それは夢のような本当の話 4.放課後の教室

「元くん、今日の放課後ちょっと時間ある?」

 沙耶が珍しく真顔で言葉を掛けてきたのは部活も引退してそろそろ本格的な受験勉強に突入する十月のある日。ここ数日、妙に元気がなかった彼女だけど、なんだろう?

「まあ、あるけど」

「そう、じゃあ教室で待ってて」

「わかった」

 そのなんだか思い詰めたような表情が気に掛かった。


 放課後、一緒に帰ろうと行ってくる元部活仲間の級友を適当にあしらって教室に残っていた。三々五々皆が帰って行く。沙耶はどこに行ったのか教室にいなかった。まあ、待ってろと言ったんだからそのうち帰ってくるんだろう。やがて教室に一人になった。十月の放課後の教室は開け放たれた窓から秋の涼しい風が入り込んで過ごしやすい。

「それにしても、どこ行ったかな?」

 沙耶が帰ってこないので手持ちぶさただ。いったいなんの話だろう? 特に用事もなかったはずだし、こんな呼び出すような話って? うん? 放課後……呼び出し……それって……。頭の中にある考えが浮かんで急激に心臓の音が大きくなる。首筋から熱がはい上がってきた。い、いや、ちょっと待て。落ち着け。今更、そんなこと無いだろう。だって俺たちもうずっと一緒で腐れ縁みたいなもんじゃないか。正直、俺は沙耶に対する自分の気持ちが分からなかった。一緒にいることが当たり前すぎて。それは彼女だって同じはずだ。だから、いまさらあり得ない。それとも……沙耶は違うのか?

「元くん」

「わお!」

 突然声を掛けられて飛び上がる。沙耶が教室に戻ってきた。

「よかった。まだいてくれた」

 心を落ち着けながら見るとなぜか彼女は私服だった。

「なんだ、家に帰ってたのか?」

「そうじゃないんだけど……」

 沙耶は俺の前まで歩いてくると俯き加減に立ち止まる。そのままなにも言わず突っ立ったままだ。その沈黙が俺の心臓をまた速くした。

「どうしたんだよ?」

 絶えきれずに言うと沙耶が俯いていた顔を上げた。その拍子に彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「え?」

 さっきとは違う意味で心臓の音が大きくなる。普段から明るくて滅多に泣いたところを見たことがない沙耶が泣いてる? どうして? 何があった?

「おまえ、なんで」

「あのね!」

 沙耶が涙声で叫んだ。

「……わたし、もう元くんと会えなくなる」

「え?」

「引っ越しするの」

「……引っ越し?」

 その言葉の意味が一瞬分からなかった。分かると同時に心臓がキュッと痛くなる。体温が一気に下がった。

「いつ? どこに?」

擦れた声が口から漏れる。

「いまから。関西の方……」

「うそだろ」

 今からとか急すぎるだろう。

「なんで? そんなこと一言も言ってなかっただろう? ホームルームでもなにも言われなかったし、どう言うことだよ!」

 思わず声が大きくなってしまう。沙耶は苦しそうに答えた。

「みんなには明日先生が連絡してくれることになってるの。お父さんの仕事で急に決まって、だから……」

「だからって、急すぎるだろう。それに、俺たちもうすぐ受験だし、こっちに残れないのかよ」

「うん、わたしもいろいろ言ってみたんだけど、難しいって……ダメだって……」

 沙耶の声が涙で途切れる。

「い、今まで言えなくて、ごめんね。いままで、ありがとうね」

 泣きながら笑顔を作ろうとする沙耶に、俺は何も言えなかった。いろんな言葉が頭の中をぐるぐる回って、でも言葉にならない。胸が締め付けられた。

「も、もう行くね。さよなら、元くん」

「あ……」

 沙耶は何かを振り切るように教室をかけ出していった。俺はその後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。


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