21. 決意
「……それから?」
「やがて、そなたも知るように、王国の滅びの時がやってきた」
セフィーリアスはレヴァンティアの元を離れてから、最も力ある精霊の一人として、精霊王と呼ばれるようになっていた。だが、人との縁が仇となり、とある魔術師に囚われた。彼はその魔術師自身と関わりのある者たちに、人には手に余るほどの力を与えたが、その代償は大きかった。本来自由と穏やかな生活を愛する風の精霊は、自らの力を望まぬことに濫用され、深く傷つき病んでいった。
風は狂い、大地は病み、水は腐った。やがてセフィーリアスは最後の力で子孫たちを王国から逃れさせると、彼らと一つの約束をした。
『遥かな森の奥へ逃れることができたら、これをどこかに隠し、日々触れて祈りを捧げてくれ。私が私でなくなる前に……』
そう言って彼がレヴァンティアの子孫たちに託したのは、美しい水晶のような手のひらにすっぽり収まるほどの透明な結晶だった。密かに作られた秘密の社で公爵とその血筋に連なる者たちが祈りを捧げると、その石は光り輝いたという。
だが、数百年のち、戦から森と湖を守るために再びその地を離れた公爵とその末裔は、祈りを捧げる場所もそこに残して去った。
「それから時を置かず、新たに打ち立てた海の都に嵐が襲いくるようになる」
「まさか、その原因が……」
その問いには答えず、竜はゆっくり立ち上がるとついてこい、と顎で示した。誘われた森の奥には、大きな古い樹が立っていた。その根本が焼け焦げたように黒く枯れている。
「触れてみるがいい」
「この樹に……ですか?」
竜はただ頷く。恐る恐るその黒く変色した根本に触れると、ふわりと風が吹いた気がした。そうして触れたところから光が生まれ、やがてその木肌は本来の色を取り戻した。
「これは⁉︎」
「それがそなたの力だ」
「私の……力?」
「レヴァンティアの血筋に連なる者たちは多かれ少なかれセフィーリアスから受け継いだ魔力を持っている。特にあれとよく似た容姿を持つ者たちは、本人は気づかぬが大きな力を秘めているのだ。故にあれはそなたたちを求める——贄として」
「……贄?」
聞き返した彼女に、竜は静かに頷いた。その双眸も声も相変わらず静かで穏やかだったが、その瞳にわずかに揺らぎがあるように見えた。
「病んだセフィーリアスとその眷族たちはやがて己の力を抑えきれなくなり、大地や水を腐らせ、魔法使いたちの息の根を止めた。病んだ彼らの力はそのまま暴走を続け、王国に残っていた命を一つ残らず滅ぼした。人間だけでなく、動物たちや草木までも」
「そんな……」
「王国を滅ぼし尽くした精霊たちは、すでに原型を留めていなかった。存在を保てなくなり、ただ生きとし生ける者すべてを憎悪して滅ぼそうとしていた。それを救ったのが王国を逃れたレヴァンティアの血筋の者たちが捧げる祈りだったのだ」
公爵の血筋に連なる者たちは、祖先でもある精霊王との約束を忘れなかった。毎日秘密の社を訪れ、結晶に触れて祈りを捧げた。初めはくすんでいた結晶は、彼らが触れて祈るごとに光を取り戻していったという。そうして、病んだ精霊たちは深い眠りについた。
「もし、その祈りがあと千年続いていれば、彼らも救われたかも知れぬ」
だが、海の都への移住と共に祈りは忘れられた。そうして、淀みは再び彼らを侵食していく。
「理性を失ったあれは、それでも己の暴走を止めるために力を求める。そのために、あれは海の都を襲うのだ」
「そんな……」
「嵐と共に、力を持つものが海に呑まれると、あれはその力を喰らう。そうしてわずかに得た力で理性を取り戻したあれはさらに苦悩し、そしてそれ以上の破壊を防ぐために眠りにつくのだ。それをずっと繰り返している」
語られたあまりに残酷な真実に、ユーリはただ言葉を失う。
「だが、あれは嵐の中、わずかに残った意思で私を呼んだ。子孫を守って欲しいと。何が望みだ、と問うた私に、ただ愛し子を匿って欲しい、と」
だから攫うのだと竜は言った。ここは竜の結界の中。いかに力を持つ精霊のなれの果てと言えども手出しはできない。だが、ここから出れば命の保証はない、と。結局は虜囚のようなものだ。心を読んだかのように、竜はわずかに頷く。
「囚われの身であることを嘆き、ここを出ていった者も幾人かはいる。だが、あれから逃れられたものはおらぬ」
「……なぜ、私たちが二十歳になる頃に、嵐は——彼はやってくるのですか?」
「そなたらの力が満ちるのがその頃だからだ。花に惹かれる蜂のように、あれらは力に惹かれてそなたらのもとにやってくる。故に、力満ちたそなたをあれはもっと早く見出しただろう?」
じっとこちらを見つめてくる竜の眼差しで、あの血のように赤く染まった空の嵐を思い出した。
「あれが……」
「精霊の加護とそなたの護り手のおかげで難を逃れたがな」
「護り手……?」
「そなたの力が満ちたのも彼の者によるのだろう?」
面白そうに言う竜の言葉の真意を悟って思わず赤面する。リィンもそういえば言っていた。「愛は力を強くする」と。具体的に何を指すのかはわからないが、竜もまたそう言うのなら、彼女がジェイクと出会ったことは彼女にとってはやはり何よりの僥倖だったのかもしれない——ならば。
「私は、私の運命を変えることはできますか?」
真っ直ぐに背筋を伸ばしそう尋ねた彼女に、竜は少し眩しそうに目を細めた。それからしばらく沈黙していたが、やがてふっと風が吹いたかと思うと、目の前に一振りの剣が現れた。優美な形をした細身のそれは、ユーリの前に静かに浮かんでいる。
「手に取るがいい」
言われるがままに、鞘の中心を掴むと、ぐっとその重みが増し、慌てて両手で掴んだ。
「抜けるか?」
問われ、鞘を左手で持ち、右手で柄を握ると静かに引き抜いた。刀身は曇りひとつなく、銀色に澄んでいる。わずかに片刃の中心に何か文字が刻まれているのが見えるが、ユーリの知っているどの文字とも異なるようだった。
「これは?」
「かつて、私がレヴァンティアに贈ったものだ。彼女が逝った後、セフィーリアスが私の元に運んできた」
「なぜ、これを私に?」
「その剣は私の力で創ったものだ。精霊も悪霊も斬れるだろう」
思わず目を瞠った彼女に、竜はただ静かに頷く。
「そなたが己の運命を変えたいというなら、それを携えてこの樹の洞を通り、彼の地へ行くがいい」
「彼の地……?」
「すべての呪いの始まりの地、かつての王国があった場所だ。セフィーリアスは己の核たる結晶を子孫に託したが、その社は護りを失い、あれは核を取り戻し、その身の内に取り込んでしまったようだ。嵐の呪いから逃れるには、その元凶を断つより他ないだろう」
それはつまり、滅びた王国を訪ね、かつて精霊王だった存在と対峙し、それを滅ぼさねばならないということだろうか。顔色を失った彼女に、竜は静かに続ける。
「望まぬのなら、ここに留まるがよい。退屈だろうが、生きていくには不便はさほどなかろう。その樹はかつての祈りの社と似たような役割を持つ。日々そなたがそこに触れ、癒し続ければ少なくともあれは再び百年ほどは眠りにつこう。だが、いずれにしても祈りによってそなたの命は削られる。この島で過ごした者たちでさえ、長くともせいぜい十年ほどしかその命を保てなかったことは伝えておこう」
竜は静かに、だが、淡々と残酷な運命を告げた。もはや、彼女にとって選択肢はほとんど残されていないのだ。
虜囚としてわずかな時を生きるか、命を賭して運命に挑むか。
「かつて、同じように挑んだ人はいるのでしょうか?」
「いや、剣を見せたのもそなたが初めてだ」
「……理由を尋ねても?」
「そなたはレヴァンティアによく似ている。運命に
真摯な眼差しは嘘をついているようには見えない。そして、不思議なことだが、竜が確かに彼女の身を案じていることも伝わってきた。竜は語らなかったが、彼自身もまたレヴァンティアに何がしかの想いを寄せていたのだろう。
手の中の剣を見つめ、一つため息をつく。一族の中でも変わり者である自覚はあったが、初代譲りということだろうか。恐ろしくないと言えば嘘になるが、竜さえも認めてくれるのならば、あとは覚悟を決めるだけだ。
「これは、ありがたくお借りします」
一礼して、森の奥へ進もうとすると、もう一度声をかけられる。
「もう行くのか? 気忙しいところもそっくりだな……」
そうして袋をひとつ差し出してくる。
「食糧と水だ。長旅になることはないだろうが、いずれにしても邪魔にはならぬだろう」
「……感謝します」
袋を拾い上げ、肩から下げる。ついでに腰紐に剣を下げる。かつて兄たちから剣を習ったことはあるが、身に帯びるのは久しぶりだった。
「凛々しいな」
「先祖ほどの勇敢さが私にもあればよいのですが」
そうして今度こそ踵を返そうとすると、竜は低く笑った。どこか寂しげなその笑いに首を傾げると、彼はひとつため息をつく。
「潔いところもよく似ている。そなたは他の者たちのようには問わぬのだな」
「何をです?」
「狂った精霊を滅ぼしてはくれぬのか、と」
ああ、と今さらに思う。彼ほどの力があれば、恐らくそれも可能だろう。だが、そうしない理由も彼女にはわかる気がした。
「大切な相手を滅ぼせと願う権利など、誰にもないでしょう」
それだけ言って、今度こそ
だが、竜は言った。セフィーリアスによく似た容姿を持つ者は大きな力を秘めていると。そして今、彼女の手には竜の剣がある。あとは自らの手で運命を切り開くしかない。
この場にジェイクがいてくれればどんなに心強いことか。だが、彼の安否さえも不明な今、一人で立ち向かうしかない。そして彼を探しにいくのだ。そう決意すると、少し心が軽くなった気がする。何も見えなかった運命の先に、少なくとも今は望みがある。それを手にするために。
ユーリは深く息を吸い込むと、闇の中へと足を踏み入れた。
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