人生スイッチ

結城蒼空

人生スイッチ

 「人生は選択の連続だ」シェイクスピアはそんなことを言った。


 今日は学校へ行くか否か、大学受験をするか否か、ここでプロポーズをするか否か。確かに人生は選択の連続であり、そして同時に葛藤とも共に存在している。その選択が正解だったのかどうかさえ誰にも分からない。こう考えると人生とは壮絶なものだ。


 そして俺は今その選択に迫られている。それも壮大で世界を巻き込んでしまうかもしれないものだ。


 真っ白な部屋の真ん中に俺は立っている。呼吸音と胸の心音が聞こえるほどの静かな空間。そして赤いボタンが二つ。他には何も見えない。

 そしてそのボタンの意味が大切なのだ。よくよく見てみると片方のボタンには『恋人が一生幸せになれるが世界中の人々が一生不幸になる』と書いてある。もう片方はというと『世界中の人々は一生幸せになるが恋人が一生不幸になる』と書いてある。

 なんて困った選択肢なのだろう。絶妙にバランスが取れているのである。簡単に言えばあの有名なトロッコ問題の類似選択肢と言ったところか。世界平和を望む幸福論者も頭を抱える難題だ。だってどちらも全員が幸せになんてなれないのだから。俺はそんな難題に悩まされているのだ。


 本当なら悩まなくてもいいのだ。後者を選んでしまえば多くの人々が幸せになれるのだから。


 しかしここで後者を選んでしまえば俺の彼女は不幸になってしまう。それだけは俺の人生で最も避けなくてはならない。なぜなら俺は彼女に救われたのだから。


 俺はかつて百年に一度の天才野球選手なんて呼ばれていた。

 国を背負って戦い、その度に注目を浴びた。しかし体の故障をした時から俺は思っているようなプレーができなくなった。すると世間は俺のことをことごとく切り捨てていくのだ。「もうあいつは終わった」「一瞬だけ期待した俺たちがバカだった」そんなことも言われた。俺は野球と誰がつけたかすら分からない天才という称号を失っただけで生きていく意味を見失ったのだ。死のうと思い遺書まで書いて悩んだ時期もあった。


 そんな絶望の淵にいた俺を救ってくれたのが今の彼女だ。彼女になる前は俺の幼馴染というべき存在の彼女は小学校の頃から大学生になるまでずっと同じ学校で過ごしてきた。だから互いの子をよく知っているし、一番の理解者とも言える。彼女は落ちぶれた俺を見ても「ずっと私が君を求め続けるから」と言ってくれた。そんな些細な言葉でも俺は彼女のために頑張ろう。彼女のために生きてみようって思えた。彼女は俺に生きる意味をくれたのだ。


 そんな彼女のために後者は選べない。


 じゃあ前者を選ぶのか?それもまた難しい問題である。彼女は腐り果てていた俺に手を差し伸べてくれるほどの優しい心の持ち主である。そんな彼女が自分が幸せになり、そのほかの人が不幸になったなんて知ったらどんな反応をするだろうか。きっと自責の念に押しつぶされてしまうだろう。俺はそんな彼女は見たく無い。


 俺は悩む。悩みに悩み抜く。心臓の打つ脈は平常時よりも早くなっていてもう何回脈を打ったか分からないほど時間が経ったと思う。誰もが幸せになれて誰も傷つかない選択肢なんてあるのだろうか。こんな時シェイクスピアや太宰はどう答えるのだろうか。誰にも分からない。だって正解なんてないのだから。


――「……あっ」俺は一つの結論にたどり着く。幸福論者もにっこりとする解決法を。


 「どちらも選ばない」


 これが俺の出した答えだ。どちらも選べないのなら選ばなければいい。俺がそう決めた途端周りの景色は真っ白な空間から色が生きている美しい世界へと変わった。


 これが正解なのかは分からない。けれど目の前の二択に囚われてはいけないのではないか。


 その瞬間。俺は目が覚めた。周りの景色は俺の部屋そのものだ。現実に引き戻された疲労感からか体がいつもよりも重く感じる。時計の針は午前八時半を指していた。下で彼女が朝ごはんを作り終えている頃だろうか。


 ――さぁまた今日からいつも通りの日常の始まりだ。

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