第12話「心からの笑み」
人形流しが行われる河川敷の裏、小高い山の奥に、周囲を一望出来る高台がある。
幼い頃、美咲と探検している時に見つけた高台だ。
ここに辿り着くには入り組んだ林を抜けなければならないので、
他に知る人はほとんどいないだろう。
人形流しが終わると、僕らは毎年この場所へ足を運ぶ。
上から河川敷を眺めると、
幾つもの魂がユラユラと明かりを灯して流れていくのが分かるのだ。
この町では僕ら以外にも多くの人が、沢山の悲しみを背負って生きている。
そのことを胸に留め、また明日から強く生きていこうと改めて思う。
「あーあ、いつも泣かないでいよう、笑っていようと思うんだけどなぁ……やっぱり、今年も泣いちゃったよ」
その景色を眺めながら、美咲は言った。
彼女の目にはもう涙は浮かんでいない。本当に強い子だ。
「たまにくらい泣いたって誰も怒らないのに」
美咲はかぶりを振った。
「昔ね、お母さんが言ってたの。周りを悲しませる涙なら、周りに隠して泣きなさいって。悲しみの涙はよくあることだけど、それで周りの人を悲しませるのは良くないよーって、教えてくれたの。お母さん、いつも笑ってる人だったから」
「……そうだったね」
「自分の弱さを見せるのは、きっと悪いことじゃないよ。でもね、周りを悲しませるのは私も嫌だなーって、子供の頃に思ったの」
「そっか、だから……」
「うん。だから私はね、笑うの。さっきは、ちょっぴり涙が混じっちゃったけどね」
そういえば、美咲はいつも笑っているような気がする。
天然で、どこか抜けていて、夏休みの宿題のように何かやらかすことも間々ある。
でも確かに、美咲が哀しそうな顔をするのは、人形流しの時くらいのものだ。
「美咲の明るさは母親譲りという訳だ」
「うん。あの時の話、真琴には何度もしたよね」
「……ああ」
あの時。
十年前、美咲の家が火災で燃えて、全てが無くなってしまった時。
「あの時もね、お母さんは最後まで笑って私を助けてくれたの」
「一番苦しいはずなのに、最後まで『大丈夫だよ』って……」
「美咲……」
「あれ、ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだけどね……おかしいね」
うっすらと浮かんだ涙を、美咲は袖で拭った。
あの事故から、もう十年が経つ。
あの頃よりも、美咲は強くなり大人になった。
でも、十年経った今でも、
美咲の負った傷はまだ癒えていないんだ。
「二人の分も、頑張らないといけないね」
「うん。頑張るよ。美咲を産んで良かったって、お父さんとお母さんが思ってくれるように頑張るんだ」
「それじゃあ、まずは宿題からやらないとね」
「あ…………」
この子、完全に忘れてたな。
しばらくの沈黙。
目を赤く滲ませた美咲が、ばつの悪そうに目をそらす。
そして、
「あはははっ……!」
誰もいない高台に、僕と美咲の笑い声がこだました。
「もー、せっかく忘れてた所だったのに……!!」
「せっかくってなんだ。怒られたその日に忘れるとか……いい度胸してるよ」
「だってほら、今日は人形流しがあったし……一個やることがあると、もう一個忘れちゃうんだよね」
「よくそれで副会長を務めようと思ったよ、ほんとに」
半年前の生徒会総選挙。
今年からなぜか副会長に立候補してきた美咲は、演説で堂々とこう宣言した。
『内申点を稼ぎたい』と。
「むしろ評価が下がるんじゃないか。まともに宿題もやらない副会長って」
「あ、あれはね?」
美咲はそう言うと、途端に僕の隣から姿を消した。
急にどうした?
辺りが暗くて、彼女が何をしているのかは見えない。
何やらコソコソと動き回って、僕の背後に回っているようだ。
そして――
「真琴と一緒になりたかったからだよ」
耳元で、美咲の囁く声が聞こえた。
びっくりして、思わず後ろを振り返ってしまう。
暗くてよく見えないけど、美咲は満面の笑みを浮かべているようだった。
「それって……」
「えへへ、びっくりした?」
やんややんやと飛び跳ねて、美咲は無邪気に笑っていた。
「真琴と一緒にいると楽しいからね。生徒会の仕事も面白そうだったし、放課後も一緒に遊びたいなーと思って」
「ああ、そういう……」
「ん、なんか間違ってた?」
「ああ、いや……」
一瞬、ドキっとしてしまった。
あかりのせいだ。
あかりが変なことばかり言うから、妙に美咲を意識してしまった。
「生徒会を遊びに使うなって」
「えー、だってさぁ」
「お休みの日はバイトがあるし、放課後はお買い物しないとだし……」
「学校で遊びたいなーって考えたら、生徒会しか選択肢がなかったんだもん」
「いや、言い訳になってないから」
言わんとしていることは分かる。
美咲は祖母と暮らしているけど、最近は祖母の体調があまり良くないらしい。
だから、美咲がバイトで生活費を稼ぎつつ、家事をこなす必要がある。
「生徒会をやらなきゃ、遊ぶ時間も取れたんじゃないのか」
「うーん、そうかなぁ」
「ほら、今宮さんと川瀬さんだっけ?クラスで仲良い子もいるでしょ」
「あの子たちはソフト部だもん。放課後は練習があるよ」
「じゃあ、稲木さん」
「たーちゃんはよく遊んでるけどねえ。でも、やっぱり私とは予定が合わなくて」
「難しいな……」
「でしょ?だから真琴のいる生徒会にしたの。それにほら、真琴が会長さんだったら、私の参加も融通してくれそうだし」
「うまいこと使われてる気がするんだけど」
「うまいこと使わせて頂いております」
ありがたや~とゴマをするように、美咲は両手をすりすりする。
なんだかなぁ。
そんな呑気な所が、美咲らしいのだけれど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふーふー……あちっ!」
屋台で買うたこ焼きは特別な味がする……気がする。
アツアツのたこ焼きを口いっぱいに頬張って、美咲は満足そうだった。
人形流しを終えた参列者が屋台の列へと流れ込み、辺りは人でごった返している。
その渦から抜け出すように、僕らは木陰のベンチを陣取っていた。
「はほほほひっほはへふ?ははひはへはへふほはほっはひはひほ」
「食べてから喋って」
いっぱい食べて、無邪気に笑って。
流しを終え、純粋に祭りを楽しむ美咲の姿は、昔からずっと変わらないと思った。
五歳児がそのまま十七歳になりました、と言われても違和感のないような、そんな子供っぽい雰囲気が美咲にはある。
本人は気にしているようだから言わないけど、美咲にはずっとこんな感じでいて欲しい。
どこまでも純粋で無邪気な性格は、他の誰にもない美咲の良さだ。
そんな美咲を見ていると、なんだか僕まで元気になってくる。
「真琴も一個食べる?私だけ食べるのはもったいないよ」
たこ焼気を飲み込んで、美咲が改めて言った。
そして、舟からひとつ、たこ焼きを取り出して僕に差し向けてくる。
「じゃあ、ひとつだけ」
本当は焼きそばも食べてお腹いっぱいだけど、美咲があまりにも美味しそうに食べるので気になってしまった。
爪楊枝に刺さった物をひとつ、摘んで手に取ろうとする……けれど。
「はーい。じゃあ……」
僕に差し向けたたこ焼きを、美咲はそのまま口に運んでこようとしてくる。
「えっと……」
「食べないの?」
純真な瞳が、僕を引き込んでいった。
これは、口を開けろということなのか。
途端に焦って、周囲を見渡す。
人気の少ない場所だけど、地元の行事だ。誰かいるかもしれない。
美咲は深く考えてないだろうが、他に見られればなんと思われるか……。
「はい、あー……」
ニンマリと楽しそうな微笑みを浮かべて、徐々にたこ焼きを近付けてきた。
いやいや、美咲のことだ。特別意識するようなことじゃない。けど、さすがにこれは……。
「何してんの、こんな所で」
その時だった。
最悪のタイミングで聞こえたのは、呆れたようなやる気のない声。
「あ、楓ちゃん……!?」
「えっと……私、なんか余計なことした?」
相変わらずのマフラーに顔を半分隠しているが、その視線は僕を捉えていた。
そうして隅々を考察したあと、口角をニヤリと上げて、
「へぇ、真琴も隅におけないね」
と、一言。
やっぱり、最悪のタイミングだ。
琴姉の親友、僕のもうひとりの姉的存在。
空気の読まない面倒くさがり屋、カフェイン中毒、白楽楓。
一体どこから現れたのか、楓さんはその手に缶コーヒーを持ちながら、僕らの様子を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「違います。そういうのじゃないんで」
「ふーん」
否定すると、楓さんは心底どうでもいいといった様子でたこ焼きを口に運んだ。
興味があるんだかないんだか。
「人形流しに来たまでは良かったんだけどね。これだけの人混みがあると鬱陶しくてさ」
「珍しいですね、楓さんが人混みに足を運ぶなんて」
「失礼な。私にだって弔うべき人はいるんだよ」
「まさか、琴姉ですか?」
「親友を弔いに来ちゃいけないのかな」
珍しい。今まで楓さんが流しに足を運んだことなんてなかったのに。
人形流しで弔いに来るのは、親族がほとんだ。
所謂法事のようなものだから、友人が参加することはほとんどない。
それなのに、わざわざあの楓さんが琴姉の弔いに参加してくれたなんて。
「ありがとうございます。琴姉が喜びますよ」
「どうかな。弟の参列以外、見届けない気もするけどね」
「……そうですね」
必要最低限の顔出しをして、早々に家へ帰宅する。
琴姉が生きていたら、きっとそんな感じになるだろうと思った。
琴姉と楓さんは、性格の面でもよく似ている。
僕は関係性をよく知らないけれど、二人は学校で親友だったらしい。
お互い面倒臭がり屋でマイペースだから、逆に波長があったのかもしれない。
「んで、とりあえずふらっと、真琴と美咲を探すことにしたんだよ」
「そしたらそこで、二人が面白そうなことをしていたってわけ」
特に真琴がね、と楓さんは微笑んだ。
そういえば、この人も僕をイジるのが好きだ。
先輩と後輩にいじられる僕は、そういう宿命なんだろうか。
「でも、よく分かったね。私たちがここにいるって」
「なんとなく分かるんだよ、私は。ほら、私には二人を見守る義務があるから。不思議なシンパシー的なもので君たちの居場所が分かるってわけ」
「怖いですよ、それ。僕らのせいで余計な労力を使わされたって怒らないで下さいよ?」
「怒ったことなんかないよ、私。ただ、面倒なことが究極的に嫌いなだけ。でも、愚痴をこぼす場所がないから真琴に愚痴る。それだけだよ」
「完全に八つ当たりじゃないですか」
「そうとも言う」
そんなストレスの履け口にしないで頂きたいのだけれど。
相変わらずのマイペースで、楓さんは続けた。
「あー、そうそう。そうだ、思い出した。私、ちゃんとここにきた目的があるんだったよ」
「目的?」
「そう。ちょっと渡したいものがあってね」
そういうと、
楓さんはバックから財布を取り出して、
「はい、これ美咲と真琴に」
僕らの手元に百円玉を渡す。
「……なんですか、これ」
「百円」
「見ればわかります。だから、何の百円ですか、これ」
「あれ、覚えてないのか。だったら、渡さなきゃよかった」
「この前君たちと喫茶店行った時に、ストレートコーヒーを頼んだじゃない?
でも、私がお金持ってなくて、君たちに奢ってもらったやつ」
「ああ……」
ありましたね、そんなこと。
「先輩の威厳とか全くありませんでしたよね、あれは」
「財布を忘れたんだから仕方ないでしょう。家の近くだから歩けばつくだろうけど、面倒だったし」
「楓ちゃん、動き回るの嫌いだもんねー。ま、今日ここで貰ったからおっけーだよね!」
「うん、おっけー」
お気楽な美咲と楓さんとの間で何かが完成して、完結している。
別にとやかく言うことじゃないので、深く言及するつもりはないけれど。
「それだけですか、用事」
「うん、それだけ。用事がなければ君たちに会っちゃだめなのかな?」
「いや、別に……」
それくらい、
わざわざ美咲に食べさせられる所で話しかけなくてもいいじゃないですか。
楓さんは本当に間の悪い人だ。
それでいて、マイペース。だけど憎めない、優しいお姉さん。
本当に困った先輩だ。
人形流しの夜。
人形の灯火と共に、この街の魂が還る場所へと輪廻していく。
二度目の人生を、歩むために。
この世にずっと留まれるように。
そんな想いを抱えながら、
今年も僕らは死者に会えたような気がした。
美咲との距離は相変わらずだけど、少しずつ、僅かな日常を取り戻しつつあるような気もする。
だから、その日常を壊さないためにも、守り続けるためにも。
僕は動いていかなければならない。
人形流しの夜に、そう僕は誓った。
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