第30話
スンナの店から歩いて十数分。それなりの距離を歩いてやっと見えてきた喫茶店には多くの人が集まっていた。
周辺の建物が石やレンガなどで作られている中で、木で造られた喫茶店の佇まいは他と比べたら目立つものであったけれど、それでも不思議と周りと釣り合いが取れていた。
「すごい混んでるね。どのくらい待つことになるんだろう?」
「そうね…一時間くらいじゃないかしら?」
「わあ…でもまあ仕方ないよね。とりあえず一番後ろに並ばないと始まらないね!」
エリンとアイシャは最後尾に並ぶ。
前には仲の良さげな老夫婦や若い男女のカップル、彼女たちと同じように女性同士で来ている人など老若男女様々な人が並んでいる。
どんな年齢の人であっても新しく来たものが気になるのは変わらないのだと思いながら何となく人だかりを眺めながら、エリンとアイシャの二人は雑談に興じる。
アイシャの普段の暮らしや、興味のあるものの話。エリンの好きな食べ物や得意なことの話。
なんでも美味しそうに食べていたエリンに好きな食べ物があるのがあるのは当たり前だけれどなんだか面白いと思いアイシャは笑う。
王族の暮らしは自分が想像していたよりお気楽なものではなく、国民の生活の上に成り立っている責任があるのだと難しい顔をするエリン。
身分は違うけれど、偶然出会った二人は仲の良い友達となった。
その偶然はジルが引き寄せたものではあったけれど、結果的に仲良くなれたのはお互いが歩み寄ったからだろう。
このまま仲良く過ごせたら良いとアイシャは穏やかな気持ちでいた。
「そこをどけ、庶民共! ズールー侯爵の通り道であるぞ!」
しかし、穏やかな気持ちは決まって長くは続かないものだ。
無駄に煌びやかに装飾を施された馬車に乗った御者が喫茶店に並ぶ人たちに向かって吠える。
こういう貴族がいるから、貴族とは威張り散らす人間のことだと国民の中で濁りが溜まっていくのではないか。
一般人は貴族に逆らったりすることができない。それは権力がないために、勝つことができないからだ。要するに、力がないから従うしかない。
それをわかっていて、普通の貴族であれば、理不尽なことは行ったりしない。民が自分たちの生活を支えており、民のために自分たちが働いていることをわかっているからだ。
「はあ。こんな頭の悪い貴族が残っているだなんて我が国の恥さらし以外の何者でもないわね」
「…アイシャってたまに辛辣だよね。正しいんだけど、言葉遣いとか丁寧なのに怖いというか…」
「王に連なるとはそういうことよ」
「どういうこと!? 今なんの脈絡もなかったよね!?」
正しく、そして厳しく。国民に尽くし国民に尽くされる王であれ。
ジオール王国の王になるときに胸に刻む掟のようなもの。王によって多少は違うけれど、大意は国民のために国を守ろうというもの。
アイシャは王ではないが、その掟を胸に刻んでいる。
「こんな頭の悪い貴族なんて我が国には必要ないってことよ」
それなりに聞こえる声でアイシャは言う。よく通るその声はズールー侯爵の御者とやらの耳にも入ったらしい。
「そこの女! 今なんと申した! 事と次第によっては首を飛ばしても構わないのだぞ!」
「あら、耳が悪いのかしら? 国民に尽くせない貴族なんていらないって言ってるのよ」
隣で固い表情を浮かべるエリンとは反対に不敵な笑みを浮かべ御者を見るアイシャ。御者の男は顔を真っ赤にして今にも飛びかかってきそうだ。
「もう許せん! ズールー侯爵の名の下に切り捨ててくれる!」
剣を抜き馬車を降りてくる御者の男に、周りの人々は混乱に慌てて距離を取る。
残されたのは一歩も動かないアイシャと隣にいるエリンのみ。
「よく見たらいい女じゃないか。泣いて許しを乞えば生かしておいてもいいんだぞ?」
いつまでも上から目線で話してくる御者の男をアイシャは鼻で笑う。
「あら、私にはそこら辺の石が話しているようにしか見えないけれど?」
「どうしてそんな煽るような事言うの!」
慌てるエリン。けれど頭ではアイシャってこの国の王女様なのにどうして貴族の御者なんかに喧嘩を売られているんだろうと不思議に思っていた。
それに加えて、自分が絶対的に優位だと言わんばかりの態度。王女様が戦う訓練をしているわけでもないのに、どうしてだろう。
「貴様もう許さんぞ!」
「どうぞご自由に」
ガシャガシャと甲冑を動かしながら突撃してくる男にアイシャは一歩も動かない。
「うおお!」
剣を振り上げる男の迫力にエリンは思わず目をぎゅっとつむる。
目を閉じて十秒、二十秒…いくらたっても何も聞こえないのを不思議に思って目をゆっくりと開く。
「……なにこれ」
エリンの目の前にあったのは剣を振り上げた御者の男の形をした氷の彫像。
「殺したわけじゃないわ。ただ固まって動けないだけで、耳は聞こえるようにしているの。ここまで来るのに沢山…それはもう沢山練習したのよ?」
そう言ってエリンに柔らかく笑いかけ、氷の像に近づくアイシャ。
「さて、どうしましょう。生意気なことを言っていた舌を切り取る? それとも一生動けないように足でも落とそうかしら? 大丈夫よ、痛くはないもの。ただなくなるだけ」
笑顔を崩さずに話し続けるアイシャに周囲はドン引きだった。
一方のエリンはあの一瞬で魔法を発動させて、しかも完全に制御しているアイシャの腕に驚いていた。
今まで魔法に関しては自分を上回る人を見たことがなかったから。
自分と対等…もしくはそれ以上の人がいるんだとわくわくした気持ちすらあった。
「待て」
そう言って馬車から出てきた巨漢の男。
おそらく彼がズールー侯爵であろう。
鍛えた身体ではなく不摂生から生まれた大きな身体。
「あら、ズールー侯爵。ご機嫌よう」
「あ、あなたは…アイシャ様…!」
今さらに誰を相手にしているのか気づいたズールー侯爵は頭を地面につけ許しを乞う。
「申し訳ありません! まさか相手がアイシャ様だとはつゆ知らず…!」
「そうなの。私は誰が楯突こうとどうだっていいけれど…それで?」
「す、すぐにここから去ります! だからどうか命だけは…!」
「…まあ、いいでしょう。今日は機嫌も良いし、見逃してあげましょう」
アイシャがすらりと長く美しい指を鳴らすと、先ほどまで凍っていたのが嘘かのように、御者の男は氷から解放された。
凍っていた時のことが聞こえていたため、顔は青ざめていて今にも倒れそうではあったが。
「おい、早くいくぞ!」
「は、はい…!」
足をもたつかせながら馬車に逃げ帰るズールー侯爵とその御者。
逃げ帰るというのにその目は忌々しげにアイシャを見ていたが、アイシャは気づいていてその目を無視した。
馬車が走り去っていき、周りの人々が湧いた。
アイシャを囲み様々な人が礼を告げては去っていく。
アイシャが王族だということがバレていてもこの対応なのは、彼女が小さい頃から王都に遊びに出てきていたのが大きい。
この王都に限ってだが、ここは彼女の庭みたいなものなのだ。王都に住む人のほとんどは顔見知りだし、王都を王女が歩いていたとしても騒ぎになったりはしない。
それどころかいつもはジルが一緒にいるので今日はあの男の子はいないのか、暇ならお茶でもとか誘われる始末。
「気が良いのはわかるんだけど、人気すぎるのも考えものよね」
「あはは…」
喫茶店にようやっと入った二人は席に着きながら乾いた笑顔を浮かべた。
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