エピソードⅠ-Ⅰ:奪われた花嫁

 そこはある学園の寮の部屋。

 柔らかな夕日の明かりが部屋に差し込む中、クリアキーフォンと呼ばれる薄型の携帯電話を持ったまま立ちすくむ少年がいた。

 携帯を持った手はだらりと下がり、しかし握った物を落とす事はなかった。

 顔色は青ざめ、生気を失った瞳からは涙が零れ落ち、頬と足元を濡らす。

 もう片方の手は力強く拳が握られていた。それで何を殴ったか、皮膚は所々破れ、僅かに出血していた。

 携帯の画面が光る。それに気づいた彼はゆっくりとした動作で画面を覗く。

 画面の奥では、学生服を着た女が複数の男と乱れ、交じり合う姿が映し出されていた。

 女の素性が分かるように学生証を画面内に収め、顔を両手で隠したまま腰を振る女。

 その様子を見ながら男たちは邪悪な笑みを浮かべ、女の首筋に注射器をあてがい、刺した。

 中の液体が注入される度、女は幾度となく痙攣を繰り返す。成長した二つの乳房が上下に揺れ、長く綺麗に纏められたブロンドの

ポニーテールを激しく揺さぶり、女は顔を隠していた両腕を下げた。

 「・・・・・・エリカ・・・・・・?」

 少年がぼそりと、画面の女の名前を呼ぶ。

 エリカと呼ばれた女は更に腰の動きを速める。内ももからは白濁とした液を垂れ流し、顔は恍惚とした表情のまま、誰かに謝り続けていた。

 それが少年の名前である事。それに気づいた男たちは顔を見合わせ、再び嗤う。

 男たちの腰の動きが早くなる。それに合わせてエリカも白目を剥きながら応じる。

 ともに絶頂を迎える為の動きに目を奪われながら、画面外の少年は叫ぶ事しか出来なかった。

 少年の慟哭と共に、画面内の饗宴も終わりを迎えた。およそ人とは思えない嬌声を上げて女は痙攣し、少しの間を置いてからベッドに倒れこんだ。

 男たちも固く緊張した肉棒を引き抜き、途端、女の股からはあの白い液体が零れ、ベッドを濡らした。

 『これでいいんだな、アニキ?』

 男の一人が声を掛ける。

 『上出来。最高の仕上がりヨ。後の始末はアタシたちにお任せヨ』

 応えたのは女口調の男。特徴的な髪形は、まるでサソリの毒尾を思わせる形だった。

 『アンタたちはそこのトランクに入ってる金を持って逃げなサイ。アタシはこの娘を綺麗にしてから旦那に届けるワ』

 「分かった。おっと、携帯を切るの忘れてたぜ、へへへ」

 わざとらしく声を出し、男は携帯の電源を切る。同時に少年との通話も終わった。

 戻った待ち受け画面には、少年とエリカが楽しそうに腕を組み、ピースをしている画面が映る。

 それを見て、少年は二度目の大声を上げ――携帯を机に向かって叩きつけた。



 深い闇が支配するスラム近郊。

 明かり一つない廃ビルの頂上には、赤い二つの眼光が獲物を捕らえた。

 歓楽街とスラムの境界で待ち伏せを行うのはヒトならぬモノ。

 上下に大きく裂けた顎を震わせ、人間の腕よりも細長くなった四対の腕で壁に張り付き、自重を支えている。

 時折真下を通る人間が来る度に、下顎から漏れた唾液が地面に落ちた。

 ――リボーン・スパイダー。リボーンと呼ばれる怪物が更に変異した姿だ。

 狼、カエル、バッタなど、様々な変異体が確認されてきた。

 そうなる原因は不明。政府一の化学力を持った研究所でも、何が原因か分からないという。

 ただ一つ分かっているのは、リボーンは人を襲うという事。

 リボーンを討伐するのは軍警察の任務。しかし、殉職を恐れる専門チームは毎度の如く雲隠れする。

 噂では、専門チームを軍警察自らが解体した、とも囁かれている。

 それに、リボーンの出現する場所はスラム近郊が多い。スラムの人間を卑下している者にとって、どうでもいい事なのだろう。

 だが、それでは市民の不安を煽るだけだ。只でさえ信用が地に堕ちた軍警察は、やむなく傭兵を雇う事にした。

 その傭兵ですら、リボーンの脅威には打ち勝てなかったのだが・・・・・・。

 ≪――了解。目標を肉眼で捉えた。これより排除する≫

 黒い特殊装備に身を包んだ男――クロウが飛んだ。

 廃ビルの頂上から、赤い眼光が落ちる。

 命綱なしで目標に急接近する中、クロウ専用に改造されたデザートイーグルが太もも内部から現れる。

 グリップを握り、引き抜く。ハンマーを持ち上げ、引き金に指を掛ける。そして狙いを定め――引き金を絞る。

 一瞬だけ空から光が漏れた。遅れて、大砲を打ったような銃声が街全体に響き渡った。

 炎を纏い、獲物に食らいつかんとする銃弾を、リボーンは寸での所で躱した。

 足を外し、地面に着陸した怪物は上空を見上げる。そこに敵がいるのを確認すると、大きく裂けた顎を開き、口内から白い糸状の物を噴出した。

 上空でそれを躱したクロウも地面に堕ち、態勢を整えてすぐに怪物へと走り出し、銃撃を行う。

 怪物は弾の動きを見抜いてか、長い手足を器用に使い体の方向を替えつつ、口内から白い球状の物体を連射する。

 球状の物体を横に飛び、時には片手で弾き返しながらクロウは走る。両者の間合いが近づいた瞬間、怪物が大きく仰け反る。

 そこに現れたのは、胸から下腹部まで大きく縦に裂けた口だった。びっしりと生え揃った牙の鋭さが、見た者に死を暗示させる。

 仰け反った反動を利用して、怪物は勢いをつけてクロウに覆い被さった。

 前に出すぎたクロウは一度立ち止まり、後方に下がろうとするも、長い手足が檻のように纏わりつき離さない。

 怪物の口の中は髪の毛や神経、消化し切れていない内臓が見受けられる。赤黒く変色した血液が牙に付着し、より禍々しく感じる。

 纏わりついた手を切り落とそうと、クロウは腰にぶら下げたナイフを取り出し、纏わりつく腕に向かって振り下ろす。

 柔らかい感触と骨を断つ音。腕の一本を切り落としたクロウはもう一対の腕に向かってナイフを振り下ろした。

 しかし、そうはさせまいと怪物が動く。先ほどよりも大きく開いた腹の口が、クロウの体全体を飲み込んだ。

 幾重の鋭い牙が、クロウの生身の部分に突き刺さる。特殊装備のプレートすら軽々と突き抜ける力。

 更に口の中に押し込もうと、取りついていた腕で抱きしめられるように奥へ奥へと押し込まれる。

 強化プラスチックが割れ、鉄が歪み、クロウのヘルメット内でも危険の表示が一杯に広がる。

 ≪くそが・・・・・・≫

 目の前をデンジャーの表示で埋め尽くされたクロウは舌打ちする。

 ナイフで口内を刺そうとするも、そちらの腕はがっちりと怪物の指が絡み、固縛されて動かない。

 銃を持った腕も同様だ。白い糸と細長い指で固縛され、引き金に掛かっていた指はいつの間にか根元から捻り取られていた。

 青と黄色のコードが根元からはみ出し、青く弱々しい電流が流れる。

 それを見てクロウはある事を思いつく。

 この義手はバッテリーを駆動して動かしている。それに、義手の内部には仕込んでいた爆発物がある。

 無理やり義手内部にスパークを発生させて、爆発物に引火させれば・・・・・・。

 しかし、この義手に代わりはない。もし失えば暫く片腕だけになる。

 (ここで死ぬよりはマシだな)

 目の前に迫る牙を睨み、クロウは吠える。

 ≪――食らいやがれ≫

 クロウは右腕に無理な命令を送る。

 命令を受けた義手は無理矢理に腕を反対方向へと曲げる。

 その瞬間、義手からは目に見える程の電気が走り、クロウの体中を電流が駆け巡る。

 彼の体に巻き付いた腕もこの影響を受けた。細長い腕はたちまちに黒く変色し、焼き過ぎた肉の臭いが辺り一面に充満する。

 そして、義手に仕込んでいた火薬に電流が走り、引火した火薬は爆発を起こした。

 体半分を飲み込んでいた口が無くなり、クロウに刺さっていた牙や糸は崩壊し、クロウは地面に放り出された。

 「ガアアアアアアッ!?」

 内部に相当なダメージを負った怪物は吠える。同時に、壊死した腕を引きちぎった怪物は、今度は上の顎を開いて突進してきた。

 地面に放り出されたクロウは態勢を立て直し、義手だったものを肩の部分から取り外す。

 残った左腕で銃を握り、怪物に向かって銃口を定めた。

 ≪終わりだクソ野郎≫

 怪物の口がすぐそこまで迫る中、クロウはそう吐き捨てて、引き金を絞った。

 口の中に大口径の銃弾を撃ち込まれた怪物は、頭が吹き飛び、体はあちこちに弾け飛んだ。

 クロウを飲み込んでいた腹の口からは出血し、細い腕は原形を留める事無く吹き飛ぶ。

 およそ二メートル吹き飛んだ怪物の体は激しく痙攣し、腹から飛び出た内臓と血液で辺り一帯を赤く染める。

 返り血を浴びたクロウも赤一色になり、彼は銃を太もも内へと収納するなり、腰のバックパックから小瓶を取り出す。

 蓋を開け、中の液体をぶちまけた後は瓶を戻す。続けてライターを取り出し火を点けると、怪物に着火させた。

 炎が上がり、瞬く間に怪物の全身を包んだ炎は青色に燃える。煙が天高く上がる中、クロウは通信を始めた。

 ≪こちらクロウ。目標を駆除した≫

 『了解。帰還して』

 了解と短く伝え、辺りを見わたす。あれだけの騒ぎを起こしたのに、今日は警察が動く気配がない。

 珍しい事だと思いながら、クロウは投げ捨てたナイフを拾い上げ、同時に小さい四角形のような物を見つけた。

 不審に思いそれを拾い上げる。所々が焦げているが、デバイスによく使われるチップのようなものだった。

 ヘルメットのスキャニングを起動し、どこに使用されているチップかを確認するが、先ほどの戦闘で壊れたのか、エラー表記しか出ない。

 ≪壊れたか≫

 叩いて治るような物でもない。チップを落とさない様にバックパックに仕舞いこんだ。

 すると、今まで隠れていたやじ馬がぞろぞろと燃えている死体の方に集まり始めた。

 皆が携帯で写真、動画を取る。恐らく明日の朝にはネットに掲載される筈だ。

 潮時だな。クロウはそう呟くと、鉄骨が剥き出しになった廃ビルの中へと姿を隠す。

 廃ビルの中は薄暗く、少し歩くだけでも瓦礫や鉄骨が足に当たる。その中をクロウは器用に歩き、時には乗り越えていく。

 やがて、スラムの中心部へと戻った彼は、そこでようやく軍警察のサイレンが鳴っているのを聞いた。

 「ようリーダー。収穫はあったか?」

 大柄で筋肉質な男が彼に歩み寄る。ここのスラム一帯を管理しているオウルだった。

 クロウは無言のまま、彼に向かって何かを投げる。それを受け取ったオウルは怪訝な顔をしながらそれを眺めた。

 「何だ?俺に技師でもやれってか?」

 「お前の太い指で技師は無理だろうが。そいつが何に使われているのかを知りたい。ついでに、右腕の義手もな」

 そう言ってクロウは肩の根元から外れた義手を見せる。

 「こりゃまた随分と派手にやったな。分かった。夜明けと共に伝えておく」

 「頼んだ。報酬はキャサリンから受け取ってくれ」

 そう言い残し、クロウは背中を向けて再び瓦礫の中へと戻っていく。

 その背中を見守ったオウルは、頭を掻いてチップを見る。

 僅かに肉の焦げた臭いが、彼の鼻奥にこびりついた。

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