後に笑っておられたとか。そんなことも伝わっておりますよ」

そうした話に、心の中に温かいものが広がっていくのを感じた。このお方と添うことはさだめ、それも今の世よりも前から決まっていたことなのだ。

 だが、幸せな夫婦として過ごせたのも、そう長い時ではなかった。やがて、二人の住む地から、さらに遠くの、そして強い力を持った一軍が、平穏な暮らしを奪うべく攻め寄せて来る。あのお方は、従う者たちとともに勇ましく戦われた。しかし、敵の力はあまりにも強大であった。


 「奥さま、お急ぎくださいませ」

 わたしを抱きかかえるようにして、抜け穴に押し込めた。狭く薄暗い道をたどり、砦の裏手にある空井戸の縄梯子を上り、外に出る。

 「一刻も早う、ここを離れませぬと」

 その時だった。数人の影が取り巻く。

 「ちっ、間に合わなかったか」

 刀を抜き放つと、わたしを背後にかばい、その影に対峙した。

 「奥さま、申し訳ござりませぬ。もしもの時は、お覚悟を」

 無言のままうなずき、懐剣を手にした。影の一つが切り倒された。瞬間、もう一つの影が、襲いかかる。

 絶叫が聞こえた。その声を合図に、わたしは抜き放った刃を喉に突き立てた。

 どれくらいの時が過ぎたのだろうか。

うっすらと目を開ける。わたしを覗き込む人の顔が見えた。叫ぼうとしたが声が出ない。喉に走る激しい痛みに、再び気を失った。

丸太を無造作に組み上げただけの薄汚い天井が目に入る。わたしはどこかの小屋の床に転がされているようだ。

 「気がついたかい」

 声を出そうとしたが、息が漏れるような音がするだけ。

 「無理さ、喉がつぶれてるよ」

 そう言ったのは、見たこともない女である。若くはないようだ。だが、ぞっとするような妖しい淫らさを感じさせる。やがて、この女が、安達が原の鬼女にもまさる魔物と知ることになる。

 「助けてやったんだから、お前さんにも稼業を手伝ってもらうよ」

 その仕事とは、鬼畜の所業であった。戦の場で倒れた男たちからの追剥、甲冑や刀や槍、あらゆるものを剥ぎ取っていく。それを、知る辺の野武士たちに売って、いくばくかの銭を得ていた。

 やがて、いつか、わたしも、その鬼畜の所業を共にする仲間となった。せめてものことは、その骸に隠れるようにして手を合わせ、念仏を唱えることだけであった。

 戦がなければ、女は白粉で化け装い、野武士らを相手に酒を売り、色も売る。そして、否応なく、わたしも同じ苦役を強いられた。

 いつまで続くかわからぬ無間の煉獄での暮らし。やがて、それは突然のように終わった

ある朝のことだ。鬼はまだ眠っているのだろう。物音を立てぬように、奥に行こうとして、いつもと様子が違うことに気付いた。あまりにも静か過ぎる。寝息すら聞こえない。傍に近寄って、そのわけが分かった。既にこと切れていた。凄まじい顔つきは、断末魔の苦悶がどれほどのものだったのかをうかがわせる。

わたしは、手を合わせ経を唱えた。鬼とて仏になれば、恨みもなにもない。

 鬼の住処に火を放ち、立ち去った。身にまとうのは墨染めの衣、行き倒れの尼が着ていたものだ。強欲な女は、その衣すらいくばくかの銭に替えようとした。だが、そのようなものを購う者がいるはずもない。捨てようとしたそれを、わたしが隠していた。ひょっとしたならば、いつか使うことをあらかじめ感じていたためかもしれない。

 そして、愛しいあのお方を始め、戦さにより無念の死を遂げた者たちの菩提を弔う旅へと出た。自らの死地を求め、諸国をへめぐり、長い歳月が流れた。

 再び、この武蔵野に立つことになろうとは。見知らぬ地で土になるであろうと思いなしていた。だが、またここに戻ってくることとなった。

 目の前に広がる景色は、かつて愛しいあのお方と二人で眺めたあの日々のものと何ら変わりはないように見える。

そして、あのお方が歌の師と仰がれた古の武将、太田道灌さまも、またこの同じ野を眺め、風をお感じになられたのであろうか。

道灌さまも、わが愛しいお方も、ともに非業の死を遂げられた。だが、武蔵野はそのような人の世の事などを知るよしもなかろう。


武蔵野は萱原の野と聞きしかとかかる言葉の花もあるかな


 ふと、ある歌を思い出した。道灌さまの歌を聞かれた時の帝が、お詠みなされたといわれる一首である。

萱ばかりと見ゆる野にも、間違いなく花も咲く。残された日々を、その花をよすがに、この野で過ごしていこう。

そういえば、ここに戻る途中の道すがらのこと。道灌さまゆかりの江戸に、徳川さまというお方が入られたと聞いた。山を削り、海を埋め、さまざまな大普請がなされているとかいう。

さすれば武蔵野も変わっていくのであろうか。それはわからぬ。


遠くで手を振る姿が見えるような。あれは幻であろうか。愛しいあのお方ではないか。

そのようなはずもないことは承知している。だが、心が震える。初めてお逢いした、あの日のように。そして、ただ立ち尽くしていた。

いつまでも。

いつまでも。


                              完結

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