第50話
「…すごい」
キャロルは目の前でラシューが動き回るのを呆然と眺めていた。
結界から出た瞬間、ラシューの周囲にいたゴブリンの頭が弾けた。
キャロルは何が起きたのかまったく理解できていなかった。
けれど、ラシューの手がゴブリンの血で濡れていたのを見て、ラシューが拳で打ち抜いたのかもしれないという予想はできた。
「キャロルさんはそのままもう少し待っていてください」
ラシューはキャロルに声をかけながらも軽やかに駆け出し、素早くゴブリンを排除していく。
「ギャッ!」
自分の拳がゴブリンを打ち抜く感触が気持ち悪い。メキメキと頭蓋骨を沈ませる嫌な音と、肉を叩く感触。
気持ちが悪い。
「グエェア!」
鋭く足を振り抜いてゴブリンの首元を斬り裂く。殴る感触が嫌になったので速さに任せてみたのだけれど、これは案外悪くないかもしれない。
ラシューは手足に魔力を纏わせて、薄く刃のような形を作る。
手を手刀の形にして、ゴブリンの首を斬り落とし、足でゴブリンを一刀両断にする。
「アギャァ!」
肉を殴る感触がなくなったのはいいけれど、代わりにゴブリンの血を浴びることになったのは失敗かもしれない。
生暖かい血飛沫と濃密な血の匂いに包まれて吐きそうだ。
そんな気持ちをぐっと堪えてラシューは動き続ける。早く終わらせて体を綺麗にしたいと思いながら、ゴブリンたちの命を刈り取る。
『そこまでだ』
ズン、と威圧感がのしかかる。
ちょうどゴブリンの喉を貫いたラシューはずるりと手を抜き出して手を振って血を払う。
身に纏っていたフード付きのローブはゴブリン達の返り血でぐしょぐしょに濡れてしまっている。
これは後で弁償してもらえるんだろうかと遠い目になってしまう。
周りのゴブリンたちはすっかり大人しくなってラシューから距離を取っているため、残っていたのは最初にラシューとキャロルに気づいた人型のゴブリンだけだった。
他とは桁違いに強そうな気配を持つそのゴブリンに、キャロルはこくりと喉を鳴らす。
あれだけ強いラシューなら大丈夫だと思いつつ、心配を隠しきれない。
そんなキャロルを見てラシューは微笑んで、静かにゴブリンへと目線を移した。
「あなたを倒したら他のゴブリンも大人しくなりそうですね」
『よくも同胞を殺してくれたな』
ゴブリンの親玉らしき人型ゴブリンは自分の周りで潰され、首を落とされ、急所を貫かれた同胞の姿に喉を低く鳴らして唸る。
「ああ、周りで死んだゴブリンたちが気になりますか? けれど、あなたたちも同じようなことをしているじゃないですか。
自分たちが生きるために僕たちを殺している。僕たちは生き残るためにあなたたちを殺す。ただそれだけのことです」
ラシューは人型ゴブリンを見つめて静かに告げる。それが相手に理解されていないだろうということはわかっていた。
けれど伝えられずにはいられなかった。
自分はただ殺しているのではなく、そちらが攻撃してくるから反撃しているだけなのだと言い訳をする。
これがジルならば、問答無用でゴブリンたちを殺して終わっただろう。
アイシャならば、慈悲も与えず自分の邪魔になる魔物をなぎ倒しただろう。
「もっとも、話したところで理解はされないと思いますが」
歯を剥き出しにして唸り、飛びかかってきた人型ゴブリンに一人棒立ちで待つラシュー。
『死ね!!』
「危ない!」
棒立ちのラシューに危険だと声を上げるキャロル。
先ほどまでのラシューの動きを見ていればどうということもない攻撃だったはずなのに声を出してしまうのは、ひとえに彼女が優しいからだろう。
『ウボォァ!』
「…すみません。というのは僕のエゴなんでしょうね」
すれ違いざまに人型ゴブリンの腕を落とし、胸を貫き、心臓を握り潰す。
人型ゴブリンから急速に目の光が失われていく。
ドサリとその場に倒れ伏す人型ゴブリン。
それを見て周りのゴブリンたちは慌てて逃げ出していった。
もう結界も必要ないだろうと、キャロルは結界を解除してラシューに近寄る。
自分を助けてくれたラシューは、いかにも不愉快であるといった表情を隠すことなくその場に立っていた。
「ラシューさん?」
「…僕は、戦うのがあまり好きではありません。
相手を殺すあの感覚が嫌いです。殴った時の感触も、骨を折る音も嫌いです。
けれど、それでも僕は武器を使おうとは思えません。
嫌いだけどせめて、自分の手で感触を覚えておこうと思う。
それは、僕のわがままなんでしょうか」
ぽつりぽつりと話すラシューをキャロルは静かに見ていた。
「私はラシューさんのこと、すごいと思いますよ」
そう告げるキャロルのことを、沈んだ瞳で見返すラシュー。
「生き物を殺すことを
きっとラシューさんは、他の人や生き物の気持ちを感じ過ぎてしまうんですね」
すっとラシューの手を取るキャロル。
ラシューは自分の手が血で濡れているから、キャロルの手が汚れてはいけないと手を引き抜こうとするけれど、思っていたより強い力で握られていたため振り解けなかった。
「大丈夫ですよ。ラシューさんのこの手は、私を守ってくれました。
そんなあなたが、私はとても素敵だと思いますよ」
目をそらさないで笑うキャロルが眩しく思えて、ラシューは顔を俯かせた。
けれど、そう。この子が大丈夫だと言ってくれたなら大丈夫なのだと不思議とそう思えた。
「ありがとうございます。キャロルさん」
「はい。辛くなったら、私も一緒に背負いますから」
にこにこと笑いながらラシューの血を魔法で消していくキャロル。
周りの血の匂いも気にならないように遠ざける。
立ち直ったラシューはなんだか恥ずかしくなってキャロルの顔を見ることができなかった。
反対にキャロルは自分を助けてくれたラシューが悩む姿になんだか親近感のようなものを覚えていた。
これだけ強い人でも自分と同じように悩みを持つ人間なんだと思った。
「とりあえず、魔法陣はすぐそこですから、早く終わらせてしまいましょうか」
「そうですね」
なんだかぶっきらぼうなラシューのそれが照れ隠しのようじゃものだと気がついていたキャロルはくすくすと笑いながら先を行くラシューに続いて魔法陣に足を踏み入れた。
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