第2話

 魔王は滅び、世界には平和が戻った。

 俺は勇者レックス。この世で唯一、魔王を倒せる存在だ。

 長かった魔王討伐の旅も終わり、今は故郷へと帰る道の途中だ。国に帰ったら、盛大な凱旋パレードが開かれるらしいが、なにより楽しみなのはあいつと……この旅に出る前に、結婚の約束を交わしたローラとの再会だ。

 俺はけがだらけで痛む体をおして、それでも明るい気分で帰路を急いでいた。それなのに……


「行かせんよ、勇者レックス」


 魔の国との国境くにざかい、深い峡谷にかかるの橋のたもと。俺の前に立ちふさがる、こいつらはなんだ。魔物どもの残党ならいい。斬って捨てて、はいおしまいだ。だが、こいつらは……


「魔法使いのじじい……?」


 柄頭に添えた俺の手が動揺で震えた。俺の前に立ちふさがったのは、人間の、しわしわのじいさんで、俺の師匠だったからだ。

 それが歓迎ムードじゃないことは、雰囲気でわかった。


「口の悪さは治らなんだか。まあいい、どうせここで終わる命じゃ」


「なに言ってやがるんだ? どういう……? 」


 俺の動揺と疑念は深まるばかりだ。じじいはこんな、濁った悪意を滲ませて笑うような奴じゃない。助兵衛だけど、もっと朗らかで……いい奴だった。身元の確かじゃない俺を拾って、世話をしてくれて、稽古までつけてくれた。俺の大恩人。それが、なぜ?


「なに、知れたこと。こういうことよ」


 じじいが顎をしゃくると、背後に控えていた連中がざぁっと展開した。規律のある動きだ。しかもその鎧、覚えがある。「白地に赤獅子」。精悍な獅子の横顔が鮮やかな赤で染め抜かれている前垂れを、隊の証としているのはただ一つの部隊しかない。すなわち。


帝国インペリアル近衛ロイヤルガード……!」


「そういうことよ」


 じじいがくつくつと笑う。帝国近衛はつねに皇帝の側に仕え、皇帝の為にのみ動く国一番の最精鋭だ。"勇者"になる前の俺と剣で競ることができたのは、奴らくらいだ。それが総勢100人、抜剣して俺を取り囲んでいる。

 俺も剣を抜いた。


「歓迎ってムードじゃねぇな」


「最初に言ったろう。勇者レックス、貴様をここから先にはいかせんと」


 事ここに至り、俺も大方の察しがついた。どういうワケかは知らないが、じじいは俺を殺す気だ。


「俺が何やったってんだよ」


「魔王を殺したろう?」


「あんたに頼まれたからだ」


「だが殺せた。お前の力はあまりに強い。皇帝陛下以外に、この天下に並び立つものがあってはならんのだよ」


「勝手すぎるぜ。俺はあんたのこと、恩人だと思ってたんだぞ」


「わしもそうだよ。お前は愛すべき弟子だ。しかしわしはお前の師である前に、陛下の臣なのでな。お前にはここで死んでもらう」


 じじいが言い終わるより先に、俺は駆け出していた。雪崩を打って近衛が襲い来る。速い。連携もすさまじく上手い。魔王軍の将軍クラスが相手であれば、一方的に押しつぶせる力量がある。


 だが、俺は殺せない。


「じじいッ!」


 一足飛びに飛ぶ。襲い来る剣戟はそよ風程度にも感じない。剣を振るまでもなく、最低限の動きで避ける。造作もない事だ。眠りながらでも容易い。

 しかし、じじいは俺の動きを間違いなく見切っている。当然だ。勇者の称号から得た恩恵を差っ引けば、その技はじじいから学んだものだから。それでも、出力で押し切ることはできる。

 しかし、じじいは剣を抜かない。悪辣なせせら笑いを浮かべながら、微動だにしない。

 違和感を覚えたときには、既に右腕が飛んでいた。


 


「っ!」


 即座に治癒魔法をかける。が、発動しない。いや、発動はしている。発動しているが、傷が癒えないのだ。


「"称号"は絶大な力を与えてくれるが、同時に重大な弱点をも生む。まさか忘れてはおるまいな?」


「なにを……」


「お前が魔王を倒せたのは、お前が勇者であったからだ。魔王はあらゆるものに負けぬ力を得るが、唯一勇者にだけは敵わん。そして勇者は……」


 じじいが授業の時のような、小難しい話を並べている。でも俺は、そんな話はちっとも耳に入ってやしなかった。


「勇者は「愛するもの」が最大の弱点となる」


「ローラ……ッ!」


 見間違えようはずがない。軽装鎧に身を包み、サーベルを正眼に構えた流麗な騎士。ローラ。俺の愛する女。


「苦労したぞ、フフ。天涯孤独のお前に、愛を覚えさせるのにはな。剣ばかり上手くなりよるが、そっちは最後まで鈍いままで、わしもハラハラしたものよ」


 じじいが笑う。血が流れ過ぎている。俺は傷口を火焔魔法で焼いた。


「ローラはてめえの孫娘だろうが……!」


「いかにも。なればこそ、陛下のためにその身を捧げることこそが最大の誉れよ。抵抗したものだから、少々手荒な術は使ったがの。さあ、ローラよ、レックスを討ち取りなさい」


「はい、おじい様」


 ローラはまるで生気のない顔と、抑揚のない声で言った。本当は明るく、勝気な娘だというのに。その片鱗も見せない。

 しかし動きには淀みがなかった。


「ぐっ、やめろよ、ローラ!」


「その癖、致命的だよ」


 話が通じているようで、まるで通じない。勇者の称号の恩恵がはがれた俺に残るのは、本来の地力のみ。そしてローラはそれに匹敵する。なにも不思議なことはない。ローラは同じ師のもとで学んだ妹弟子だ。俺とローラの実力は伯仲している。


///


「導師、我々も加勢を――」


「手出し無用じゃ、たわけめ。あの二人の剣戟に、貴様たち如きがわり込めようものかよ。彼奴らはわしが手ずから鍛え上げた、世界最高のふた振りぞ。貴様らは不測の事態に備え、包囲陣を解かぬまま待機じゃ。――先ほどで負傷した愚か者どもの手当ても急げよ」


「ハッ!」


///


 近衛は仕掛けてこない。ローラの邪魔になるとわかっているのだろう。じじいが統率しているのだから、弁えている。


 俺たちは剣戟を交わしながら、気が付けばすぐ背後には切り立った峡谷が迫っていた。


「くっ、せめて武器を」


「無駄だよ。わしがお前に教えたのは純然たる殺人剣。相手を生かしたまま勝てるなど、驕るでないわ」


 遠くにじじいの声が聞こえる。それにこたえる余裕はない。俺は圧されていた。ローラの剣の冴えが、俺の知るそれより冴えわたっている。俺が右腕を飛ばされているというのはあるだろう。血は止まったが、痛みは消えない。


「そこ」


「ぐっ……!?」


 じじいに気を取られたのが致命的だった。一瞬の隙をついて、ローラが俺の剣を手首ごと斬り飛ばした。勝敗はその場で決した。


「愛する者の手で逝けるのだ。これはわしからのはなむけよ。やれ、ローラ」


 じじいの指示と、ローラの突進は同時だった。そして間を置かず、俺の胸を剣が貫く。盛大に吐血した。俺の吐いた血が、ローラの美しい顔を汚していく。


 そのとき、にわかにローラの目に生気が宿った。


「ごめん。あとは任せて」


 それはあまりにも小さなささやきだった。なにを? その言葉の意味を理解する前に、俺は宙を舞っていた。いや、落ちていたのだ。自身を貫く刃ごと、ローラを抱擁する形で、深い峡谷の底へ向かって。


 俺の意識は、そこで途絶えた。


 そして再び意識が戻った時、俺が最初に目にしたのは、こと切れて冷たくなった俺の亡骸と、水面に映るローラの顔だった。


















///


「やつめ、この高さから落ちれば命はあるまい。導師、作戦は成功ですね」


「馬鹿者が。死体を上げるまでは陛下もゆめゆめお休みになられぬ。すぐさま捜索隊を編成し、勇者の遺骸を捜索せよ」


「り、了解しました。それでその……ローラ様は」


「……第一優先は勇者じゃ。ローラについては、余力の範囲で構わん。……どうせ生きてはおらんよ」


「……了解いたしました。すぐさま捜索隊を編成します」


「急げよ」



To be continued...

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