第4話 オーストラリアデビルのコンパクト
「いらっしゃい、オーストラリアデビル。今日も髪を整えていくのかい?」
ここはアルパカ・スリの青空美容室。いつもは彼女のテクニックを目当てにオシャレに関心のある大勢のフレンズが押し掛けるが、今日の客は一人のようだ。
「どんな感じにすればいいかな。」
「あの…前と同じで、スリさんにお任せします。」
「オッケー。分かった。今日も飛び切り綺麗にしてあげるよ。」
ちゃきちゃきと櫛とはさみを構えると、スリは切り株に腰掛けるオーストラリアデビルの背後に回った。
「それじゃあ、眼帯を外すよ。」
スリがオーストラリアデビルの眼帯に手をかける。
オーストラリアデビルの右目の周りには、目の全体を覆うように赤黒く腫れたあざがあった。生まれついてのもので、特に痛んだり日常に支障があるものではない。ましてこのパークにそれをからかったり気味悪がったりする者などいるはずがないのだが、むしろ周りに余計な心配させぬよう、普段はそれを隠していた。
「~~~♪」
スリの鼻歌と、さきさきと小気味良いはさみの音が響く。あざに髪がかからぬよう、それでいて隠した目の周りをむき出しにしないよう髪の長さを絶妙に調整するスリの心づかいに、オーストラリアデビルは感謝の念を抱いた。
「あら、オーストラリアデビル。素敵な髪ね。」
やって来たのはチャップマンシマウマだ。社交的なサバンナのフレンズたちの中でも、特に洗練され洒脱な彼女は、同じく高い美意識を持つアルパカ・スリとも仲が良いのだ。
「うん。可愛くなったじゃない。」
オーストラリアデビルがわずかにうつむいてはにかむ。チャップマンシマウマにも、もうあざを隠してはいない。オーストラリアデビルの微笑を見て、チャップマンシマウマも花のように破顔した。
「ねえオーストラリアデビル。こんなものがあるんだけど。」
散髪が終わり、スリの淹れるお茶で休憩をしていたオーストラリアデビルにシマウマが話しかけた。取り出してきたのは手のひらほどの大きさの、二枚貝のように開く小さな円盤だ。開けると片面には鏡がついており、もう片面からは花のような香りが漂ってくる。
「これは…?」
「ファンデーション、って言うらしいわ。顔色を良くするためのモノですって。」
「驚いた。これはニンゲンが使う道具じゃないか。」
のぞき込んだスリが嘆息する。
「ふふ。パークの職員さんに貰っちゃったの。これ、オーストラリアデビルに使えるんじゃないかと思って。」
「え…? わたし…?」
無意識に自分の右目を指した。
「ねえ。ちょっと塗ってみてもいいかしら。」
チャップマンシマウマが、パフでコンパクトからファンデーションをとり、慎重にオーストラリアデビルの右目の周りに塗り拡げてゆく。目を閉じてはいるが、スリが息をのんで見守っている気配が伝わってくる。ほどなくして目を開けると、無言で鏡を手渡された。
「……!」
かすかに色が沈んでいるようにも見えるが、よく見なければほとんど分からない。自分でさえ見たことのなかった、綺麗な肌色に覆われた右目。あざが無ければ、自分は本当はこんな顔をしていたのだ。
「とってもきれいよ。オーストラリアデビル。」
「これ…! こんな…! ああ…! ああ…!!」
オーストラリアデビルのほほに、音もたてず、涙が一筋こぼれ落ちた。
「ごっ、ごめんなさい! 嫌だったのなら謝るわ!!」
シマウマが飛び上がって頭を下げるのを、オートラリアデビルが慌てて押しとどめる。
「い、いえ、そうではないんです!」
この気持ちを何と言えばいいのだろう。あざが消えたことはすごく嬉しい。嬉しいけど、もし嬉しいなら自分はずっとこのあざを気にしていたことになる。こんなもの無ければ良かったのにと思っていたことになる。
なら、自分はどうして。その戸惑いの表情を、スリは見逃さなかった。
「いいんだよ。優しくされても、隠していいんだ。支えられても、傷ついていいんだ。自分のあざが嫌いでもいいんだよ。」
スリがオーストラリアデビルの手を取った。
「私も、これが嫌いなんだ。」
スリは前髪をかき上げ、普段は隠れた左目を二人に見せた。
深い傷跡。顔の形が変わるほど、痛ましくえぐれている。
「――!!」
「フレンズになってすぐの頃さ。まだ体の使い方が上手くなくてね。斜面を駆け上ろうとして、足を滑らせた。尖った岩にしたたか打ちつけられて、この通りさ。」
髪を戻すと、いつものスリの表情だった。
「相棒のワカイヤにもきちんと見せたことはないんだ。怖がらせたくないって。でも違ったんだ。」
「怖がっていたのは私のほうさ。この傷をワカイヤに見せて、万が一嫌われたらどうしようって。そんなはずないのにね。
だから、オーストラリアデビルがはじめて私の美容室に来た時、なんて勇気のある子だと思ったんだ。
自分の一番見せたくないところを私に見せてくれた。私なんかより、よっぽど。
本当の勇気を持ったフレンズなんだって。」
巣穴に戻ると、ブラックバックが手を広げて迎えてくれた。
「おお! よくぞ戻ったオーストラリアデビル! アルパカの美容室に行ってきたのだな。うむ、今日も悪魔に呪われしが如き美しさである!」
「今日はかれーらいすだぜ! 早く食わねえと無くなっちまうぞ!」
タスマニアデビルも顔をのぞかせる。足早に食卓へ向かうと、漂うカレーの匂いに混ざって花のような化粧の香りがオーストラリアデビルからふわりと立ち上がった。
「ん? なにかいい香りがしてくるな…。天上の花園の如き芳しき…ん、いや、コホン。地獄の悪魔の血しぶきがごとく禍々しくも狂おしい芳香が…。」
オーストラリアデビルは、相変わらず眼帯で右目を隠している。その中を誰かに見せることはない。ただ、時おり、その眼帯の中から芳しい香りを放つことがあるのを何人かのフレンズが気付くようになった。
ブラックバックも、タスマニアデビルも知らない彼女の小さな秘密。
乙女はファンデーションで武装する。今日の自分を、そして明日の自分をより好きでいるために。
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