プロローグⅡ
それはどこかの部屋。
四角い窓のない部屋の中、ポツンと付けられた電球が風に揺られて揺らめいていた。
中央には机がある。鉄製の机にはあちこちに錆の跡が見られ、また赤黒い染みもあった。
机の上には大型のナイフと拳銃が置かれ、ナイフには所々に傷が目立つ。拳銃は組み立てている最中だったのか、スライドカバーだけが取り付け
られていなかった。
異音を立てて回る換気扇は、錆であちこちが摩耗していた。まるで何かを押し付けたような跡が目立っていた。
その中、換気扇の真下で壁に横たわる男がいた。
全身を赤く染め上げ、右腕は潰れて動かなくなり、ある筈の両目がくり抜かれていた。
それでもまだ男には息があった。呼吸は荒く、いつ死んでもおかしくない状況。それでも男は生きていた。
何かを訴えるように、男は目の前にいるであろう人間に向かって人ではない声を上げる。
――椅子に腰かけ、血まみれの男を見つめるその男に向かって。
≪・・・・・・やはり、濃度が高いようだな≫
電子音と機械音声とノイズが混じった声が聞こえた。それを聞いて血まみれの男は更に喚きだす。
フルフェイスのヘルメットの奥から息が漏れる。全身を黒い装備で統一したその男は、机に置かれたナイフを手に取るなり、血まみれの男に
向かってそれを投げた。
ナイフは男の右肩に突き刺さる。それと同時に、男が大声で叫んだ。
黒の男は血まみれの男に近づき、頭を掴むと同時にナイフの柄を持つ。そしてナイフを引き抜くと同時に、今度は首筋目掛けてナイフを突き立てた。
男の絶叫が止まる。しかし、死んだ訳ではない。ただ声を発する部位がナイフで傷つけられただけである。
ナイフを引き抜き、今度は頭部に深く突き刺す。引き抜き、今度は胴体、次は肩、腕、指を次々とナイフで刺す、斬りつけた。
それでも男は生命活動を止める様子はない。がらんどうとなった二つの穴は、しっかりと黒い男を見据えていた。
≪これでも死なない、か。今回流出したのは相当ヤバイ奴だな≫
黒い男はそう呟く。そして再びナイフを握りなおし、再び男の首筋にナイフを突き立てた直後、ヘルメット内に電子音が鳴った。
ヘルメットの側面をなぞる。すると、左腕に装着したデバイスが起動し、同時に女性の声が聞こえてきた。
『こちら本部。――、聞こえる?』
≪こちら――。何だ?またバケモノか?≫
『ご名答よ。歓楽街にて三匹くらい見つかったみたい。駆除を頼むって』
≪・・・・・・報酬は?≫
『牛肉と豚肉のミート缶』
≪それをあと10ケース請求しろ。もしくは一年分の金だ≫
『了解。それじゃ駆除の方頼んだわよ』
通信が切れる。黒い男は突き立てたナイフを引き抜き、刃に纏わりついた血液をボロ布で拭き取る。
そして、太ももから取り出した大型拳銃を、血まみれの男に突きつけた。
≪じゃあな。楽しかったぜ≫
言い終えると同時に引き金を絞る。放たれた弾丸は男の眉間に食い込み、穴を広げながら皮膚を裂き、肉を抉り、頭蓋骨に穴を穿つ。
弾丸はその勢いを止める事無く、更に肉と皮膚を食い破って、遂には後頭部からその姿を現し、壁にめり込んだ。
銃口から火薬の臭いと煙が漂う。拳銃を再び太もも内に収納し、黒い男は部屋を出た。
夜空には星一つない。覆いかぶさった雲は今にも雫を落としてくる黒さだった。
≪さあ――狩りを始めるか≫
誰に聞かせる事もない独り言を呟き、男は空高く舞い上がった。
午後十一時過ぎ。
セントラルシティで最も活気のある区画、通称『歓楽街』と呼ばれる場所で、事件が発生した。
『怪物が人を襲っている』
その通報を受けた署内の空気は、一瞬にして凍り付いた。
対怪物用の専属チームは現在入院中。それも一か月は安静にしないといけない怪我だ。
それならば今残っている者で対策を講じなければいけない。だが誰一人、手を上げる者はいなかった。
それほどまでに怪物の存在は脅威である。人間相手ならともかく、怪物には言葉も通じないのだ。
死にたくない。行きたくない。市民を犠牲にしても自分が助かるなら、と。
そこにいたのは、正義とはかけ離れた軍警察の姿であった。
誰も彼もが目線で訴える。お前が行け、お前が行け、と。
重苦しい雰囲気が立ち込める中、オペレーターは現在パトロールをしている者に呼びかけを行う。
どうせ誰も出ない。誰もがそう思いかけている中、通信が入った。
『こちら201号車、ブライトだ。何があった?』
彼の声が聞こえた時、冷たくなった空気は一瞬だが和らいだ。
「こちら本部。ブライト刑事、歓楽街ポイント二番にて問題発生。現場に急行願います」
『了解。これより現場に急行する』
通信が切れる。と、同時に誰かが呟いた。
「これで、死なずに済む」
オペレーターも気まずい顔をしながら、ただ頷く。これでいい、これでよかったのだと。
警戒態勢の赤い回転灯が回る中、一同はブライトの生末をネタに盛り上がっていた。
「これは・・・・・・酷いな・・・・・・」
現場に到着した彼らの目に映ったのは、凄惨な光景だった。
破壊された露店、内臓をまき散らして倒れた男と女、壁に刻まれた爪痕。
ここを見張っていたであろう重武装の隊員も、尻もちをついたまま微動だにしない。
重武装の隊員に近づき、声を掛けるも、彼は動かない。被っていたフルフェイスのメットを外すと、苦悶に満ちた表情で事切れていた。
更に彼の首には鋭い刃物で切られたような跡が残っており、それは彼の来ている防護チョッキにも同じ跡が見られる。
(刃物に強い強化プラスチックを切ったのか)
ブライトは彼の目を静かに閉じ、顔に白い布を被せる。同じ事を他の犠牲者にしていたイーサはある物を見つけた。
「刑事、あれを」
銃を構え、ライトである物を照らす。照らされたのは、赤いペンキを付けたまま走り去った人間の足跡であった。
それは歓楽街の奥へと続く道に続いており、足跡を残した者はこの先に走っていったという事なのか。
「この先は?」
「住宅街ですね。途中で二手に分かれていて、左に行くと工業地帯、右に行けば住宅街です」
「犯人はそのどちらかにいるという訳か」
「人間ならいいですがね。昼間に話した『怪物』かもしれませんし」
二人とも銃を構え、ライトで行く先を照らす。
「そうだな。イーサ、俺は住宅街に行く。君はここで救護隊を呼んでくれ」
イーサは驚いた顔をしたが、ブライトの顔を見るなり呆れた顔になった。
「もし危なくなったら無線で救援を。発砲、実弾の許可は下りています。お気をつけて」
ブライトは深く頷き、足跡を辿る。
中の状態も酷い有様であった。
露店の中、商品と血溜りの中、うつ伏せで倒れた店主に、呼び込みを行っていた娼婦は腹から首にかけて皮膚が裂かれ、そこから内臓と神経が
露出した状態で倒れていた。
地面に置くタイプの電光掲示板は倒され、中で火花が散っていた。また、ステーキと書かれた木製の板が真っ二つに折られていた。
あちこちで避難の為の警報が鳴り響く。割れた窓ガラスの向こう側で、誰かがすすり泣く声も聞こえてくる。
呼吸を整えつつ、警戒を怠らないように銃を構え、奥へと進む。進んでいくと、イーサの言っていた通りに二手に分かれる道が現れる。
看板も確認できたが、どれも薄汚れてよく見えない。
「ここを右に、だな」
右側を向くと、歓楽街ほどではないが積まれていたであろう樽が横に倒れ、外灯が一本だけ根元から折れていた。
このまま向かえばいいと教えられているようだ。改めて銃を構え直し、そちらの方へと進んでいく。
構え直した銃は驚くほど指に吸いつき、握り易い。グリップ部分を木製の物にしているからだろうか。見た目は旧世代のコルトガバメントに似ているが
軍警察用として開発されたのであろうか。
これなら落とす心配はない。後は、何もない事を祈るだけだ。
道なりを歩き、噴水のようなものが目に見えた。そこを抜けると、見知った場所に辿り着いた。
「ここは――セントラル駅か」
噴水は待ち合わせでよく使われる場所だ。広場は中々に広く、綺麗に切り添えられた低木が噴水を囲むように並んでいた。
噴水の中心には時計があり、今は十二時を目指して時計の針が回っている最中だった。
その噴水を前に、ひざまづいて祈っている男の姿があった。
着ている服は所々破れ、赤く染まっていた。怪我でもしているのかと思ったが、どこにもそれらしい傷が無い。
髪の毛は艶があり、体は毎日清潔にしているのだろうか。彼に話を聞くため、そっと近づき、声を掛けた。
「あの、すいません。ここで不審な人物を見ませんでしたか」
彼の声かけに男は動じない。ぶつぶつと何かを祈るように、時計台に手を合わせ続けた。
「あの・・・・・・お時間よろしいですか?」
二度目の問いかけに応えてか、男が立ち上がる。その身長は優にブライトを超え、男を見上げる形になった。
固く握られた拳が開かれる。爪は異様に長く、鋭い。
振り返った男は、顔面蒼白のままブライトを見下ろす。眼球は左右どちらも明後日の方向を見つめ、口はだらしなく開いたまま、涎が溢れて地面に
垂れていく。
これは、昼と同じ状況だ。あの老人と同じ症状だ。
「あ・・・・・・?あぁ・・・・・・かひゅ・・・・・・け・・・・・・」
思わずブライトは後ずさる。そして、下げていた銃を構えた。
「動かないで。まずは俺の話を聞いてくれ」
静止するように話すが、男には聞こえていないのか、一歩一歩、確実に迫っていた。
「動くな。これ以上こっちに来れば発砲する!」
男に銃の標準を合わせる。いつでも発砲出来るように引き金に指を添える。
男は涎をたらし、腕を前方に突き出す。昼の老人のようにこちらを捕まえる為なのか。警告を無視した男に、ブライトは舌打ちをした。
引き金を引く。渇いた音が鳴ると同時に、男は仰け反る。だが――。
「が・・・・・・?けひゅ・・・・・・あ・・・・・・」
すぐに元に戻り、白く濁った眼球がブライトを捕らえた。男の額には確かに弾痕があった。それでもまだ倒れない。
皮膚の再生が早いのか、弾痕もみるみる内に塞がれていく。
「が・・・・・・!ぎひゅ!・・・・・・あぎ・・・・・・!」
呻き声を上げて、男は突然、膝から崩れ落ちた。激しく頭を掻きむしり、頭皮ごと髪の毛がずるりと頭蓋骨から剥がれ落ちた。
眼球は激しく荒ぶり、白目だった所はたちまち赤く変色していく。同時に白かった皮膚に血管が浮かび上がり、それは激しく脈打っていた。
再び仰け反った男の胸の皮膚が四方に割れる。そして、守られていた心臓が体外へと露出し、あばら骨も一部が露出する。
両腕は激しく痙攣したかと思えば、体の肥大化と共に太くなり、指は二本になり、それはやがて硬質化した爪のような物へと変わっていった。
「なん・・・・・・なんなんだ、こいつは・・・・・・!?」
立ち上がった男――怪物は最初見た時よりも逞しく、そして異様な姿へと変身した。
『ブライト刑事!救護隊が到着しました。私もそっちに――!』
通信機からイーサの声が聞こえ、我に返る。彼をこちらに来させてはいけない。
「イーサ!こちらに来るな!怪物だ。怪物が出た!」
『アンノウンですか!なら私も加勢します!』
「危険だ!俺一人で何とかする!そちらは避難を・・・・・・」
『一人の方がよっぽど危険だ!昼に言ったことをもう忘れたんですか!一人で何とかなる相手じゃない。待っててください!』
通信を一方的に切られる。心の中で大きく舌打ちしたブライトに、怪物の爪が迫ってきていた。
間一髪でそれを避けたブライトは心臓に狙いを合わせて発砲する。心臓を撃ち抜けば、流石に活動を停止する筈だ。
怪物もそれを本能的に分かっていた。剥き出しになった弱点を庇うように、肥大した腕で弾丸を受ける。
残った片方の腕を上から振り下ろす。それを予測して動いたブライトは腕と胸板の隙間を狙って二発の銃撃を行った。
しかし、弾丸はそれでも心臓には届かず。銃撃されたと同時に怪物は驚くべき跳躍力で後退。心臓を覆っていた腕をどかし、四足歩行の形を
取った。
歯茎を剥き出しにして、怪物は目の前の獲物に向かって威嚇の為の雄たけびを上げる。
それはこの場所に住んでいる人間たちの眠りを覚ますには十分すぎる程の音量であった。銃撃の音でさえ目を開けなかった住民たちは、
寝間着のまま部屋の窓を開けた。
「な、なんじゃ・・・・・・あれは・・・・・・!?」
ドアを開けて怒鳴り散らそうとした老人は、怪物の姿を目の当たりにして動きが止まった。
「おい・・・・・・これ映画の撮影じゃないか?」
「そんな訳ないだろ!現にあの人、実弾で発砲してるし!」
やじ馬たちは外の光景を携帯で写す。動画にして生中継を行う者もいた。
その間、怪物は四足歩行ならではの獣の動きでブライトとの間合いを一気に詰め、大きく開けた口で彼を噛み砕こうとする。
咄嗟に真横に飛び込み、事なきを得たブライトはやじ馬たちに向かって警告を発した。
「今すぐに退避しろ!これは映画じゃない!ここにいれば怪物に殺されるぞ!」
しかし、その声は届かなかった。それは頭上に現れたヘリコプターのプロペラ音によってかき消されたからだ。
警察への通報を盗聴した各マスメディアが、最大のスクープを求めてここに現れ、ブライトの邪魔をしてきた。
「クソッ!」
警告している間でも、怪物は容赦なく彼を責め立てる。
腕による振り下ろし、爪を左右に振る、態勢を崩してからの噛みつき――。
それらをぎりぎりの所で避け、時には受ける。隙を見つけては何度も心臓に弾丸を送り込む。
だが、それでも怪物は倒れない。苦しそうに雄叫びを上げるも、次の瞬間には心臓に空いた穴は塞がり、何事もなかったように攻撃を繰り出してくる。
何故死なない、何故倒れない。そう考えると、誰も救援に来ない理由が何となく理解できた。
――この怪物には、人間では勝てない。
重火器で圧倒的な破壊を行わない限り、こんなちっぽけな銃では太刀打ちできない。
そして、ブライトの持ってきた弾丸は底を尽きた。
「弾切れ・・・・・・?ここまでか・・・・・・」
引き金を何度も引くが、奇跡など起きない。実弾が底を尽きた合図を、怪物は聞き逃さなかった。
大きく開いた間合いを一気に詰め、再び大口を開けてブライトを食い殺さんと、怪物が迫る。
一瞬の判断を間違えたブライトは、大きく目を見開く。もうすぐそこまで怪物の牙が迫ってきていた。
ここまでか。あの時、イーサの忠告をよく聞いておけば・・・・・・。
後悔の言葉が脳裏を走る。まだここにきて二日もたっていないのに、こんな最後なのか。
目の前の怪物の動きがスローになる程、ブライトの頭の中では様々な思い出が浮かんでは消えていく。
これが走馬灯か。まさか最後に日本での思い出が蘇るのか。
思い出と混ざって、獣くさい臭いが鼻を突く。
飛び散る涎が顔に付く感触。
そして――自分の頬を紙一重で突き抜ける熱い感覚。
「は・・・・・・!」
頬を掠った熱量は目前の獣の口内を蹂躙し、鋭い歯を根こそぎ奪い尽くしてから腹の底まで突き抜ける。
その衝撃で怪物は大きく吹き飛び、宙を舞い、右回転しながら地面に落ちていった。
痙攣を続ける怪物を見ながら、ブライトは状況を把握するのに時間がかかっていた。何もかもが一瞬過ぎて、脳が追い付かない。
頬を掠った場所が痛み出して、ようやく彼は我に返る。
「なにが・・・・・・」
気づけば、やじ馬たちの視線は自分たちとは別の方向に注がれているのに気づく。自身の後方、丁度自分が来た道の中心で、こちらに向かって
銃を向けている者の姿。
「おい、あれって・・・・・・」
やじ馬の一人が思わず写真を撮る。だが、保存された写真にはその姿はなかった。それはマスメディアの流す生中継の映像でも一緒だった。
何もない空間から銃が飛び出し、それが発砲された瞬間、カメラやビデオにノイズが走る。
だが、現実には確かにそこにいた。それは速足でブライトに近づき、呆けた彼の頬を軽く指で突き、
≪――生命反応アリ。無茶すると死ぬぞ、刑事≫
軍警察の特殊部隊が身に着けるフルフェイスのマスクに、様々な機能を取り付けた最新の人工筋肉スーツ。
全身を黒一色に染めたそれから発せられた声は、電子音や男女の声が入り混じった複雑な音を奏でる。
≪三匹の内二匹は処理したが、最後の一匹がここまで変態するとはな≫
先程、彼を怪物から救ったであろう拳銃からマガジンを引き抜き、それを右太ももの突起物に突き刺す。
刺されたマガジンは太もも内に収納され、新たに装填されたマガジンが同じ場所から排出される。それを手に取り、拳銃に装填し直すと、銃口を
怪物の方へと向けた。
≪刑事。よく見ておけ。こいつら――『リボーン』の殺し方をな≫
銃口を向けられた怪物は、ある程度ダメージが回復したのか、四つ足で立ち上がる。しかし、前足は震え、後ろ脚も何とか立っている状態だ。
それでも、目前の獲物を奪われた怒りか、激しく大地を蹴り上げて加速する。そして距離を詰めた怪物は前足を高く掲げ、そのまま振り下ろした。
獣の膂力は尋常ではない。大の大人でさえ大型犬に襲われればひとたまりもない。それがクマ、それ以上の巨大な獣なら猶更だ。
振り下ろされた両腕が振り下ろされる直前に、男は後方に退く。それを追って怪物――リボーンは大口を開けて男を追撃する。
口の中は血溜りが出来、口を開けた瞬間に血飛沫が男目掛けて飛び散る。それを物ともせず、男は口を両手で抑え込み、逆方向へと押し広げた。
広げすぎた口の端の肉が次第に裂ける。固めのチーズを手で裂くように、男は下の口を足で抑え、否、勢いをつけて突き刺す。
間髪入れずに、両手で上の口を持ち上げ、短い発声をした瞬間にリボーンの目の辺りまで口を持ち上げ、骨ごと上顎を引き剥がした。
悶絶するリボーンの下顎から足を引き抜き、うずくまり高い鳴き声を上げる獣を蹴り上げる。
転がった獣は仰向けの状態になり、弱点である心臓が露わになった。二度と腕で塞がれない様に、男は両腕を丁寧に足で踏み抜き肉を絶ち、骨を折る。
一方で、ブライトはその光景を固唾を呑んで見守るしかなかった。
加勢をしようにも弾切れ、警棒もスタンガンも持っていない。この状態で向かっても足手まといになるだけだ。
そうでなくとも、あのリボーンと呼ばれた怪物相手に傷すら付けられなかった。自身も怪我はしていないが、囮にもならないだろう。
額から汗が流れる。両者を見つめる眼差しの先で、黒い獣が止めを刺そうとしていた。
太ももの側面が開く。開かれた先から飛び出したのは、リボーンに致命傷を負わせた大型拳銃だ。
グリップを掴み、引き抜く。引き抜かれた瞬間にハッチは閉じて、同時に銃口を心臓へと向けた。
それを見たリボーンの目が怯えている事に気づいた男は、ヘルメット内で口角を吊り上げ、呟いた。
≪綺麗な色だな≫
≪だからこそ、壊したくなる≫
引き金が引かれる。瞬間、ブライトが今まで聞いた事のない爆音と同時に弾丸が発射され、薬莢が排出される。
弾丸は怪物の心臓にあたり、凄まじい回転で心臓の肉を引き千切り、弾痕を拡大させながら内臓を抉りだし、背骨を砕いて体外へと排出された。
胸にボウリング玉の大きさの穴を開けられた怪物は、絶命の声を上げる事無く、仰向けのまま息絶えた。
怪物の絶命を確認した後、男は懐から瓶を取り出す。何かしらの液体が入ったそれを怪物の全身に撒くと、ライターでその液体を燃やした。
途端、怪物の体全体に炎が上がる。たちまち充満する焦げる肉の臭いが遠く離れたブライトの所まで届き、思わずむせた。
男はヘルメット側面を押さえながらブライトの方へと歩み寄る。
≪・・・・・・リン。三体とも片付けた。内一体は変異。現在バーベキュー中だ。ああ。了解だ≫
≪報酬は忘れるな。ああ。後は頼んだ≫
歩きながら誰かに連絡を入れていたようだ。連絡を終えると、ブライトの真正面に立った。
「まずは礼を言わせてくれ。ありがとう。おかげで命拾いしたよ」
≪礼を言われる筋合いはない。俺は狩りを楽しんだだけだ≫
「それでもだ。更なる被害も免れた。軍警察としては表彰を送りたい」
ヘルメットの奥の素顔は見えない。しかし、全身から発する殺気じみた物を、ブライトは僅かにだが感じ取った。
≪軍警察の表彰受けるくらいなら、怪物の悲鳴を聞いてた方がまだマシだ。それに、俺はお前の敵だ≫
敵?何でだ。そうブライトが疑問に感じた所で、後ろから銃声が聞こえた。
「ブライト刑事!その男から離れて!そいつは指名手配犯だ!」
銃弾は男の足元に撃たれたようだ。しかし、男は動じる事もなく、
≪お宅の部下は初対面の相手に銃弾で挨拶するように教えてるのか?≫と尋ねた。
「イーサ!銃を下せ!彼は・・・・・・」
イーサを制止しようと声を上げる前に、再び銃声が響く。
「ブライト刑事、あんたはコイツの事を何も知らない。この街に来てまだ二日しか経ってないし、私も説明してなかった」
「いいですか?コイツは・・・・・・金さえ払えば誰でも紙屑のように殺す殺人鬼なんですよ。私の父親も、コイツに殺された」
「そうだろう。お前がやった筈だ。クロウ」
クロウと呼ばれた男は頷きもせず、肩をすくめる。
≪何故俺だと分かる?言っとくが、お前の顔なんざ知らんし、パパも見た事がないな≫
≪それにだ坊や。俺のコードネーム知っているという事は、お前も例の組織の関係者か?軍警察内部の情報じゃないだろう?≫
三度、銃声が響く。今度はクロウのヘルメット側面を弾丸が走った。
「黙れ。俺の父親を殺したかどうかだけ答えろ。イエスか、ノーかだ」
「イーサ。まずは落ち着いてくれ。それなら署で彼に話を聞こう」
≪悪いな刑事。俺は軍警察が嫌いなんだ。任意同行はしない≫
それに、とクロウは付け加えた。
≪そこの坊やは殺す気満々みたいだからな。俺とお話がしたいならスラムに来い。ついでに、金は用意しておけ≫
「それはどういう・・・・・・」
全て言い終える直前に、クロウはブライトを突き飛ばし、イーサにぶつける。
不意を突かれたブライトはイーサにしがみつくように倒れ、彼もまたブライトを抑え込むように倒れた。
≪またな刑事さん。そして忠犬野郎。俺を殺したいなら追いかけてみろ≫
「ッ!?待て!」
イーサはブライトを抱えたまま銃を向ける。だが、それよりも早くクロウは二人の頭上を高く飛び上がった。
近くの家の屋根に着地。その勢いのまま隣の家、背の高いビルへと軽々と昇っていく。
やがて夜の闇の中へと姿を消した彼の後を見つめながら、イーサは舌打ちする。
「イーサ。彼は一体・・・・・・」
「詳しい話は署に戻って話しましょう。署長からの命令です」
ブライトを引き剥がし、頭を抱えながら来た道を戻るイーサ。
「あいつは・・・・・・必ず殺してやる」
ぶつぶつと小さい声でクロウへの殺意を露わにしたイーサに、ブライトは少しばかり心配になる。
未だに燃え続ける怪物の死骸の周りには警察が集合し、既に立ち入り禁止の処置を行っていた。
それでも、周りにはやじ馬がわらわらと集まってきていた。
一応、住民への被害は防げた。それだけでも十分だ。
クロウの事はこれから調べればいい。そして、装備の必要性も訴えかけていかなければ。
イーサの後を追いつつ、ブライトは夜空を見上げる。
そこには一点の曇りもない。満点の星空が浮かび上がっていた。
これから自分が目指す道――この街の平和を守ると誓った彼を祝福しているようにも見えた。
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