第59話


アイシャによって闘技場の中は、吐息にキラキラと光を反射する細やかな氷が混じるほどの低温の世界に作り変えられた。


氷の世界を作り出した本人は、何でもないような顔をして立っていた。

キラキラと氷が舞う中で立つその姿は幻想的で、白い世界の中で赤金色が花を咲かせているような様を見た人たちは心を奪われる。


闘技場の中にじわりじわりと冷気を満たしていた時とは違い、ほとんど一瞬にして作り出された氷の世界は、アイシャを焼き尽くさんばかりに燃えていたクィンの炎を消しとばした。


「…やはり、足りませんでしたか」


身体の一部が炭化しながらも、かろうじて二本の足で立っているクィン。


もう魔力はほとんどない。視界は霞み、身体は痛みという感覚のみを鋭く訴えかけてくる。まさに満身創痍といったところか。

風が吹いただけで肌が刺すような痛みを感じる。


自分が命を削る勢いで向かって行ったとしても、かすり傷程度も傷を負わせることができなかったと笑う。


そんなクィンの姿をアイシャはただ見つめていた。

その瞳には何の色も映してはいないが、それでもクィンは自分のことを嘲るようなものではないのは感じ取ることができた。


守られるべき王族であるというのに、この強さ。分かってはいたけれど、それでも悔しさで泣きたくなる。


泣こうと思っても自分を燃やし尽くしたせいか、涙の一つも出てきやしない。

それほどに身体の水分が失われてしまった。


結界の中では死なないと分かっていても、枯れ果てた自分の身体と、炎が全身を焼く痛みはまさに地獄だった。今も痛みが身体中を襲っている。

試合中は痛みに耐えることができていたけれど、こうまでされてしまってはもはや自分に勝ち目はないだろう。


「…敵いませんでした。私の負けです」


かすれ声で敗北を宣言し、崩れ落ちるクィン。

その声は、シンと静まった氷の世界の中であってもしっかりと届いた。


「第三試合終了。

勝者 アイシャ・ジオール」


センコウが告げると同時に、闘技場の中は試合が始まる前の状態に戻っていく。


氷の世界は少しずつ元の世界へ。

温度も徐々に普通へと戻る。


それはクィンの身体も同じことで、彼女の炭化した身体は元に戻り、試合前の傷ひとつない状態に戻る。


それでも、精神的なダメージは回復しないため、クィンは立ち上がることができないでいた。

苦痛は無くなったけれど、それに耐えるためにすり減らされた精神力はほとんど限界に近い。


そんなクィンに影が差す。

それが誰のものなのかは分かっていたけれど、声を上げることも、顔を上げることすら今は辛かった。


それでも影は何も言わずに自分の前に佇んでいた。

なんとか顔を上げると、アイシャが手を出していた。


「よくやったわ」


たった一言ではあるけれど、クィンにとっては最大の褒め言葉と思えた。

たとえ敵わなくとも、自分が頑張ったのは無駄ではなかったのだと報われたような気がした。


クィンがゆっくりと手を取ると、アイシャはその手をしっかりと握る。


あんなに恐ろしいほどの氷の魔法を使っていながら、手は普通の人と同じで温かい、とどうでもいいことを考える。


そのままアイシャの顔を見ると、クィンは恐ろしいくらい真剣な瞳で見つめられ、思わず息の仕方を忘れた。


「けれど、命を燃やすような戦い方はやめなさい。私は、誰も自分のために死んで欲しいとは思わないわ」


最後に力を緩めてふっと心が安らぐような笑みを向けられ、頬が紅潮するのを感じるクィン。


クィンはそこまで見抜かれた自分を恥じる。

そして、こんなことを言わせないためにも、より一層真剣に修練に取り組むことに決めた。


「はい。ありがとうございます」


ぐっと手を引いて立ち上がらせてくれたアイシャに礼を言い、頭を下げる。


その頭に温かな感覚。


「気持ちは嬉しかったわ。けれど、あなたも私が守るべき民の一人なのだから、私が負けるわけにはいかないの」


アイシャはクィンの頭を撫で、勝った自分は相手を苦しめるだけだと彼女に背を向けて下がった。


「もったいないお言葉です」


背中にクィンの声を感じたけれど、アイシャは振り向くことはなかった。


「なんだ、大したことないな」


観客席から聞こえて来る声。

その声にクィンはぴくりと身体を震わせ、顔を伏せたまま固まる。


「所詮は魔法も満足に扱えない自殺行為じゃないか。よくそれでアピールしに出てこれたもんだよ」


声を上げたのは赤チームにいた男。

第一戦の的当てに参加はしていたものの、早々に脱落していた。


その時もさして抵抗は見せていなかったから後に力を温存していたのか、単にやる気がなかったのかはわからない。


「しかも王女さまもムキになってあんな魔法使っちゃってさ! そんなに魔力の無駄遣いとかしちゃっていいの? あとに響くんじゃないんですかー?」


整えられた髪を撫でつけながらやけに大きい声で言う。


それを聞いたアイシャはチラリとその男を見て、これ見よがしにため息をつく。


「あなたが心配することではないわ。それに、彼女のことをあまり侮辱しない方がいいわよ」


「はー? 雑魚に雑魚って言って何が悪いんだよ!」


それを聞いて目を細めるアイシャ。

何を言っても無駄だと会話をすることをやめる。


それに、彼はこのあときついお灸を据えられることだろう。


アイシャの目には、遠くで見ていた自分の兄と、クィンの兄であろう人物が映っていたのだから。

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