19. 竜の島

『何故だ。私に祈りを捧げてくれると、そう約束したではないか』

 悲痛な声が聞こえる。

『こんなことを幾度繰り返せばよいのだ』

 ふっと闇の中に小さな光が生まれる。淡い金の髪の青年が、同じ色の髪の少女を抱きしめていた。その腕は力なく顔は蒼白で、既に命が失われているのが一目でわかってしまった。

『幾度眠りについても、この忌まわしい穢れは消えぬ……そうして私はまたそなたの血脈を喰らってしまう』

 青年の腕の中の少女の姿はやがて薄くなり、ぱっと光がはぜると、まるで元々そこには何もなかったかのように、消え失せてしまった。

『どうすればよいのだ……どうしたら、そなたは私を——くれるのだ?』

 悲痛な叫びを上げる青年を、再び闇が覆っていく。

『レヴァンティア……これ以上、どうか、私にそなたの末裔を苦しめさせないでくれ……』

 青年の声は遠くなり、やがて闇が全てを包み込み。何も聞こえなくなった。



 目を覚ますと、やわらかい寝台の上に寝かされていた。見上げた天井は見慣れない木造りで、中央の小窓から光が差し込んでいる。体を起こそうと手をつくと、あちこちに鋭い痛みが走った。見ると、両腕共綺麗に包帯が巻かれている。腕だけでなく、肩や脚にも手当ての跡があった。

 気がつけば服も簡素な白い長衣に着替えさせられている。寝台の反対にある壁の窓は開いており、鳥の声と涼やかな風が吹き込んでくる。あまりに静かで穏やかな雰囲気に、全身の痛みとその手当ての包帯にさえ気づかなければ、昨夜のことは夢だと思ったかもしれない。

 今度はゆっくりと身を起こし、寝台から降りる。少しふらついたが、何とか一人で立つことができた。思った以上に体に力が入らない。一体どれくらい眠っていたのだろうか。


 彼女が寝かされている部屋はさほど大きくはないが、寝台にテーブル、椅子、それから衣装箱らしきものがあり、壁には大きな窓が二つあった。テーブルの上と、床には複雑な文様が織り込まれた織物が敷かれている。青を基調として、黒と青い糸で織り込まれたそれは、色調の割になぜかどこか懐かしく暖かみを感じさせる雰囲気を持っていた。

 ゆっくりと部屋を横切り、扉を開けると眩しい光と眠りに落ちる前に匂っていたのと同じ様々な花の香りが漂ってきた。一歩外に踏み出すと、さらに花の香りが強くなる。


 夜明けからどれくらいたっているのだろうか。晴れているのに、どこか靄がかかったような空気で空は薄い水色をしている。

「……目が覚めたか」

 低い声に目を向けると、少し離れた先に黒い大きな身体が見えた。どうしてあの存在感に気づかずにいられたのか不思議なくらいだが、その存在はこの場所ととても調和しているように見えた。

「ここは私の島だからな」

 こちらの心を読んだかのように、少し面白そうに竜はそう言った。本当に読んだのかもしれない。

「心など読めぬよ。だが、ここに来た者たちは皆だいたい同じことを問う」

「なぜあなたはそんなに気配がしないのか……と?」

「言い様は様々だがな」

 低く笑う瞳は限りなく黒に近い藍色だった。その側にゆっくりと歩み寄る。

「気分は悪くなさそうだな」

「手当てはあなたが……?」

「生憎と他にここにいるのは鳥と獣ばかりでな」

「……魔法で?」

「面白い娘だな。先に他に聞きたいことがあるのではないのか?」


 そう言えばそうだった。あれほど緊張していた竜の島にいるというのに、どこか実感がない。むしろ穏やかな心持ちさえしている。何かが間違っている、そう感じられてならなかった。


「ここは竜の島、なんですね?」

「そんなにかしこまらなくてもいい。レヴァンティアの血筋に連なる者たちの無礼さはよく知っている」

 それは彼女の姓であると同時に、初代の公爵の名でもあるという。

「なぜ、あなたは私を攫ったのですか?」

 率直に問うと、竜は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。その深い色の大きな瞳を見ていると吸い込まれそうな感覚に包まれる。

「頼まれたのでな」

 ごく簡素な回答に、思わず怪訝な表情になって聞き返す。

「……それは、古い盟約とかそういう……?」

 竜はもう一度低く笑う。

「いや、もっと単純な古い約束だ」

 短い返答は、何の答えにもなっていない。その瞳はどこか面白そうな色を浮かべていたから、ユーリは少し緊張を解いて、静かに尋ねる。

「詳しく聞いても?」

「無論。だがその前にそなたの名前を聞いてもよいかな?」

「失礼しました。ジュリアーナ・ルナマーレ・レヴァンティアと申します」

「欲張った名前だな」

「月と海とすべての加護があるように、と父が」

「血も涙もない策士も身内には甘いと見える」

「父が……」

「ただの戯れだ。私はヴェトリアクラムという。ヴェトとでも呼ぶがいい」

「……竜の名は、大切なものでは?」

「呼び名がなくては不便だろう?」


 長き時を生きた者にはもはや名を知られることなど、恐るるに足りぬことなのかもしれない。藍色の瞳を面白そうにこちらに向けて、ヴェトと名乗った竜はもう一度笑う。どうにも伝説の竜にしては軽い。


「それで、一体あなたは誰と約束したのですか?」

「古い友だ」

「友……?」

「そうだ」


 そうして竜はゆっくりと長い長いその生の中で出会った友人との数奇な物語を語り始めた。

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