第5話
少女の返事を聞かないで歩き続けること数分。足を止めるだなんて無駄なことはしない。
歩いている途中であっても少女は『ちょ、ちょっと待ってください!』『あなたは誰なんですか…?』『まさか人攫い…いや、でも助けてくれたし…』『せめてどこに向かっているかだけでも教えてくれたって…』などと忙しそうだったので声はかけなかった。
やっとこさ着いたよ。相変わらずボロい見た目だなあ。大通りから少し外れたところにあるとは言え、ここが食事を提供している店には見えないだろう。
『吉報亭』
そう書かれた看板は年季を感じさせるものがあり、実際この国ができたころからある店だとかそうじゃないとか言われている。真実なんてどうだっていいんだよ。美味しいんだから。
「な、なんなんですかここ…まさか奴隷市場……!? 私、売られる…?」
吉報かどうか、名前はさておき王国では奴隷の売買も取扱も所持も認められていない。
顔色悪く呟く少女に俺は呆れる。
「人聞きの悪いこと言うなよな。ここは食事処だよ。まあ、店主の顔は悪どい商売をしている奴のそれに近いかもしれないけどさ。一応味は保証するよ」
「は、はあ…」
ガラガラと喧しい音を立てながらドアを引く。押し開きでも引き開きでもなく横に引いて開けるタイプ。そのくせドアノブなんてものを付けてるんだから店主の性格が伺えるな。
「いらっしゃい…って、なんだジルか! 久しぶりじゃねえか! 入れ入れ! ん? 遠慮すんなって後ろの嬢ちゃんもさっさと入んな!」
「やあ久しぶり、バジン。朝早くから悪いね。簡単でいいから朝ごはんが欲しいんだ。二人分お願い」
「任せな! 適当に座って待っとけ!」
俺らを出迎えてくれたのは髭と髪の毛が逆だろうと言わんばかりに髭を蓄えたじいさん。頭はハゲでひげもじゃってことだ。街を歩けば人殺しに間違われそうなもんだが…生来の性格か、口を開けばただの気のいいおっさんだ。
バジンに勧められたので、適当なテーブル席に腰を下ろす。少女もおずおずと対面の席に腰を下ろすが、忙しなく目がきょろきょろと動いているし居心地悪そうにそわそわしている。
トイレに行きたいのなら早く行ってきたほうがいい。すぐそこにあるから。
「別に取って食おうってわけじゃない。流れに任せたとはいえ一応保証人になったから君がどういった人なのか少し話を聞きたいだけだよ。言いたくないことなら言わなくていい。言いたくないとそう言えばいいだけだ。ただ、嘘は許さない。いいね?」
「は、はひ」
俺の言い方がきつかったか。少女はすっかり固まってしまった。が、まあ話していけば慣れるだろうと放っておく。
少女が王国の敵にならないようなら俺のやることは何もない。まあ、この様子だと特に何もないと思うけどね。
「話を始める前にまずは俺のことから知ってもらおうかな。
俺はジライアス・ハウンド。一応ジオール王国の子爵家の次男坊やってる。で、自分で言うのもなんだけど君がなんか困ってたからなんとなく助けた酔狂な男。普通の貴族だったら助けたりしないからね、貴族のみんながみんな俺みたいだとは思わない方がいいよ。それで君の名前は?」
「わ、私はエリン・シェルフと言います。出身は…ジオール王国の端っこの田舎の方で…えと、大学校の受験をするために来ました。
これが、その、推薦状です…」
エリンはそう言うと懐から大事そうに一通の手紙を取り出した。
推薦状があるのならそれが身分証の代わりになったんじゃないのかな?
自分で田舎出身と言っているしそこまで頭が回らなかったのかな?
「ちょっと見てもいい?」
「は、はい」
受け取って推薦状に押された封を見るに、これはエングラム辺境伯の推薦状らしい。王国の端っこの方ねえ…間違ってはないんだろうけど、あまりに曖昧だ。口外しないように口止めされてるのかな?
大学校の関係者でもないので封を開けるわけにもいかず、手紙の質と封を確認するだけですぐに封筒を返した。
「これはエングラム辺境伯の推薦状だね。あの偏屈ジジイが珍しい…見せてくれてありがとう、返すよ」
「ありがとうございます…その…辺境伯様のこと、ご存知なんですか?」
「まあね。何度助けてやったことか…そのくせ俺に余計な縁談を持ってきやがって…っと、これは関係ないか」
一回り以上も年下だったり年上だったりの女性との縁談だなんて女性には申し訳ないが願い下げだ。
あのジジイもそれがわかってて縁談を持ちかけるんだからタチが悪い。
子爵家ではあるけれど、我が家は父の影響もあってか一目置かれている。それに加えて優秀な兄もいるので一部の貴族からは疎まれているらしい。が、報復を恐れて手を出すような貴族はいない。どうやら母さんが何かしたらしいけど、詳しいことは聞かされていない。
「縁談なんて…本当に貴族様なんですね…!」
目を輝かせて話に食いつくエリン。
あまりいいものではないと言ってもわからないかもしれないな。
「まあね。とはいえ、貴族と言ってもいいのかわからないほど端っこの子爵家だけどね。だから周りに敵も多いんだ。あ、エングラム辺境伯は一応味方だから安心していいよ」
「よかった…私、辺境伯様にはとてもよくしていただいていて…大学校の学費も支払っていただけるそうなんです。家族への仕送りや支度金までいただいて本当に感謝していて…」
「ふうん。あのジジイもたまには良いことするんだね。それで、大学校へは何をしに?」
「辺境伯様のお役に立てればと思っているんですけど…どうやら私には治癒魔法の才能があるみたいで。それについて学んで来いと言われたので、もしそれでお役に立てるならと」
「へえ、珍しいね。俺も治癒魔法を使う人は数えるくらいしか知らないけど…うん、それはあまり口外しない方がいいよ。余計な火種になりかねないからね」
「わ、わかりました」
この子はどうやら自分が希少な才を持っていることの自覚があまりないらしいな。大学校で学んでいたら嫌でも身につくかな? どうだろうか?
最悪、俺が助けると言う手もあるけど…保証人になっちゃったし。いやでも正確にはアイシャの責任で預かってるわけか。じゃあアイツに丸投げでもいいかな。
ある程度この子…エリンのことがわかったところで、バジンの朝ごはんが完成したらしい。
「おうおう、待たせたなジル! それに嬢ちゃんも! 遠慮なく食ってくれ!」
「うわあ…美味しそう…!」
「ありがとうバジン」
バジンの料理は性格の豪快さからは考えられないほど繊細で、塩ひとつまみ、食材を切る角度ですら拘るほどだ。
当然そんなバジンが作ったものだから不味いはずがない。
先ほど焼けたであろう熱々のパンに、クリームスープと果実の盛り合わせ。
これぞ朝ごはんといったところか。
「早速食べようか。それで食べ終わったら大学校に行こう。俺も試験受けなきゃいけないからさ」
「そうだったんですね。えと、ジライアスさん…?」
「ああ、呼びにくいだろうからジルでいいよ。それに敬語も気にしないから好きにしていいよ」
「えと、わかったわ、ジル…?」
「うんうん、それでいいよ」
そうして俺とエリンは朝ごはんを食べながらのしばらくの歓談を楽しんだのだった。
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