ココロ・リバイヴ

こんぺいとー

ココロ・リバイヴ

 エアコンの涼し気な駆動音と、チョークの黒板を叩く音。

 それらを伴奏にして乗せられる先生の子守唄が、所謂日常というやつだ。

 春の日差しも心地よく、よりいっそう皆の眠気を呼び起こすことだろう。

 ――まぁ、私は寝たことはないのだけど。



 だけれど――今日のこの時間は、いささか様子が違った。


「でさぁ、順風満帆ジュンプーマンパンにエリート街道ってわけよ」

「だっはは!! んな上手く行くわけねぇだろ! お前学力検査最下位だったの忘れたのかぁ?」

「るっせー! 今の判定は関係ねーって!! ここから巻き返してやんだよ俺はよ!」


 位置でいうと教室の左端の方。

 ……授業中に外を眺める権利を得るために、初めての席替えに命をかけていた戦士達だ。

 しかし、彼らだけかと思いきや、いつの間にか教室全体ががやがやとした喧騒に包まれている。

 チョークの音は、一切響いていない。


 かといって、それを注意する先生がいないのかといえば話が違う。

 担任の相原先生は教卓に椅子を持ってきてどっかりと座り込み、何やら朝に執り行った小テストの採点をしているらしかった。


 ――総合学習。


 この単元の趣旨は、大学への進学だけをひたすらに追い求めてきた前時代からの脱却。

 進学のその後――即ち就職、あるいは人生全体の事を考え――。

 社会に出てもなお通用する様々なスキルを身につけよう、といったものだ。


 周囲の人達がワイワイと話し合う中、私は話を合わせながらぼんやりと自分を見つめ直していた。

 ……こういう時、真っ先に浮かんでくる疑問がある。

 何故、そんなにも一生懸命になれるのだろう? と。


 彼らの掲げる夢はなるほど、確かに素晴らしいものだ。

 看護師、薬剤師、弁護士、検事、銀行員――進学校であることも相俟あいまって、多種多様な現実的な職業を彼らは思い浮かべている。

 

 だけれど。


 ――人のために役に立ち、周囲よりも多く金を収集し、豪華な暮らしを目指す。

 彼らの意見は全てそうやって一般化出来てしまう。

 いや、それが普通なのだろう。


 ――人のために仕事をする。素晴らしいことだ。

 ――お金のために仕事をする。素晴らしいことだ。


 ただ、それを納得していてもなお私に付き纏うのは――。

 小学生、あるいはもっと幼い頃。

 漠然と自分がなりたいと思っていたはずのナニカを、どうして放棄してしまえるのだろう、と――そんな疑問だ。

 そのナニカは、キラキラと輝いていた。

 それは人のためだとか、お金のためだとか、それ以前に……ただただ私を魅了するナニカだった。


 夢とは、そういうものではないのか――と、訴える自分がいる。

 同時に、そんなモノは現実的じゃない。客観的に自分を見ろ。いつまでも子供でいるつもりか、バカタレ――と、諦める自分もいる。

 結局そのナニカから目を背けたまま、私はここまで来てしまった。

 だけれど同時に――そのナニカを無視して現実的な目標を掲げることに、どうしても私は熱意を見出すことが出来ないのだ。


「みおりんはどこの大学行くの?」


 桜田さくらだ 美織みおり。自己紹介が遅れたが、それが私の名前だ。

 友人からの問いに、私は当たり障りのない笑みを貼り付ける。

 入学したばかりなので、まだ付き合いも浅い。

 私のこの幼い葛藤かっとうを話すには、あまりにも心許ない。


「んー、帝大かなぁ」

「やっぱそうだよねぇ」


 皆と一言一句、同じ答えを返した。

 ……高校も、そうだった。

 行きたい高校、大学なんてものは存在しない。

 ただ親に言われるがまま勉強して、優等生でいるよう尽力してきただけの話だ。


 そうしていれば、いずれ幸せになれる――と、親は口癖のように言う。

 自分のようになるな――と、親は口癖のように言う。


 お父さんは高校を中退してミュージシャンをしていたけれど、全く売れなかったそうだ。

 お母さんは高校に行かず、モデルを目指していたけれど、成就しなかったそうだ。

 だからうちは貧乏だ。学歴のない二人は給料も安い。


 二人ともそれなりに容姿は整っているし、歌も上手い。

 それでも成就しなかったその夢に、彼らはいつもこう言うのだ。


「お前には同じ失敗を繰り返させたくない」と。


 だから私は、現実的じゃない夢に向かって走り出したいその気持ちをしまいこんで。

 当たり障りのない優等生『桜田 美織』を演じている。

 そこには何の熱意もなく、ただただ空虚な喪失感のみが――。


「これでほんとに、幸せになれるのかな」

「ん?」

「んーん、なんでもない」

 

 私の疑問に答えてくれる人は、どこにいるのだろうか。


 


 ■ ■ ■


 その一週間後、発表の時間がやってきた。

 自らの十年後、二十年後の進路をパワポで纏めて、クラスの皆の前でプレゼンをするのだ。

 ……正直、拷問だと思う。

 思ってもいない、望んでもいない、『桜田 美織』を――私は、見せなくてはいけないから。


「おっ、遠藤が最初か!!」

「頑張れよー!!」

「……う、うん……き、緊張する、なぁ……」


 確かあれは遠藤えんどう 和人かずとくん、だったか。

 いつも誰と関わることもなく、授業が終わったらいつの間にか消えている影の薄い子だ。

 男にしては長い髪と猫背な姿勢も相俟って、陰気な印象がある。

 ――彼にとっても、別の意味で拷問だろうなぁ。

 そんな風に同情していると、担任から合図があった。


「では遠藤くん、発表を始めてください」

「はっ、はい!」


 ……声が上擦っている。緊張しているのだろう。


「えっと……ボクが将来なりたいのは――というか今もやっているけど、イラストレーターです。大学は、美大に行こうと思っています」


 しかし一転、ハキハキとした声で発表が始まった。

 私は、既に吸い込まれていた。

 イラストレーター、という通常とはかけ離れた話に、ではない。

 彼の瞳だ。

 ……なんて希望に満ちた目をするのだろう。

 あれだ。あれが、あれこそが私を魅了するナニカだ。


「絵を描いて、ネットにあげて、そうするとファンの人からお金やモノが貰えるんです。ファンの人の要望に答えて、色々なモノを書いています。皆はちょっと引いちゃうかもしれないけど、アニメに出てくるような美少女のイラストがメインです。見た目からしてわかる通り……ボク、オタクなので」


 躊躇ためらいもなく自分をネタにしていく姿勢に、教室の雰囲気が緩くなった。

 どこからか、笑いを堪えるような音も聞こえる。


「最近は、生配信とかもしています。絵を描く様子を見せたり、絵を描く方法を話したり……とても楽しい毎日です。ボクはきっと十年後も、楽しく絵を描いていると思います。……と、ここからは仕事にする際の現実的なお金の話になります――」


 本気で、夢を追いかける姿勢。

 それを一切の恥じらいなく、堂々と発表出来る自信。


「……いいな」


 私はずっと、遠藤くんの目の輝きに思いをせていて――。

 それ以降の皆の発表はもう、まるで耳に入らなかった。

 


 いてもたってもいられない。

 下校の時間になって、私はすぐさまに遠藤君へ突撃した。

 彼ならきっと、私の疑問を――。


「遠藤くん、ちょっといい?」

「ど、え、さ、桜田さんっ!!? なななななんの用っ?」


 ……そこまで怯えなくても、取って食べたりしないのだけど。

 全く、発表の時の堂々とした態度はどこへ行ったのやら。


「ちょっと話しながら帰らない? ……聞きたいことがあるの」

「う、うん、!? い、いいけど……ぼ、ぼくなんかで……いいんですか……?」


 ……何やら勘違いしていそうだったが、訂正するのも面倒なのでそのまま教室を後にした。


「遠藤くんは、怖くないの?」

「……えっと、何が?」


 夢を追いかけて、頑張っている人。

 どこか、別の世界の話だと思っていた。

 父母のそれはもう過去の話で彼らはそれを後悔していたし、夢を追いかけるところを実際に見たわけではなかったから。


 ともかく、それが身近にいたということがなんだかとても嬉しかった。

 私は心に秘めた幼い葛藤のことを、遠藤くんに話した。


「……分かる、分かりみが深い……」

「遠藤くんもそう思うこと、あるんだ?」

「というか、それずっと思ってるよボクも」

「……じゃあ、どうして夢を追いかけてるの? ……追いかけられるの?」

「……逆、なんだよね。たとえ叶わなくたって、ボクは夢に向かってないと生きられないんだ」


 ――生きられ、ない?


「生きるって、死んでないこととは違うと思うんだ。何かこう……上手く言えないけどさ。希望があって、楽しくて、それを捨ててまで安全な道を選ぶなんて――変だと、思う。それって死んでないけど、生きてないよ。それじゃあゾンビみたいだ。ボクはたとえ夢を追った結果死んでしまうとしても……きっと、そっちを選ぶと思う」

「……」


 ハンマーで殴られるような衝撃だった。


 ――死んでいないけど、生きていない――。


 次いで、き物が落ちるように――灰色だった世界が明瞭になるように。

 薄くかかっていた霧が、晴れていく。


「私……ゾンビ、だったんだ」

「えっ!? ち、ちが、桜田さんのことを言ったわけじゃあ……っ!!」

「んーん。凄いスッキリした……っ、なんか心が晴れた気分! ……私も、生きてみよっかな」


 向かうべきなのだろう。

 たとえそれがリスクを纏うものだったとしても、私が私を満たせる方向へ。

 ――生きるために。


 夢が遥か遠くにある事に、何ら変わりはない。

 それを叶えられるかといったら、まぁ九割型無理というのが現実だろう。


 でも、大事なのは夢を叶える結果じゃない。

 そこに向かう意志が、過程が、努力が、きっと私を生かしてくれるんだ。


 私の背丈の変わらない遠藤くんの、真っ直ぐな瞳がそれを教えてくれた。


「ありがと、遠藤くん」


 心の奥に生まれた小さな熱が、ただ温かく心地よかった。

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