ファースト・コンタクト④/7月14日:PM8:30過ぎ


 ずるいな、このひと。我が家の家族構成も、この家の電話番号も知っているのに、自分は「藪川」としか名乗らない。電話番号は非通知だし、妊娠して自殺未遂をしたという妹の名前すら明かす気は無いらしい。


「で、(妊娠が)分かって行方不明に?」


 子どもの前で『コンドーム』だの『妊娠』だのと言葉にもできず、慎重に言葉を選びながらの苦しい問答が続く。


「いえ、妊娠が分かったのは病院でです」

「え? じゃあ、いなくなったのはどうしてですか?」

「何だか妹もはっきりと言わないのですけれど、ご主人に人格を否定されるようなことを言われたらしいです。それで(生きているのが)嫌になって(自殺未遂を行った)」

「具体的にどんなことを言われたとか、聞いていますか?」

「ですから、人格を否定されるようなことですよ。生きている意味が無いとか、死んでしまったほうが良いとか」


 私は少しムッとした。


「主人は確かに精神論的な話はしますけれど、生きている意味が無いとか、死んでしまえとか、そういうことを口にする人ではないと思います」


 確かに、自分の考え方が一番正しいみたいな言い方をされて不穏な空気になることもあるが、それはそれ、少なくとも生死に関して否定的な意見を言う人でないことは、私が一番理解している。


「言われた、と妹は言っていますよ」

「それは当事者同士でないと、何を言ったのか言われたのか本当のところは分かりませんよね?」


 言葉は難しい。伝えたかった本意が100%相手に届くわけではないし、受け取る側の解釈によっても是が是として解釈されるのかは分からない。なるべく中立に、公平に、と自分に言い聞かせる。


「少なくとも妹は人格を否定された、と言っています。それに妊娠していたこともとてもショックだったようで、病院で何度も自殺未遂をしていて目を離せないんです。もう妹は走ることができないんですよ。立って歩くことはできても、一生、不自由な生活を強いられるんです。精神的にも肉体的にも、もう普通に働くこともできないんです。

 堕胎の費用は払っていただきたいですけれど、もうこれで一生病院とはお付き合いをしていかなければならないので、毎月病院に掛かる費用も負担して欲しいです」


 やっと本音が飛び出した。産む意思は無い。堕胎費用はこちらに負担して欲しい。程度は不明だが、身体の自由が奪われたので、病院に掛かる費用を負担して欲しい。しかも生きている限りずっと、ということか。

 今日は7月14日。私は電話機の横に掛けてある大きなカレンダーと、ノートに書き綴ったメモを交互に眺めた。


  6月5日か12日 初顔合わせ

  6月16日 行方不明になる

  6月19日 祐輔に妹の所在確認

  6月20日 河川敷駐車場で妹を発見、病院に救急搬送、ICU

        妊娠が判明 → いつ?

        何度も自殺を試みる → できるの?

        走ることができない → 発見時に薬とか飲んでた? 副作用?

  7月14日 薮川と名乗る姉から電話


 何か、やっぱりおかしくない? ICUに運ばれたときの検査で、妊娠って判明するのかしら? 走れないって、車で薬か何か飲んで自殺しようとした副作用? エンジンをかけたまま河川敷で3日間? 妊娠したのと自殺未遂って、一緒に考えて良いの?


 頭にふと浮かんだのは、ギリシャ神話に出てくるメデュシアナだった。

 メデュシアナとは、メデューサの頭に髪の代わりに生えている蛇で、単体でも動くことができ、男にしか咬みつかない蛇だとされている。妊娠が事実だとすれば、それは我が家にとっては一大事であり、もしも嘘だとしたら、それは性を楯にした、とてつもなく卑劣で許されない所業なのでは。

 不自然なほど物音一つしない受話器の向こうから、藪川の「ふふっ……」という含み笑いが小さく漏れた。ぼうっとした頭の中で、メデュシアナの細く長く赤い舌がチロチロと蠢いているような気がした。


 ちょっと整理させてもらおうか。


「あのね、ごめんなさい。子どもが出来たことに関しては、お互いに合意の上とはいえ、こちらにも否があるので責められても仕方がないと思います。もちろん、堕胎されるのであれば費用も半分は負担させていただきます。

 ただ、実際にどういう言葉を使ったかは分かりませんけれども、言葉は受け取る側によって個人差があると思います。もしかしかたら主人が本当にひどいことを言ったのかもしれませんけれど、それをどう受け止めて、どう考えるか、どう捉えるかは妹さんの問題ですよね? 身体に機能障害が出てしまったのは本当に気の毒に思います。でも、精神的な痛手を受けたと妹さんがおっしゃっていることが自殺未遂という行動を起こす原因の一つにはなったかもしれませんけれど、堕胎の件とは別に考えていただいてよろしいでしょうか」


 少し、語気を荒げてしまった。自殺とか堕胎とか、子どもの耳には入れたくないような言葉を使ってしまった。仮に、本当に妊娠していたとしたら、合意の上での結果なのだから、堕胎費用の半分は負担するのが筋だとは思う。少しぐらい足して、大人の解決で済ませられればベストかも。お互いに恨みっこ無しで、さようならが言える関係。

 でも、仮に誰かに「死ね」と言われて、本当に死のうとするかどうかは本人の選択でしかなく、「死ね」という言葉はきっかけにしか過ぎないと思う。私の考え方は間違っているだろうか。相手の反応が気になる。

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