第9話 ホワイトタイガーの巣穴で
雪のホッカイ地方、どこまでも続く鋭い針葉樹の森。その真っ白い景色の中を、二つの足跡が並んで歩いている。静寂。さくさくという雪を踏みしめる音のほかには、生き物の気配はまるでない。
「…寒く、ありませんか。わたし、結構しっかり着込んできたんですが、それでも足元から冷えますね。」
「…支障ない。我の巣穴はすぐだ。」
足跡の一方は、すっかり山歩きの装備に身を固めたヤマバク。もう一方は、素足も露わな軽装のホワイトタイガーであった。その後は、ほとんど会話らしい会話もなく、ただ雪の中を歩いてゆく。ほどなくして、山肌の露わな低い崖が現れた。
「我の巣穴だ。」
ホワイトタイガーの寝床はパークの職員が資材置き場に掘った小さな横穴だ。その巣穴に着くと、ホワイトタイガーはもそもそと資材の積まれた奥をまさぐった。両手いっぱいに抱えるほどの木の実や果物。それを無言のまま、まるでヤマバクに押し付けるように差し出した。口下手なホワイトタイガーの、精一杯の謝礼。
「それじゃあ、始めるまえに。」
と、ヤマバクが振り向くと、すでにホワイトタイガーは毛皮をすっかり剥ぎ取り丸裸である。
「あらあら、まあ。」
怒張した性器も露わなホワイトタイガーの姿にさしたる驚きもなく、ヤマバクは羽織っていたジャケットを脱ぎ、ポケットから小さな瓶を取り出した。
「ツチノコさんにいただいたんです。ブランデー、って言うんですって。ああ、すっかり体が冷えてしまって。これを飲めば、温まりますから、ね?」
瓶の中には、トロリとした質感の琥珀色の液体が入っていた。ヤマバクはブランデーをひとくち含むと、そのままホワイトタイガーに口移しで飲ませる。
アルコールの香りと、燻された木の香り。汗と、饐えた唾液の匂い。真っ白いヤマバクの乳房が露わになる。ホワイトタイガーはヤマバクを強く抱きしめ、出来る限り慎重に、ゆっくり、干し草を敷いた寝床に横たえた。
すがるような、許しを請うようなホワイトタイガーのまなざし。ヤマバクは、手を広げて静かにホワイトタイガーを受け入れた。空には、小さく星が瞬いていた。
「あら?ブラックバックさん?いったいどうしてこんなところに?」
「わあっ!? あ!? や、ヤマバク!? ここはホワイトタイガーの巣穴では!? 汝こそ一体どうしてこんなところで!?」
ピンク色の上着を引っ掛けただけの、乳房も露わなヤマバクの姿にブラックバックはすっかり動転してしまった。
ヤマバクは落ち着いたものである。
「開けっ放しでは冷たい空気が入ってきてしまいますから。とにかく、中へ。」
「う、う、うむ。失礼する。」
促されるままに巣穴に入ると、ツンとした酒の匂いと、むせ返るような分泌物の匂い。ここで何があったかはすぐに理解できたし、ヤマバクも、特に隠すつもりもないようだった。
「ようやく、さっき眠ったところなんです。」
寝床には穏やかに寝息を立てるホワイトタイガーの姿が。ヤマバクがその頬をなでる。
「虎の発情期は特に短くて、激しいんです。とっても辛そうで。ライオンさんには、つがいでもないフレンズとこういう事をするのは良くないと言われているんですが。」
ヤマバクがつがいのいない発情期のフレンズたちの面倒を見てやっているらしいことはブラックバックも小耳に挟んだことがあった。山や森のフレンズたちは単独行動を好むものも多い。つがいの見つけられぬまま、あの発情期の焦燥だけが孤独に身を苛んだとしたら。ブラックバックはぞっとした。穏やかなホワイトタイガーの寝顔が、ヤマバクが十分にその役目を果たしたことを伝えていた。
「ところで、ブラックバックさんはどうしてこちらに?」
「…我は礼に来たのだ。先の白セルリアン騒動の際、我が盟友であるタスマニアデビルとオーストラリアデビルがこのホワイトタイガーより格別の恩義を受けた。ジャパリ団の首魁として、その礼に報いねばならぬ。」
マントの雪を払いつつ答える。
「ヤマバク。そのままでは尻が冷えるぞ。何か服を着るか、座るならせめてこの我のマントの上にしてはくれまいか。」
巣穴は体温で十分あたたかいが、むき出しの地面からは冷たさが昇ってくる。ブラックバックは自身を包む大きなマントを脱ぎ、ヤマバクと自身の足元に敷いた。
「まあまあ、これは?」
ブラックバックの手には、薄い竹の皮で作られた大きな包みがある。
「中華風ジャパまん詰め合わせだ。以前ホワイトタイガーが中華街でこれを食べ歩いているという話を小耳にはさんだものでな。」
「まあ。美味しそうですね。ちょっと食べちゃいましょうか。」
「おいおい。」
ヤマバクはさっそく包みを開き、一つ二つとまんじゅうを頬張る。
「美味しい! すみません、すっかりお腹が空いてしまっていたもので。」
「少しは取っておいてくれ給えよ。ホワイトタイガーの冬の保存食のつもりなのだからな。」
ジャパまんは見た目は普通のまんじゅうと変わりはないが、表面を薄いサンドスターの層でコーティングしてある。これがフレンズたちの肉体を維持する重要なサンドスターの供給源であるとともに、腐敗や汚れから内部を保護する役割もある。表面さえ傷つかなければ、ほぼ半永久的に保存可能と言ってよい。
隣同士ジャパまんをかじるヤマバクとブラックバック。ぴったりと尻と尻とがくっつくと、さすがに居心地が悪い。
「…しまった、少し吹雪いてきたな。」
ブラックバックが会話の糸口を探す。
「あの、ヤマバク? なぜ我にぴったりとくっつくのだ。服を着るのだ、ヤマバク。」
「ふふふ。」
ヤマバクは妖しく笑い、ますます白くもちもちとした裸体をブラックバックに押し付ける。
「助けてーっ 助けてハクトウワシーっ! 我、負けなーい!! 一夜の過ちは犯さなーいっ!! れーっつ! れーっつ、じゃすてぃーす!!」
「まあまあ、うふふ。」
半裸のヤマバクはブラックバックをからかうが、無論本気ではない。体から汗が引いたところで身だしなみを整えた。
耳を澄ますと、うっすらとごうごうという吹雪の音が聴こえる。巣穴の奥からでは漏れ聴こえるわずかな騒音でしかないが、外はいよいよ激しく吹雪いているようだ。身を寄せ合って座るヤマバクとブラックバック。
「こうして、汝と二人きりで話す機会はなかったな。」
「…そうですね。ハクトウワシさんとは、上手くいっていますか?」
「うう、皆その話ばかりだ。」
「パークじゅうのフレンズさんが応援しているんですよ。ハクトウワシさんも、ブラックバックさんと出会ってからずいぶん変わりましたから。」
「我と出会ってから? ふむ、何も変わってないように見えるが。変わらず気高く美しい。」
「ふふ、やっぱり、当の本人はあんまり分ってないものですね。」
山のフレンズと森のフレンズ、ふたつの大きなグループのちょうど中間に位置しているヤマバクは、その外側から人間関係をよく観察できる目を持っていた。以前のがむしゃらなハクトウワシにあったどこか脆い危うさは、高山に暮らすフレンズであれば良く知るところである。
どこか思いつめたような、安らぎを知らぬ悲愴な目。その激しいまなざしが、驚くほど芯の強い柔和さを持つようになってきたことを、日頃ハクトウワシに親しいものほど感じぬことはなかった。無論、その原因が何であるかも。
「素敵なことですよ。大切な人がいるって。」
「そういう汝はどうなのだ、ヤマバクよ。」
「私は、皆さんが幸せなことが一番ですから。」
ヤマバクは軽くはぐらかしたが、その言葉自体に嘘はなかった。
「まあいいさ。そういう事にしておこう。あまりライオンに心配をかけるなよ。あれは、誰か一人を露骨に贔屓(ひいき)にしたりはできぬ性質であるからな。」
「あれで本人は暢気な性格で売ってるつもりですからねえ。」
「くく、辛辣。いやまったくだ。我がライオンの立場をやれと言われたら一日で胃に穴が開く。」
「ふふふ、そうですね。百獣の王ですから。人には言えない苦労もいろいろしてると思いますよ。」
やはりヤマバクはよく見ている。ブラックバックはそう思った。きっと自分のことも、隠せていると思っているところまですっかり見えているのだろう。
資材置き場である巣穴の中は、夜になると小さなランプが点るようになっていた。ヤマバクは吹雪の音を聴きながら、目を閉じて静かに座るブラックバックの横顔を見つめていた。
「…ブラックバックさん、起きてますか?」
ブラックバックから答えはない。
「…私はずっと、正しくないことをしてきたんでしょうか。」
ランプのオレンジ色の光を見つめながら、ヤマバクはぽつりとつぶやいた。
「つがいでもない相手にかりそめの安らぎを与えて、その場しのぎの慰めでごまかすようなことを。大切な人を心配させるようなことを。…ライオンさんの、心の重荷になるようなことを。」
「発情期のフレンズさんたちは心も不安定で。実を言えば、危ない目に遭いそうになったこともあるんです。でも、わたしは、どうしても、ホワイトタイガーさんや皆さんのようなフレンズたちのことを放ってはおけなくて。わたしには、これが自分のできる一番のことだと、ずっとそう信じていて。」
そこまで一息に言ったところで、ヤマバクはじっと膝を抱えて黙り込んでしまった。長く、沈黙が支配する。
「…結論から言うならば。汝が汝の勤めを果たす限り、ライオンの心が軽くなることはない。」
目を閉じたまま、ブラックバックが口を開いた。
「起きていたんですね。」
「寝た振りするつもりであったがな。」
「汝の行いに感謝するフレンズこそ居れ、非難する資格のあるものは誰もいない。汝が与えしものはかりそめの安らぎなどでなく、もっと尊い価値あるものであるし、ライオンもそれを本心から過ちであるとは思ってはおるまい。」
ヤマバクはじっとオレンジ色の小さなランプの光を見つめる。
「…ただ、ライオンは寂しいのだ。」
「…さびしい?」
「汝がライオンの力を借りず、自分の力で自分の仕事を成していることを。疲れたライオンが汝に体重を預けた時と、同じだけの重さで汝がライオンに体重を預けないであろうことを。その不平等を寂しく思っているのだ。ライオンは、汝に限らず群れのフレンズを守ることが何よりの仕事であるからな。お前の手助けなどいらぬ、私は私で一人でやるのだと言われれば寂しくもなるというものだろう。」
「なんだか、ずいぶん心当たりのあるような言い方ですね。」
「くく、我はそれでハクトウワシにずいぶんと絞られた。閨(ねや)の中で我にあれほど無様な姿を晒させておいて、まだ我にもっと甘えよと求めるのだ。困ったものだ。汝もよく知っているであろう? 雌のまたぐらの上で雄がどれほどみっともなく腰を振り、情けない声を上げるかを。」
「ふふ、あれは無様なんかじゃありませんよ。みんな可愛いですよ。とっても可愛い。大好きです。」
「ひえっ、恐ろしい。」
「……。」
「……。」
「…変な、話だが。」
「はい?」
「我は、乳房の大きいのが好きだ。」
唐突な言葉に、ヤマバクは目をぱちくりさせる。ブラックバックは拳を振り上げて熱弁する。
「乳房の豊かなるを見ると、心まで豊かになる心地がする。揉みたい。顔をうずめたい。いや何なら揺れているところを眺めるだけでもいい。」
「考えてみれば妙なものだ。ハクトウワシの乳房に触れているとき、我は何とも言えぬ深い安らぎを覚える。大きさもあるのだろうが、自分の乳房ではだめなのだ。恐らく、皆もそうなのであろう。」
ブラックバックは改めてヤマバクの乳房が描く、たおやかな曲線を眺めた。
「うまり?」
「…つまりその、汝のおっぱいには汝が思っている以上の力があるということだ。だから、それは誇っていいことなのだ。ライオンのやつはやきもきするだろうが、そんなもの、向こうで勝手に心配させておけばよいのだ。」
言われてヤマバクは自分の胸に手を添える。
「触りますか?」
「あ…!」
いつの間にかヤマバクがブラックバックの手を取り、服の隙間からそっと自分に乳房に手を触れさせた。しっとりと滑らかな、わずかにひんやりと冷たい乳房の重みが手にかかる。
「い、いかん。今話したばかりだろう。我には、その、きちんとしたつがいが…!」
「これくらいは、いいでしょう? 確かめてみてください。わたしのおっぱい。」
「……。」
ブラックバックは無言で力を込め、乳房の弾力を確かめる。
ヤマバクの乳房はどこまでも柔らかく、指を開けばその隙間からしたたり落ちそうなほどであった。触り慣れた弾む弾力のある乳房とは全く違う感覚。ハクトウワシとは違うのだな、という言葉がのどのすぐそこまで上がってきたところを、自分でも理由の分からないままブラックバックは慌てて引っ込めた。
薬指でまさぐると、尖った硬い先端のしこりに触れる。ブラックバックはそれを中指と親指で器用に摘まむと、わずかに摩擦をかけた。自分が触って楽しむためでなく、相手に快楽を与えることを目的とした愛撫。
「あ…。」
ヤマバクの口から甘い吐息が漏れる。
「ブラックバック…さん…!」
「ここまでだ。…これ以上は戯れでは済まぬ。」
ブラックバックが乳房から手を放す。
「もう夜明けが近い。少しは休んでおいたほうが良い。寝るぞ。」
ブラックバックはマントを広げヤマバクごとすっぽりと身を包むと、そのまま地べたに横になった。声をかけるヤマバクの言葉にも全く応じない。諦めて目を閉じると、ヤマバクもまた、すっかりと深い眠りの世界へと落ちていった。
「…それで、どうして我がヤマバクのために用意した栗を、貴様が食べているのだ、ブラックバックよ?」
寝床から目覚めたホワイトタイガーの目に一番に飛び込んできたものは、自分がさんざん苦労してヤマバクのために拾い集めた木の実を、何故か居るブラックバックがかじっている光景であった。
「いや、これは、だな。あの…。」
「その栗は我がヤマバクのために集めたものだ。何故貴様が食っている。説明によっては、貴様とて容赦はせぬぞ。」
「これには事情が…! ヤマバク、汝、説明してやってはくれぬか。おおい!! ヤマバク! ヤマバク!」
ヤマバクはクスクスと笑った。
外はあわい光が、雪の表面をきらきらと照らしていた。
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