第12話 a cat has nine lives

ツチノコは数日間ひとしきり悩んだのち、ようやっとスナネコに愛の告白をする際に渡す贈り物を己の膨大なコレクションの中から選び出した。手のひらに収まるほどの、薄緑色に光る半透明の石。もっと大きな、もっと派手なお宝もあるにはあったが、ツチノコの長年の観察眼をもってしても一体スナネコがどのような基準で興味を示し、そしてどのような理由でその興味を失うかは判断がつかなかった。結局、一番無難そうな、誰が見ても小奇麗なそれなりの大きさのお宝を渡すという「丸い」選択肢に落ち着いたのである。


「好きだ、スナネコ。愛してる。」

ツチノコはスナネコを自分の巣穴にほど近い夜のオアシスに呼び出し、星空の下で簡潔に愛を伝え、そのちいさな宝石を手の中に握らせた。スナネコは贈られた石の手ざわりにも大した興味を示すことなく、そっけない、形ばかりの謝意を示すのみであった。

「ありがとうございます。でも、無理ですよ。」


「ぼくとつがいになりたいんですね? でもぼく、まだ、無理です。」

スナネコは会話の最中も相手と目を合わせるということをしない。ツチノコの背後の、ヤシの木かシュロの枝かなにか、そこに自分が言うべき言葉が埋まっているかのように視線を向けている。

「発情期、来てませんから、ぼく。だから、ツチノコと、そういうことはできません。」


スナネコの言葉は明瞭で簡潔であった。そして、そうなるであろうことはツチノコにもおおむね見当がついていた。

「そうか。そうだな。済まなかったな。その石はやる。もう帰っていいぞ、スナネコ。」

「はい。おやすみなさい、ツチノコ。」


巣穴に戻ったツチノコは真っ暗な自分の寝床でほんの少しだけ涙を流したが、すぐに涙を拭き、いつもの毎日に帰っていった。

その数日後の話である。砂漠には時々あることだが、その日は朝から濃い霧が立ち込めていた。ミルクを流したような視界のなか、巣穴に誰か近づく気配がある。


「誰だ。霧でよく見えねえだろうが、そのあたりは足元に大きな岩がある。気をつけろ。」

気配に向かって声をかけると、真っ白いスクリーンのような風景の中から、ハの字に下がった眉毛の顔だけがにゅんと現れた。

「ヤマバク?」

ツチノコは目を見開いた。考えられない訪問者だ。


「ふう。お水、美味しいです。日が高くならないうちにツチノコさんに会えればと思ったのですが、もうあと少しという所で急に霧が出てきてしまって。」

冷たい地下水でのどを潤したヤマバクがようやく人心地着く。

「何しに来た、ヤマバク。よほどの用じゃなければ承知しねえぞ。」

ここからヤマバクの住む山までは歩いてたっぷり丸一日はあるし、涼しい山の森林に暮らすヤマバクにとって日中の砂漠の暑さは耐えがたいを通り越して危険だ。よほど喫緊の用件であろうか。


「ご心配おかけして申し訳ありません。でも、どうしても、すぐに会わないといけないと思って。」

そう言ってヤマバクは小さな包みを取り出した。

「これ、お返しします。ツチノコさんに。」

開いた包みを見てツチノコは目を疑った。半透明の、手のひらに乗るほどの薄緑色の石。


「おまえ、それは!!」

「はい、スナネコさんにいただきました。ですので、元の持ち主のツチノコさんにお返しします。私がこれを受けとることはできません。」

ツチノコは全身の力が抜けていくのを感じた。

「スナネコ、どうして…。」

贈り物の意味、それさえ、スナネコは分っていなかったのか。


「わたしは、この石を託されたんです。…これで、ツチノコさんと交尾をしてくれって。」

「…なに…?」

「ぼくはツチノコと交尾出来ないから。ツチノコにもらったこの宝物に、返せるお礼が何もないから。だから、ぼくの代わりに。お願い、ヤマバク。そう、スナネコさんが。」


「もちろん、お断りしました。そういうことではないと。ただあなたと交尾するためのお礼に、ツチノコさんはスナネコさんにこの石を託したのではないと。なるべくスナネコさんにも分かるように、何度も、そうお伝えしたつもりなのですが。」

伏し目がちに語るヤマバクの腕を、ツチノコが掴む。


「…それで! …それで、スナネコのやつはどうした。今どこにいる。」

「…あの、帰りました。そのまま、ぼくはもう帰りますって。石を置いて。そのまま。」

「ばかやろう!」

怒気を孕んだツチノコの怒鳴り声にヤマバクはびくんと身をすくめた。

「スナネコに会わなかったのかよ!!」


「山からここまでの道はほとんど一本道だよ! スナネコはお前みたいに健脚じゃねえんだ! 砂漠までの長い道を休まず歩き通すなんてできねえ!! 同じ道を歩いてたなら、必ず途中でお前がスナネコを追い越すはずなんだ!! それが、それが…!!」

ようやく事態を飲み込んだヤマバクが青ざめる。


「じゃ、じゃあ、スナネコさんは」

「…あいつのことだからな。どこかで道草してるだけ、って可能性も十分にある。」

「まだ戻ってないんですか。」

「巣穴に居りゃ気配で分かる。あいつはまだ帰って来てねえよ。」

ツチノコがすっくと立ちあがる。その様子は、いっそ落ち着き払っていた。


「ヤマバク。巣穴を出るなら日が落ちてからにしろ。そこの地下水にラムネが何本か、そばにジャパまんも保存してある。いくつか持って行ってもいい。帰るなら、少し休んでしっかり支度をして夜を待って帰れ。」

「…探しに行くつもりですか、スナネコさんを。」

「…俺のせいだ。」


ツチノコの背中は霧に紛れてすぐに見えなくなった。後は音もなく、わずかに地下水の流れるさらさらとした水音が響くだけであった。残されたヤマバクは、ひとりツチノコの体温の残る寝床に腰掛けた。


目が覚めたとき、スナネコは不快感に顔をしかめた。激しい空腹とのどの渇きもあったが、それよりなにより目の前が見慣れた巣穴の洞窟でなく、知らないのっぺりとした白い天井であったことが耐えがたかった。スナネコは未知のものは大好きだが、見慣れないものは大嫌いなのだ。


その中で唯一、嗅ぎなれた匂いの漂ってきたことがスナネコを安心させた。ツチノコの匂い。

「目が覚めたか。ブタに感謝しろよ。森のなかで行き倒れになっているところを、かついで運んで、寝床まで譲ってくれたんだ。」

「…? ここは…?」

「最近できた森のカフェだよ。ブタはそこの店員だ。」


「ああ! スナネコさん! お目覚めになりましたか! 何か温かいものでもお持ちしましょうか!?」

戸口から制服に身を包んだメイド姿のブタが心配そうに顔を出してのぞき込む。

「おう、とりあえず心配ないみてえだ。温かいお茶と、それと、クッキーでもあったら持ってきてくれ。」


「はいはい、ただいま!」

ブタはいそいそと店の奥の給仕場へと引っ込んでいった。後にはスナネコとツチノコとが残される。

「…さて、」

長い沈黙の後、ツチノコは意を決して口を開いた。

「…悪かった。たぶん、俺のせいだよな。変なこと言って、お前を混乱させちまった。そこは、俺が悪い。」


「…別にぼくは混乱してません。ツチノコは何も悪くありません。」

「お前なあ。歩けるはずのない距離を夜通しぶっ通し歩いて、その結果森で行き倒れになったのをどう混乱してないって言うんだよ。悪かったよ。あんな突然。お前には意味の分かんない贈り物だったよな。」


ツチノコの諭すようなへりくだった口調が、かえってスナネコには許せなかった。

「分かりますよ。つがいになりたいって、そう言ったじゃないですか。ぼくはまだ子供ですが、つがいの意味ぐらい知ってます。ぼくにはできないって。それであの石だって受け取ることはできなかったんです。」


「あのなあ、別にあの石はそういう意味じゃねえんだよ。受け取ったからって、つがいにならなくちゃいけないとか、何かのお礼だとか、そういう意味じゃねえんだ。お前には、分からないかもしれないけど。」

「ツチノコはぼくに意味の分からないようなものを贈ったんですか。そんな意味のないものを。」


「違ぇよバカ! 俺はなあ! ただ俺の気持ちを…!」

「その気持ちが分からないって言っているんでしょう。きれいな石一個貰ったって、そこにツチノコの気持ちが書いてあるんですか? 書いてなかったですよ。だから、ぼくにはわかりません。」

「……っ!」

ツチノコはしばらく苦い顔をしていたが、小さくため息をついて肩を落とした。


「…そうだな。ごめんな。…いいよ、もう。あの石のことは忘れてくれ。俺が言った言葉も、なかったことにしてくれていい。ここにいたら俺また、お前に余計なことを言っちまう。ブタがお茶を持ってきてくれるから、それ飲んでゆっくり休んでいけ。」


ツチノコが席を立ちドアのノブに手をかけるその瞬間、がん! と大きく鋭い音が背後で響いた。スナネコが、ツチノコの座っていた椅子を蹴り倒した音。ツチノコが振り向くと、スナネコはまなじりを釣りあげふるふると肩を震わせている。ついぞ見せたことのない、スナネコの怒り。

「…もう、おわりですか。」


「お話はもう終わりですか。ぼくに言うことはもう何もありませんか。どうせ、ぼくに何か言っても無駄ですか。意味ないですか。」

スナネコをは背を丸め、じっと床の一点を見つめている。

「みんなそうです。ぼくは飽きっぽいから。誰かの話を聴いても、すぐに注意が他に行ってしまいます。」


「何度説明を聴いても、そのたびにほかのこと夢中になって、結局何も頭に入って来ません。だから、どんな辛抱強くて、優しいひとでも、いつか、ぼくにきちんと説明することを諦めてしまいます。」

スナネコが、自分の体をぎゅっと寄せる。

「…でも。あなた、だけが。ツチノコだけが。」


「ツチノコだけが、ぼくにぜんぶ説明することをあきらめなかった。同じ話を、はじめから終わりまで何度でもしてくれた。難しい話でも、順番に、漏らさず。細かいところまで、全部最後まで話をしてくれた。ツチノコだけが、ツチノコだけは、ぼくを諦めないでいてくれたのに。」


違う。馬鹿。それは俺がただ、一度話を始めたら始めから終わりまで全部話さないと止まらない性分だっただけだ。お前が聴いてるだとか、お前のためだとかそんなんじゃない。お前が俺のあの長ったらしい蘊蓄を聴いているかどうかなんて、俺は考えたこともなかった。俺の言葉に、そんな特別な意味はないんだ。だから、どうかそんな顔をしないでくれ。


思いは胸の奥から、次から次へと湧いてきた。だが、どうしても言葉にして口から外へ出すことはできなかった。

「ごめんな。ごめんな。スナネコ。スナネコ。」

ツチノコはスナネコの体をぎゅっと抱きしめた。何を謝っているのか、ツチノコにも分からなかったが、いま言える言葉はそれしかなった。


しばらくすると、ツチノコはスナネコが顔を押し付けている自分のパーカーの袖が湿っていること気がついた。スナネコの涙も、そういえば自分は見たことがない。スナネコの涙をうっかり見てしまわないよう、ツチノコはさらに自分の胸の奥深くにスナネコを招き入れた。


「…ぼくは、どうすればいいんですか。ツチノコ。」

「何もしなくていい。ただ俺が、おまえの事を好きなことを知っていてくれればいいんだ。」

「ツチノコは、ぼくのことが、好きなんですか。」

「好きだよ。大好きだよ。全部のフレンズの中で、いちばん。おまえのことが。」


スナネコの顔を見ることはできなかった。見れば、自分が泣き出してしまいそうだった。やがて、すん、と小さく鼻を鳴らす音がして、スナネコがゆっくりと顔をあげた。

「わかりました。でも、やっぱり、何かお礼をするべきです。ツチノコから、宝物を貰ったのですから。」


「いや、だからそれはもういいって。」

「よくありません。何でも言ってください。交尾以外で。それ以外なら、ぼく何だってしますよ。」

こうなるとスナネコは強情である。しばらくツチノコは考えていたが、意を決し、ぎゅっと唇を結んでから口を開いた。

「それじゃあ、キス、してくれるか。」


「きす。はあ、あの、口と口をくっつけるあれですか。」

「なんだよ。だめかよ。」

「いいですけど。面白いでしょうか?」

「知らねえよ。いいから、やるぞ。」

「はい。あの、目はつぶった方が。」

「好きにしろ。俺はつぶる。」

「じゃあ、ぼくも。」

そうして、口と口とがくっついた。


「…それで、結局どうなったのだ。スナネコは今どうしている。」

「どうもしねえよ。何も変わらねえ。今日だって、見ての通りこの温泉に来ているのも俺一人だけだしな。そういうブラックバックは、ハクトウワシと温泉デートに来てるんじゃねえのかよ。」

「デートではない。我は療養だ。」


舞台は変わり、ここはカピバラが管理する温泉地。ほよほよ言いながらカピバラがひとしきりセルリアンを追い払ったあと、ブラックバックはざぶんと丸裸で。肌を晒すことにわずかに抵抗のあるツチノコは、足先だけ温泉の湯の中に浸かっていた。

「セルリアン退治の際に転んで手首を捻ってしまってな。」


「数日ギプスで固めてあった。上げ膳下げ膳だったのは楽ちんで良かったのだが、ツチノコよ、ちょっと聞きたいのだが。」

「はあ? 何だよ?」

「オーストラリアデビルは、その、ハクトウワシのことが苦手なのだろうか? 我が怪我をした際、見舞いに来たハクトウワシを追い払おうとするのだ。」


「我のことは自分が看病するから、ハクトウワシは、自分の仕事に戻ってくれと。二人でいるときに仲の悪そうな様には見えなかったのだが、なにかトラブルでもあったのだろうか? 心配なのだ。」

「…ちょっと聞くが、ケガの間、おまえの看病はずっとオーストラリアデビルがやってたのか?」


「よく分かったな。そうなのだ。我のことを片時も離れず、それはこちらが恐縮してしまうほど献身的に看護してくれた。どこにも行かせぬ、ゆっくり休めと。ある程度手が動かせるようになって、ようやく、この温泉で療養する許可が下りたのだ。」

「…あー、そりゃ、おめえ、その…。」


きょとんとした表情のブラックバックに返す言葉もなく、ツチノコは顔をしかめて視界の左上のあたり、ちょうど目に入った大きなブナの木の、枝先の葉のこんもりしたところを見るともなしに眺めた。そして、その行為がいつも会話の最中にスナネコが見せるしぐさと全く同じであることに遅まきながら気がついた。そうか。あいつも、こうして言葉を探していたのか。


「いやあ、自分のことは、自分じゃ分からねえもんなんだな…。いや、恐らくは、俺だって似たようなもんか…。」

「??」

「…そうだな、だから、俺たちには大切な相手が必要なんだな。自分の知らない自分を知るための。自分を映す、鏡みてえに。」

ツチノコは目を細め、遠く青く横たわる山並みに思いをはせた。

「???」


A cat has nine lives. 猫に九生あり。一度ぐらいの人生では、その全てを知ることはとてもできそうにない。

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