エピソードⅠ-Ⅴ 蠢くモノたち

 やけに静かだ。軍警察の突入に乗じて裏口から侵入したクロウはそう感じた。

 本来であれば軍警察が到着する前に社内に潜入し、エリカだけを救出して脱出する作戦であった。彼女が捕らえれているのは三階のどこかとしか分からなかったが、クロウはしらみつぶしに探せばいつかは見つかると気楽に答えた。

 だが、軍警察突入との通信をキャサリンから受け取り、裏口で待機していたクロウとトキオは急いで三階へと駆け上がり、今に至る。

 非常階段から奥の通路は闇に飲まれて先が見えない。フロア全体が暗く、また照明が故障しかけているのか、点滅や消灯を不定期で繰り返していた。

 彼女から伝えられた情報通りなら、この時間帯にも社員――金で雇われた傭兵やチンピラが見回りをしている筈である。

 そう言うなら、会社の裏手にある非常階段を上っている時にも同じ感覚を覚えた事を思い出した。警備しているのは表玄関の二人だけで

裏手には誰も見張りがいなかった。

 運が良かったのか。はたまた、軍警察が来るのを分かって逃亡したのか。

 「不気味ですね・・・・・・誰もいないなんて」

 彼の邪魔にならないよう、しかし離れすぎない距離で歩いていたトキオはそう零した。

 これが只の強盗であるなら、見張りがいない事は好都合と考えて物色し始めるだろう。そして最後には足元を掬われるのがお決まりだ。

 クロウは常にその逆を考えている。最悪の展開を想像した上でそれに対抗できる術を用意する事が、彼の仕事の根底にある。

 曲がり角の先に待ち伏せがいるか。足元にステルス地雷が仕掛けられているか。見張りがいないのは罠ではないか。

 そして、既に人がいないのではないか、とも。

 ≪周囲に気を付けろ。潜んでいるかもしれない≫

 対リボーン用としてクロウが改造したリボルバー『鴉(からす)』を構えながら、周囲の警戒をしつつ目的の部屋を探す。

 先にも言ったが、どこが彼女の部屋なのかは分からない。ただキャサリン曰く、エリカは社長のお気に入りである為、特別な部屋が用意されているに違いないと語っていた。

 またこの会社の元ボディーガードという男からも情報を得ていた。社長はエリカとの逢瀬の為だけにその部屋を作ったと。また、彼が保有する特殊な鍵がいる事も。その鍵は常に彼が身に着けている為、部屋に入る為にはアリマラを見つけて鍵を奪わなければいけない。アリマラは普段は社長室に引き籠り、気分が高揚すると彼女の部屋に出向くのだそうだ。

 また、気になる事も彼は語った。社長の命令で連れてこられた『お嫁さん候補』と呼ばれる女性たちが薬漬けにされ、三階の個室に一人一人押し込められていると。

 ライトで通路を照らすと、確かにそれらしい扉を幾つか発見した。短い間隔で作られた扉。恐らく寝るスペースも殆どないのだろう。扉に耳を付け、内部の様子を聞いてみた。

 すすり泣く声が聞こえる。そうかと思えば急に笑い出し、怒鳴り散らしてまた泣き始める。精神状態がおかしくなった者が多数いるようだ。

 これがアリマラの言うお嫁さんなのか?クロウはその真意を分かりたくなかった。

 暫く道なりに進むと、広間に出た。右側にはエレベーター。左側にはでかでかと書かれた『社長室』の文字だ。エレベーターは電源が落とされ、うんともすんとも言わない。社長室はロックが掛かっているが、電源は生きている状態だった。

 これならクロウの持っているデバイスでのハッキングが出来る。その準備に取り掛かろうとした手前、クロウは通路の奥に何かを見つけた。目を凝らしてよく見ると、電光掲示板のようだった。

 ≪見つけた。あれか≫

 派手な色の装飾に気味が悪い光。電光掲示板には『僕と花嫁の愛の部屋』と流れていた。キャサリンの言う通り、ここに閉じ込められているのだろう。

 「ここに、彼女が・・・・・・!」

 その扉を前に、トキオは悔しさを滲ませて拳を強く握る。自分一人ではどうしようも出来ない悔しさからくるものか。それともアリマラに対する怒りからなのかは、当人にしか分からない。

 ≪落ち着け。まずは社長室を開ける。中に本人がいたら思い切り殴ればいい≫

 トキオに落ち着くよう指示を出し、二人して社長室の方を見る。その時だ。クロウたちが歩いてきた通路から、扉が開く音が聞こえてきた。

 ≪伏せろ。何か来るぞ≫

 クロウは彼にそう指示し、引き金に指を添わせながら鴉を構えた。バイザーのモードを暗視モードに切り替え、暗闇の中から歩いてくる者の正体を確かめようとする。

 暗視モード特有の緑色に近い視界の中、長い髪で顔を隠した人型がこちらに向かってきていた。顔は髪で隠れているので分からず、着ている服はボロボロだ。苦しそうに両手は腹の辺りを押さえながら、股の間からは何かしらの液体を漏らし、呻き声を上げていた。

 「女の、人?」

 ≪おい待て。下手に動くな≫

 暗視モードから通常に切り替えている最中、トキオは目の前の人影が女性だと分かるや否や、立ち上がって彼女の下へと走り、肩を抱いた。

 「大丈夫ですか?」

 長い髪の間から覗く両目がしっかりとトキオの顔を認識すると、女は口を開けて「たす、けて」と呟いた。その間にも、女の股から流れる液体が小さな水たまりを作り出していた。

 水たまりはトキオの足元にまで広がる。彼が不意に足を上げると、水が糸を引いて彼の着ている靴底まで引っ付いていた。

 女は腹を押さえ、トキオの胸に顔を埋めて呻きだした。その時、照明が点滅を始め、女の風貌を一瞬見える事が出来た。腕と足にびっしりと生えたその産毛を、クロウは覚えていた。

 ≪ガキ!そいつから離れろ!≫

 クロウが叫び銃口を女に合わせる。同時に、女はトキオの肩をがっしりと掴むなり、彼の顔を真正面に捉えた。

 長かった髪の中から出現した顔は左右に割れ、それぞれに鋭い牙を生やした顔がトキオの顔を包むように大きく広がっていく。

 トキオは驚き逃げようとするが、両肩はがっしりと掴まれた上に、水たまりだと思っていたものは強い粘着性を持つ分泌物であった。

 足と地面がくっつく程強力な粘着液で足を固定されたトキオの顔全体に、左右に割れた顔が大きく広がり、包み込もうとしていた。

 「ひっ!?」

 叫ぶ間もなく、トキオの顔は女の顔に包まれた。左右から擦れあう牙の音を聞かされ、心が恐怖に支配されていく。

 もう駄目だ。おしまいだ。トキオの頬に怪物の牙が僅かに触れた、その瞬間。

 クロウは引き金を引いた。そして解き放たれた鴉の雄たけびがフロア全体に響き渡る。衝撃は社内を一瞬だけ振動させ、内部にいた警察官たちは震えあがる。

 弾丸はトキオの右頬を僅かに掠り、覆っていた顔半分を粉砕した。悲痛な叫びをあげた怪物は、予想外の攻撃にトキオを突き飛ばし、後方に飛んで距離を取ろうとし――それを見切っていたクロウも怪物に接近するように大きく跳ねた。

 怪物の真上に来るように跳んだクロウは銃口を怪物に向けていた。跳んだことで無防備になった怪物の顔に向かって鴉の引き金を引く。

 発砲した瞬間、クロウの体は一瞬だけ宙に浮いた。逆に、怪物は後頭部から地面に叩き付けられ、頭の中の内容物が四方に飛散していった。

 間を置いてクロウが着地。同時に怪物へと走り出すと、右手甲に収納していた高周波ナイフの刃先が飛び出し、それを怪物の心臓部へと思い切り突き立てた。

 びくびくと痙攣する怪物に目もくれず、ナイフを深々と突き刺すクロウの姿に、トキオは怪物の時とは違う恐怖を感じる。

 やがて怪物の痙攣が止まり、心臓部からナイフを引き抜いたクロウは怪物の着ていた服で血を拭い取り、刃先を引っ込めた。

 焦げた肉の臭いが廊下に充満する。炭化した心臓からぱちぱちと音が聞こえる。

 ≪クソガキが・・・・・・余計な手間かけさせやがって・・・・・・≫

 死んだ怪物の死骸に注目していたトキオの背中から、忌々しそうな声が聞こえたかと思った瞬間、襟の部分を鷲掴みにされて後方へと思い切り引っ張られる。

 引っ張られた時に靴が外れ、ようやくトキオは粘液から解放された。

 「一体・・・・・・何だったんですかあれは!?」

 食われる手前までいっていたにも関わらずアレの正体を問い詰める彼に、クロウは面倒そうに説明しだした。

 ≪リボーン。NBを多量に服用した人間がなる成れの果てだ。大好物はお前ら人間の脳みそと心臓。食えば食う程、新陳代謝が活発になって最強の生物になる。そうなる前に殺してるがな≫

 鴉から弾倉を抜き取り、残弾を確認する。そしてトキオの肩を持って無理やり立たせると、≪ただ≫と続けた。

 ≪あの手のタイプは始めてだ。意識も多少あり、言語もたどたどしいが話せる。擬態能力が進化したタイプなのかは分からんが、キャサリンには報告するしかない≫

 話しながら社長室前に移動する二人。クロウは左腕に装着したデバイスを外し、赤と青のケーブルをデバイスに繋げると、扉のコントロールパネル横にある装置に繋いだ。

 解除まで時間がかかる。クロウはその間に辺りを警戒し、トキオにデバイスの管理を任せた。操作方法を軽く説明し、解除に成功したら自分に教えるように伝えた。

 クロウは耳を澄ませ、社内の動きを聞き取る。二階の方で足音が響いている。一人、二人ほどか。同時に発砲音も聞こえてきた。どうやら社内全体に先ほどのリボーンが発生したのであろう。階段を上がってくる音も聞こえてきた。こちらも二人分の足音だ。

 クロウはエレベーター横の昇降階段に銃口を向ける。軍警察である事は確かだ。もしかしたら、巡査かもしれない。イーサと呼ばれる男ではない事を祈っていた。

 軍靴が階段を上がってくる。トキオは聞こえてきた軍靴に怯えながらも、必死にデバイスを管理していた。クロウは口内に溜まった唾液を嚥下し、引き金に指を添わせていた。

 カツン、カツンと。三階に上がる直前に足音が止まり、誰かが壁際から顔を覗かせた。そしてクロウの姿を発見するなり、持っていたショットガンを構えつつこう言った。

 「軍警察だ!手を・・・・・・お前は!?」

 ≪久しいな、刑事さん。半年ぶりだ≫

 互いに銃を向け合いながら、ブライトとクロウは半年ぶりの邂逅を果たしたのだった。

 

 

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