ファースト・コンタクト⑤/7月14日:PM8:30過ぎ
「…そうですね。分かりました」
いままで大人しく相槌を打ったり質問をするだけだった私が語気を荒げて反論したので、少し意外に思ったようだ。
『イマノウチニ ジョウホウシュウシュウセヨ』
重苦しい沈黙が続く中、私は言葉を続けた。
「そうは言っても、身体に障害が残ってしまうことになったのは、本当にお気の毒だと思います。まだ妹さんは病院に入っていらっしゃるのですよね? どうぞ、お大事になさってください。(堕胎の)費用に関しては、主人にも責任のあることですので、いくらかでも負担はさせていただきたいと思っています」
「ありがとうございます。お話の分かる方で良かったわ」
堕胎費用の負担を拒むつもりが無い事を伝えたとたん、急に藪川の声が華やいだ。
「ところで、妊娠しているのはどうして分かったのですか?」
「入院してから予定日が来ても生理が来ないので、おかしいと思って27日に調べてもらったら、妊娠していたんです。早く堕胎手術を行いたいのですが、全身麻酔をしないと手術ができないので、妹の体力の回復を待たないと手術は無理だと医師に止められているんです。本当に妹はかわいそう」
「河川敷で見つかって、救急車で運ばれたときに病院で検査はしなかったのですか?」
「しましたけど、簡易検査だったので反応が出なかったみたいですね」
私はメモに情報を追加していった。
6月5日か12日 初顔合わせ
6月16日 行方不明になる
6月19日 祐輔に妹の所在確認
6月20日 河川敷駐車場で妹を発見、病院に救急搬送、ICU
× 妊娠が判明 → いつ?
何度も自殺を試みる → できるの?
走ることができない → 発見時に薬とか飲んでた? 副作用?
6月27日 妊娠判明 会ったのはいつ? 診断書もらうこと!
7月14日 薮川と名乗る姉から電話
夕食を食べ終えた子どもたちが、不思議そうな顔でこちらを見ている。どうにかして別の時間に連絡が取れないものだろうか。受話器を耳に当てながら、食べ終わった食器を流しに運ぶよう子どもたちにゼスチャーで指示を出す。
妊娠した妹の姉だと名乗る藪川の話は、まだまだ終わりそうにない。
「ごめんなさいね、少々お待ちください」
テレビをつけて子どもたちをテーブルから移動させると、子機とメモを取っているノートを抱えて玄関に移動した。居間とはドア一枚で仕切られているので、多少は自由に話せるだろうと思ったからだ。
「ええと、妹さんに後遺症が残ることになってしまったのは、本当にお気の毒だと思います。でも、堕胎の件とは別に考えていただけますか?」
堕胎の費用を捻出するのは止む無しとして、身体に残る障害までずっと保障することに同意されたとは思われたくなかったので、私はしつこく繰り返した。それに、当事者である主人の話も聞かねばなるまい。
「正直、いまお電話で急にお聞きしただけのお話なので、きちんとした確認が取れないのですけれど、妊娠されたということであれば、責任の半分は主人にもあるので、まずは病院の診断書をいただけますか?」
「ご主人はね、定期的に会っている女性がいるみたいですよ。妹にこんなことをしたのだから、他にもいると思います。そういう人なんですよ。信用しないほうが良いですよ。実際、妹の件も奥様にお話しすると言いながら、何も話していないじゃないですか。何人もの女性関係があるんですよ」
「え? あぁ、そうですか……」
診断書の件には触れられたくないらしい。違う話にすり替えようとしているけれど、診断書がなければ一切の請求はお断りするつもりだ。
そもそも祐輔は、お金にだらしがない。週末にパチンコで手持ちのお金を使い果たすと、消費者金融からチョビチョビとお金を借りてパチンコを打ち続け、店が閉店してからやっと夜中に帰ってくるような人だ。結婚当初からそんな人なのに、単身赴任をしたからといって生活態度が変わるとは思えないし、お金の無い男と遊びたがる女もそうそういるとは思えなかった。
「いずれにしても、お話は分かりました。が、まずは診断書を頂戴して事実を確認しないことには、このお話は進められませんので、診断書をご用意いただけますか?」
きっと仕事もしていない普通の主婦なら、気が動転してしまうような話だろう。心臓は多少ドキドキしているものの、何か言葉の端々にひっかかる詐欺まがいの空気が、私の心を冷静に保たせる。
その後、延々と女性関係が複数あるとしつこく繰り返し、藪川はやっとのことで電話を切った。
ふぅ。疲れた。ぼやぼやしている暇は無い。いま聴き取りした内容のメモをパソコンで清書する。事実だったら堕胎金額の半分を負担、後遺症の件については祐輔と相談。もし、嘘だったら? きっと話のどこかにおかしな点があるはずだ。
パソコンの電源を入れて、エクセルの表にまとめておこう。あと、妊娠の初期検査と病院についても調べなくては。
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