メデュシアナの戯言(たわごと)②


 以下は、祐輔の携帯電話に届いたメール内容を転送してもらったものである。ひどい誤字は若干修正してあるが、ほぼ原文のままだ。突っ込みどころ満載なので、一部、私の突っ込みとともに記録として残しておこう。



【9月8日/祐輔】


 薮川より返信あり。


「貴方がこちらに約束された内容をなかったことにしておられるのですよ。治療費とその後の支援をしますといったのは佐久間さんです。妹が貴方からの謝罪や保身だけの姿勢を受け入れないかぎりお送りできません。こちらの対応云々の前に、ご自身がまず何をするかをおっしゃったかをよく思い出して下さい。奥様との第一子が産まれたときにおつきあいなさっていた女性も妹だ、と奥様には言われましたよ」


 メールのやりとりをしていた方がいましたが、妹さんですか? と聞いただけなのだが。


「貴方はどれだけの女性と複数関係をもってこられたのでしょうね。貴方が心底懺悔と後悔と改心をしないかぎり、妹は了承しないでしょう。代理人としては、妹が行くと言って聞かなかったのでそちらへ伺うことは中止しました」


 後のメールで「寝た切りになっている妹」とあるので、靖子本人が届けられるとは到底思えない。


「診断書を送れないんだろうとおっしゃる前に、ご自分が真っ先にしますと言われたことをされてはいかがですか? 自分ができもしないでいるのにこちらには求めるというのは身勝手すぎませんか。診断書は真っ先にお断りしましたし(貴方の人間性で判断しました。貴方の嘘を信じている奥様に何を出したところで納得されないでしょうし)、それはそちらも了解済みのこと」


 『奥様に診断書を提出するのは筋ですよね、妹に話をしてみます』と言っていたのと同一人物とは思えない物言いだ。


「無責任な対応をされたのはどちらなのかよくお考え下さい。もうおひとかたの女性もいらっしゃるのですから、妹が誘惑したというわけでなく、貴方がやりたいだけで手を出しただけのことに、妹がそちらに目くじらをたてられる筋合いはありません。奥様の信用を取り戻したくて必死なのはわかりますが、貴方が巻いた種です。寝たきりになっている妹に会いに来られますか?」


 いや、別に私たち夫婦の信頼関係は失われていないので問題はない。というよりも、こちらの信頼関係を壊したいのだと思っていたのだが、違うのだろうか。しかも、妹さんは8月25日に退院したと聞いていたのに、まだ寝たきりというのはどういうことだろうか。堕胎手術をしたから寝たきりということ? そんな状態の人、退院させませんよね。

 それと、『もうおひとかた』ってどなた?


「その勇気も貴方にはないでしょうが。貴方は自己保身しか考えていない方ということはよくわかりました。ご自分が妹に何を言ったのか、弱っている妹に付け込んで性行為を行ったのは貴方であることを再認識して下さい。妹が貴方を誘惑した、継続して関係を持っていると奥様に言われたことは、妹もひどくショックをうけております」


 継続して関係を持っているなど、一言も口にしたことはないので、脚色が過ぎているというほかはない。


「貴方は、妹の心を完全に壊すおつもりなんですか。自分は奥様に都合の良いように話し、妹を悪者にし、治療費援助もしますとご自分から言われたにもかかわらず先なメールには呆れました。どうぞ妹の静養先にいらしてください」


 行くと返信すれば、また「来ないで下さい」と断られるパターンだ。これは何度も繰り返している。



【9月13日】


 川辺靖子本人より函館の家に留守電あり。声のトーンは若干高めだが、話し方や声は姉と称する藪川とよく似ている。


「診断書は心情的な理由により出せません。発行手数料として振り込んでもらった1万円は、治療費として使わせていただきます。とにかく堕胎費用は半分負担して下さい。ご主人の女性関係を正すべきだと思います」


と、いつもの繰り返しが続く。

 本当に気分が悪い。自分だけならまだしも、こんな留守電の内容など子どもには聞かせたくない。録音内容を確認し、その足で非通知拒否設定のできる電話機を購入してきた。急な出費は痛手だが、そんなことは言っていられない。


 非通知拒否設定ができる電話に交換した後、留守電にメッセージを残せなくなった腹いせか、非通知でのワン切り電話が毎月25日前後にかかってくるようになった。夜中、朝方、ときには日中。

 真っ黒すぎて、もう相手をする気にすらならないが、彼女はいったいいつまでワン切り電話をかけてくるつもりなのだろうか。何度か警察に届け出てみようかと思ったりもしたが、月一程度の非通知ワン切りならストーカー法にもひっかからないだろうし、ワン切りをされるようになった理由を一から説明するのは私には気が重すぎた。



 夫の祐輔が帰省した折、私はたくさんの補足を書き加えた反撃メモを見せた。妊娠の可能性は考えられないこと、河川敷から運ばれたと思われる病院には該当者がいないこと、家にかかってきた電話のやりとりの内容や、ワン切り電話のこと等々について赤ペンで書き加えたものだ。

 祐輔も、何度か先方とやり取りをしたようだが、相も変わらず診断書は渡さないが治療費は払えという押し問答のようだった。私の中では妊娠詐欺確定なので、それ以上のことを聞く気もアクションを起こす気もなかった。


「非通知着信拒否だし、月1でワン切りが入るぐらいだよ。実害ないし」

「そっか」


 以降、靖子の名も薮川の名も、私たち夫婦の話題にのぼることは無くなった。



*   *   *



 ふと思うことがある。

 もしかしたら、靖子は妊娠詐欺の常習者なのではないか、と。いまでも薮川と名乗る姉を演じ、妻にも相談できず、診断書の請求もできない男たちを餌食にしているのでは……と、せんいことを考える。メデューサの放ったメデュシアナたちは、いったいどこで何をしているのだろうか。


 仕事が忙しいとき、自宅で私は夜中まで作業をしていることがある。ことのほか25日前後の夜中に自宅で仕事をするときは、ワン切りの前に受話器を取ってやろうと子機を手元に置いて作業する。とはいえ、奇跡的に非通知着信に遭遇したところで、電話を切られる前に受信ボタンを押せた試しが無い。

 それほどの脅威にもならないとはいえ、月に1回程度のメデュシアナの襲来は、まだまだ途切れそうにない。始めのころは非表示の着信履歴を見るたび暗澹あんたんたる気持ちになっていたが、それも3年ほど経たころには、25日を過ぎても着信履歴が無いと体調でも悪いのだろうかと心配な気持ちにすらなった。

 根競こんくらべでは負けない自信があるが、できれば己の無駄で空しい行為に早く気付いてもらえないものだろうか、靖子さん。


 妊娠詐欺は卑劣な犯罪だ。世の男性諸君よ、騙されることなかれ。一夜の夢が、一生の悪夢にもなりかねないのだから。


 妊娠詐欺は下賤な犯罪だ。世のメデュシアナよ、騙すことなかれ。お前の牙は、女には通用しないのだから。

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