第3話 蟻の味・酒の味

「ツチノコ、汝はツチノコのフレンズ。つまりその、実在しない、架空の動物のフレンズ化だ。獣であった頃の記憶というのは、全く無いものなのか?」

ひんやりとしたツチノコの巣穴。ブラックバックから声をかけられたツチノコは書物から顔を上げた。


「なんだよ。ご挨拶だな、ブラックバック。」

「すまない。気分を害したのなら謝罪する。しかし、実際のところどうなのだ? どんな所に住んで、何を食べていたのか、そういう事は覚えているのか?」

ツチノコのコレクションを手に取り眺めるブラックバック。ツチノコはむにゃむにゃと唇を曲げて答える。


「…どうだろうな、実際。フレンズ化した際にどの程度元の種族としての記憶を持っているかは、だいぶ個人差があるみてえだしな。かなり詳しく覚えているやつもいるし、逆に、全く何の動物だったのかさえ分からないというやつもいる。お前はどうなんだよ、ブラックバック。」


「ぼんやりとは。草を食んだり、肉食の獣から逃げたり、メスにちょっかいをかけたり。…我が実際にやったというわけではないのだが、何となく、そういう事をしていたんだろうな、という実感はある。」

「ほーん。」

ツチノコは目を細めた。…少し、羨ましい。自分にはそんな実感は全くない。ツチノコに、自分の実存を確認できるような記憶は何もなかった。


「どうしてまたそんな話を。」

「いや、その、先日我は故あってアリクイのフレンズたちと歓談する機会にあったのだが…。」

「?」

「その途中、急に話題が各々が動物の時に食べていた『蟻の味』に関するものになって…。」

「うわうわうわ。」

ブラックバックとツチノコの顔色が同時に青くなる。


「種類や場所によって結構味違うねーとか、でもこれじゃあお腹いっぱいにならないよねーとか、そんなことをきゃあきゃあ言いながら…。彼女たちは傍らにあった蟻の巣穴に次々と木の枝や小指の先を差し込んでは、上がってきた何匹かの蟻をべろべろと舐めて…。」

「やめろやめろやめろ」


「汝、例えば、かつて動物であった頃ネズミなど食べていたと仮定して、いま、死んだネズミを丸呑みできると思うか?」

「恐ろしいことを言うんじゃねえよ!! 食えるか!!」

「いや、そうだよな!? 我の感覚がおかしいんじゃないよな!!?」

「そうだよ!! 今はもうフレンズなんだよ!!」


「…で、ど、どんな味なんだよ。蟻ってのは。」

口の端をひくひくと引きつらせながらツチノコが尋ねる。

「…蟻酸というものが含まれているからな。噛めば、酸っぱい、らしい。ナナが言っていた。人間の料理にも食材として使われる場合が稀にあると。」

「ほおおおおぉ…。」

二人は目を見合わせる。


「蟻かあ。蟻ぐらいならいいけどよぉ。例えば、ライオンだのチーターだのって連中が肉が食いたいなあ、って思い出しちまったらどうするんだろうな?」

ツチノコが頭に手を組み寝床に寝転がる。

「いきなりフレンズを襲うようなことはあるまいよ。パークの職員にステーキでも用意させるのさ。」


フレンズの身体を得てから数えるほどではあるが、ブラックバックも動物性の蛋白質を口にしたことがある。動物であった頃は完全に草食性のブラックバックではあったが、フレンズの体となった今では肉も魚も何でも食べられる。獣の命を頂戴することに、矛盾や罪の意識を感じることはなかった。


「…もし、その記憶で肉食獣のフレンズたちが罪の意識を背負うようなことがあれば。」

ブラックバックはポツリと口を開いた。

「…気にするなと、言ってやりたいな。お前は悪くないんだと、そう伝えてやりたい。」

「いやあ、そりゃお前さん傲慢ってもんだぜ。」

ツチノコが体を起こす。


「そこに罪があるか、罰を受けるかはそいつが自分で決める事だろう。俺は別にそれを罪だとは思わねえが、食われる側が一方的に許しを与えるってものちょっと違うと思うぜ。」

ブラックバックは驚いたような顔をしたが、すぐに深くうなづいた。

「ううむ、そうか。そうだな。」


「しかしまあ、」

ツチノコは意識して声を明るく張り上げた。

「ホワイトライオンがえびす顔で血の滴るステーキをほおばっているとこは絵になるだろうな。」


その光景を想像する。真っ赤な巨大な肉を笑顔で切り分け、顔じゅう血だらけにして肉を頬張るホワイトライオン。

「…ぷっ。ふはっ、ふははっ!そうだな!彼女には山ほど食わせてやりたいな!」

「スクッ。モニュ。モニュ。」

「戦いの後、彼女はいつもステーキと赤ワインだけを摂取するのだ。」


そう言ったところで、ぐう、とツチノコの腹が鳴った。

「はは、すまない。つい話し込んでしまった。」

「いいさ。俺も楽しかった。ジャパまんがあるが、どうだ? 食べていくか?」

「ああ、我もご相伴にあずかろう。感謝する。」

二人は甘くやわらかなジャパまんを二つに分け合って食べた。


「不躾な質問ついでだ。おい、ブラックバック。」

ツチノコは巣穴の奥から大きな茶色の瓶をどんと取り出した。ぽんと音を立てて栓を抜くと、ツンと嗅ぎなれない強烈な揮発臭が漂ってくる。

「こ、これは…!?」

「酒だよ、酒。つき合え。」


「あ、アルコール!? こんなもの、パークで手に入るはずがない! どうして手に入れた!?」

それはパークでは絶対にお目にかかることのない、焼酎の一升瓶であった。ツチノコの目が妖しく光る。

「かっぱらったんだよぉ。パークの職員がこっそり仕事の合間に飲んでいるのをちょちょい、っとな。」


「あ、あ、悪うぅ~~~~っ(喜)❤」

品行方正、健康優良なフレンズに許されるはずもない禁断の雫。ブラックバックの目がらんらんと輝く。

「ふひひ。おめえも興味がねえわけじゃねえだろ? え? 悪のフレンズさんよぉ?」

「ふおお…。」

「さあさあ、まあ一杯。これで共犯だ。」


ツチノコが手渡した小さなおちょこに、深さほんの指一本分。強烈なにおいを放つ透明な液体が注がれる。

「これはかなりキツいやつだからな。初めてのお前はアニマルラムネか何かで割った方がいいだろう。」

甘いにおいのラムネが注がれると、出来上がったジャパリチューハイはいよいよ蠱惑的な輝きを帯びてくる。


「じゃあ、乾杯だ。俺とお前の罪の味に。welcome to underground。」

「Welcome to underground!」

カンと杯を酌み交わすと、ツチノコはぐいと一気に、ブラックバックは恐る恐ると口をつける。

「おおお…! のどが燃える…! これが酒の味…!」


小さなおちょこで二杯、三杯。それでもブラックバックは頬がぽっぽと赤く火照るのを感じていた。

「ふう…。いい気持ちだ…。ツチノコ、これは美味い…!」

「そりゃ嬉しいな。俺もちょっといい気分になって来ちまったぜ。…さて、ブラックバックよ。」

「うむ?」

ツチノコがぐいと身を乗り出す。


「おめえ、ハクトウワシとどうなんだ?」

ぶぶっ! とブラックバックが吹きだしたしぶきでツチノコの顔はベタベタになる。

「すっ! すまないっ! あっ!? えっ!!? わ、我と、ハクトウワシが、な、なんだって!!?」

「隠したって無駄だろうよ。バレバレなんだよ。」


フレンズはみな鋭敏な感覚を持っている。口には出さずとも、僅かな態度で誰が誰に好意を持っているか、あるいは誰を嫌っているか、それぐらい分からぬものはない。

「う、うむ、そうだな。そうだろうな。」

冷静になったブラックバックが、マントの端で口を拭う。

「皆、気づいてはいるだろうな。」


ブラックバックが、きちんとツチノコに向き直る。

「…知ってはいるだろうが、我は、ハクトウワシと特に親密な間柄になっている。肉体の関係も、ある。ハクトウワシは元々生涯に一度しか番わない動物と聞く。能うならば、我は生涯彼女の傍にいたい。」

「おいおい、そこまで言えとは言ってねえよ。」


同じくパーカーの裾でごしごしと顔を拭いたツチノコが、呆れた表情で見つめ返す。

「なあ、好きか。ハクトウワシのこと。」

「ああ。好きだ。汝が聞きたかったのはそんなことか?」

直截なブラックバックの返答にツチノコはしばらく唇を曲げていたが、意を決して口を開いた。


「おれも、気になるやつがいる。」

「ほう!!」

「いや! 分からん! 分からんぞ!? あれだ! 別にそんな、番いたいとか一緒にいたいとかそーゆーアレじゃねえぞ!?」

「うん。うん。うん。」

「うんうん、じゃねえよ!! バーカ!」

「スナネコかぁ~~❤」

「まだ言ってねえ!!!」


「しかし汝ぃ、欲情はするのだろう? スナネコの事を考えるだけで股間のヴェスヴィオス火山がフニクリフニクラしてしまうのであろう~~~???」

「ウソだろ…こんなクソみたいな酔い方するだなんて…。」

「ツチノコのツチノコがアポカリプスなう!」

「夢なら醒めてくれ…!」


「んんっ。ん、まあその、ただなあ。」

もたれかかるブラックバックを強引に振りほどいて、ツチノコが一つ咳払いをする。

「こーゆーことって、お互いタイミングってもんがあるだろう。お前らは、色々あってそれなりに仲良くなる機会もあったろうが。」

ツチノコがきゅっと口を結ぶ。


「俺とあいつは、どっちも、ずっと自分が楽しければそれでいいと思ってきたやつだ。今さら、誰かとずっと一緒にいるなんて…。」

「何だ、汝は、そんなつまらないことを気にしていたのか。」

今度はブラックバックが、腕を組み口をへの字に曲げる。

「なにもずっと番(つがい)になる必要もない。一晩だけの逢瀬でも、それで別にいいではないか。」


「そっそんなおまえ無責任な!」

ブラックバックはここぞとばかり拳を振り回して熱弁する。

「つがい、という状態は各々の動物が生存のために見出した契約の形態に過ぎん。この無為の楽園において個々人の自由を契約で縛ることになんの意義があろうや。」

「げえっ!! らっ、ラディカル(進歩的)!!」


「デートに誘え!! 満天の星の下でイイ感じの事を言ってそれなりに綺麗なものを渡せば大体何とかなる!! それで何とかならなかったらそもそも相手はお前に興味がない!! 諦めろ!!」

「急に綺麗な羽で目を引く求愛時の野鳥みてえなアドバイス!!」


「びっくりした…。いま一瞬お前の背後に仁王立ちしてるヘラジカの姿が見えたぞ…。」

「たつき監督版な。」

「うん、わかった、この話はもうやめよう。俺の個人的な恋愛事情については、俺が自分でおいおい何とかする…。」

「えー我もっと恋バナしたい~~☆」

「怖い…。アルコール怖い…。」


「うう…、頭が痛い…。何だこれは…? 我に、何が起きた…?」

「うわっ! ブラックバック! 何かヘンなニオイするぞ!!」

「うう、タスマニアデビルよ、此処は何処だ…!」

「探検隊の拠点だよ!! 何でこんなところで寝てるんだよ!?」

「思い出せぬ… 我は、我は一体…!!?」


その後も酔ったブラックバックは、夜明けまでハクトウワシとのえげつない夫婦生活を洗いざらいぶちまけて帰っていった。ツチノコはブラックバックの吐いたゲロを片付けながら、告白するならちゃんと真っ当な方法で頑張ろうと心に決めた。パークは、今日も晴れていた。

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