エピソードⅠ-Ⅲ 奪われた花嫁

 外から聞こえてくるのは男の怒鳴り声と女性の悲鳴。

 男は必至で何かを訴えながら女性を殴打し、彼女に愛の言葉を何度も投げかけ、また殴る。

 女性は必死に謝罪し、殴打されながらも謝罪を繰り返す。

 その行為が何度も行われる内、ついに女性の声が聞こえなくなった。

 男はさっきとは打って変わって泣き叫び、かと思えば激しく罵倒を繰り返す。

 そして誰かを大声で呼び出す。その後、喚き散らした後に何かを運ぶ音が聞こえてきた。

 ――ここに運び込まれてからどれぐらい経ったのだろうか。

 思い出そうとすると頭が割れる程痛む。両親の顔も、友達の顔も、恋人の顔も思い出せない。

 名前が脳裏をちらつき、文字が出た瞬間に後頭部がずきりと痛み、その度に思考は初期化されていく。

 ふと、首筋に手を当てる。蚊に刺された後のように小さく晴れた傷に触れると、何故か心が不安になる。

 足を動かすと、足首から金属音が聞こえてきた。そちらに目をやると、鉄球に繋がれた鎖が、自分の足首に繋がれているを見た。

 動かそうと足に力を入れるが、その度に鉄球は床を這いずり、大きな音を立てた。

 ここは何処なのか。周りを見渡せば、豪華なベッドに冷蔵庫。少女が好みそうなクマのぬいぐるみに、メルヘンチックな壁紙。

 私は今まで床で寝ていたようだ。フローリングは水と、白くべたつく液体を吸収している最中だった。

 やけに臭いその臭いから逃れようと、自然と体を起こす。

 外の様子が一目で分かるように、部屋の一角だけはガラス張りになっている。

 そこから見えるハイウェイを走る車。軍警察のパトカー。

 下を覗けば老若男女が行き交う商店街のような場所。何処だったかは思い出せない。

 起き上がって分かったが、今はやけに下腹部が痛い。

 まるで中から蹴られているような、そんな感じだ。それも時間が経てば収まっていく。

 焦点が合わない。常に夢を見ているような、そんな感じだ。

 何も考えたくない。ただただ、このまま夢を見ていたい。

 そんな時、再び男の怒鳴り声が聞こえてきた。同時に聞こえる女性の叫び声。

 再び殴打される女性の声が胸の奥に響く。聞けば聞くほど、心の重荷になっていく。

 私は耳を塞いだ。その声を聞かないように。

 目を閉じて耳を塞げば何も聞こえない。誰かの怒鳴り声も、悲鳴も、何も聞こえなくなっていく。

 そうしていると意識が段々と薄れていくのが自分でも分かる。

 このまま意識を手放して――楽になりたい。



 ニュートンビル本社。

 父親から譲り受けた建築会社の社長室で、今日も怒声が響き渡る。

 吠えているのは太った男。ラフな格好ではあるが、既に服が肉の許容量を超えて、今にも破れそうな勢いだ。

 この太った男がここの社長なのか。胸には自社のバッジをつけ、怒鳴る度に腹の肉が上下左右に揺れる。

 怒鳴られているのは今いちパッとしない青年で、彼はこの会社に商談を持ち掛けてきたサラリーマンのようだ。

 辺りに散らばった紙を拾い上げながら、青年は引き攣った笑顔で何とか対応していた。

 それが社長の怒りに触れたのか。ヒステリックな声を上げて「出ていけ!」と繰り返し、手元にある物を投げてきた。

 中にはハサミや陶器なども混じり、身の危険を感じた青年は足早に社長室から退散していった。

 「くそが!ムカツク!」

 太った男は椅子を蹴り、しかし蹴り上げた所が固い材質だったせいか、逆に足を押さえて悶絶する。

 「ちくしょうが!」

 机の上にあった書類やコップを投げ飛ばし、怒りの矛先を変えた。

 だがそれで怒りが収まる筈もなかった。男は机の中を漁りだすと、小さい瓶を一つ取り出す。

 瓶の中は錠剤が二つだけ入っていた。蓋を開けると、迷うことなく錠剤のシートごと口の中に放り込み、飲み込んだ。

 (足りない!)

 この薬が欲しい。イライラが頂点に迎える直前、社長室のインターホンが鳴った。

 「誰だよ!俺は今機嫌悪いの!後に・・・・・・」

 「ハーイ。社長さん。お元気そうネ~」

 八つ当たりのようにインターホンに出た男の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。

 声を聴いた社長は先ほどまでの怒りを忘れ、上機嫌な声でその声の主を社長室に通した。

 「ケニー!会いたかったよ!早く薬を頂戴!」

 大昔のロックバンド風のファッション、モヒカンの髪形をした男をケニーと呼んだ社長は、小走りで彼の下に駆け寄った。

 ぶるんぶるん揺れる肉塊を冷めた目で見ていたケニーは、懐から瓶を一つ取り出す。

 「これで最後よ、社長サン。生産が間に合わないワ」

 瓶を受け取った社長は急いで蓋を外すなり、手の平に出した錠剤十個ほどをまとめて口に放り込んだ。

 今度は飲み込まず、歯で砕いてから飲み込む。勿論、シートごとだ。

 その慌てぶりを見たケニーは更に冷たい目で男を見た。気づいてないのは社長だけだ。

 「ああ!あああ!最っ高!いい気分だよ!!これならあの子も満足させられるよ!」

 「あらそう。よかったわね。ところであんた――最近女の子をやったらめったら誘拐してるそうじゃない?」

 「え?そうだよ!花嫁は多い方がいいじゃん!それで俺の子供を産んでくれるのなら最高じゃん!」

 ケニーの問いかけにハイテンションで応じる社長に、呆れた態度を隠さない。

 「あんたね、今使ってるの違法薬物だっての理解しなさいヨ。あんたの周辺を軍警察が嗅ぎまわってるの知ってる?」

 「知らないよ、そんなの。俺の邪魔をする奴は、誰であろうと許さないもんね!」

 「どうやってヨ?」

 「愛の力だよ!」

 支離滅裂な言葉を言い始めた彼に、ケニーは溜息を付いた。そんな彼を他所に、社長は踊る肉塊になってあちこちを撥ねる。

 「まあいいワ。ともかくこれでアンタとの契約は終了。最後にこれだけ渡しておくワ」

 ケニーは社長机に小さいカプセルを置く。それに気づかず踊り続ける肉塊に、警告した。

 「アンタの周辺、軍警察以上にヤバイ奴が嗅ぎまわってるの、いい加減気づきなさいヨ」

 肉塊は踊り続ける。揺れる肉が更にバウンドし、この階だけが揺れる。

 ケニーは呆れた顔で社長室を後にすると、明らかに疲弊した見張りの人間に声を掛けた。

 「アンタも大変ネ」

 「いえ・・・・・・これが仕事ですので」

 「真面目ネ。アタシの好みダワ。それはそうと、もうじきヤバイ事になるワ。早めに逃げときなさい」

 「御忠告、感謝します」

 ケニーはエレベーターの下降ボタンを押す。扉はすぐに開き、彼はその中に乗り込んだ。

 扉が閉まり、エレベーターはものの数秒で一階に辿り着く。

 ビルの入口の前には、この社会で行き場を失った者達がたむろし、酒やタバコを呑んでは吸い、あちこちに投棄していた。

 彼らには目もくれず、ケニーはビルを離れ、歓楽街の人混みの中へと紛れる。

 繁忙期で、この時間帯であるにも関わらず、今日も街も行き来は数える程度しかいない。

 ケニーは左耳の付け根を指で軽く押す。数秒後、彼の仲間である男の声が聞こえてきた。

 「契約は成立ヨ。アタシラは暫く地下に潜るワ」

 了解と短く答え、通信が途切れる。

 どうせなら一杯飲もうかしら、と。彼のお気に入りのバーへと行く為、人ごみの中へと隠れるように歩いて行った。

 ――その頃、薬でハイになった社長は見張りの男を突き飛ばし、ある部屋へと向かっていた。

 この高揚感のまま彼女と愛し合いたい。今の自分なら彼女を満足させられる。

 麻薬中毒者特有の症状が発露したまま、社長室よりも遠く離れたVIPルームへと走る。

 VIPルームの前まで来ると、彼は扉を拳で叩き、叫ぶ。彼女が自分の来訪を喜んでいると妄想したまま、ドアのカードキーを探して

ポケットの中身を全てそこにぶちまけた。

 散乱したゴミの中からキーを見つけ出すと、雄たけびを上げてカードリーダーに通す。

 電子音で確認の音が出た瞬間、自動ドアが完全に開く前に中に飛び込む。

 しかし肉がつっかえて頭までしか入らず、バランスを崩した社長は前のめりに倒れた。

 すぐさま立ち上がり、激高した彼はドアに蹴りを入れる。そして満面の笑みで振り返り、地面で倒れていた女に向かって愛を叫んだ。

 「エリカ!僕のエリカ!愛おしい花嫁よ!さぁ夫婦の時間だ!!今度こそ君を天国に連れて行こう!君の笑顔を台無しにしたあのクソガキよりも、

僕の方が素晴らしい男だと分かってもらえるように!」

 小走りで彼女の下に駆け寄り、美しく艶のある長いブロンドの髪を乱暴に掴み、側に豪華なあるベッドへと引きずり、投げた。

 殆ど無抵抗の彼女の服を破り、二つの柔らかな桃を鷲掴みし、細く綺麗な人形のような首筋を舐め上げる。

 愛撫とは言い難い乱暴な行為。しかし社長の頭の中では、彼女がその行為に感嘆の息を漏らし、流し目で誘惑し、濡れそぼった果実を指で押し広げ、

おねだりしているように見えていたのだ。

 少女であり、娼婦のような淫乱さを垣間見た男は鼻息を荒くしてズボンを脱ぐ。そこには、成人男性とは思えない、まるで子供の食べるソーセージが

醜く勃起していた。

 妄想の中でのそれは、血管の浮き出た逞しいモノを自分の中に見ていた。太く逞しいそれを、彼女の濡れた蜜穴へと入れる。

 しかし現実では、先端に僅かしか入ってない一物を必死に腰を振る、情けない姿であった。

 腰を振り続けて数十秒も経たぬ間に、男は絶頂に達する。彼の妄想では、互いに絶頂を迎え、余韻に浸っている所であろうか。

 絶頂に達しても尚、社長は腰を振る。何度でも、何度でも。確実に自分の種を残すために。

 その間、エリカは無表情だった。心を殺して、この地獄から早く終わりたいと願っていた。

 こんなもの、愛ではない。只の独りよがりの性行為だ。

 エリカの記憶の奥底、ぼんやりと映し出された彼の顔を思い浮かべる。いつの間にか涙が出ていた彼女に、社長は歓喜の声を漏らした。

 「いいんだね!やっぱり僕らは最高の恋人だ!一目見た時から、ずっと君の虜になってたんだよ!」

 もう何度目かの絶頂を迎えた社長は白目を剥き、更に腰を深く打ち付けた。

 「苦労した甲斐があった!君を迎える為に!ご両親を何度も説得した!そしてようやく君を、君への愛を理解してもらえた!」

 蜜穴の先から零れる粘着性の白い液体。それは彼女の体内に届くことはなかった。

 「こんな不甲斐ない僕でも!君となら!共に歩いていけるよ!こんな腐った世界でも、僕だけは君を愛してる!愛してるよ!」

 愛を叫び、押し付けるだけの荒々しい交尾は未だ終わりが見えず。少女の流した涙の意味さえ分からないまま、男は夜に狂喜の声を上げ続けた。

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