第11話「人形流しの夜」
僕の家から歩いて五分ほどで、美咲の家に着く。
集合団地の一角、美咲の祖母が住んでいた部屋で、彼女は生活を続けている。
「ごめん、ちょっと遅れた」
家の前。
美咲は二つの箱を大切そうに抱えて、僕のことを待っていた。
その箱には、彼女の両親の魂が宿った人形が入っている。
「私が早く待ってただけだから。昨日のうちに準備もしてあったし」
「そうか」
ならばなぜ宿題を忘れていたのかと言いたいところだったが、
今日のところはやめておいた。
どこか抜けている美咲でも、この人形流しだけは特別なんだ。
父親と母親。二人の親を、美咲は幼くして亡くしてしまった。
その悲しみと業を背負いながらも、美咲は懸命に日々を生きている。
彼女の抱えた特別な想いを、笑ってやるわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜闇の中で、灯火が揺れている。
川に流れた人形が、暗闇の中に光を灯していた。
人形流し。
死者の魂が現世にいられる時間には、限りがあると言われている。
たとえ人形に輪廻させようと、
本来死すべきはずの魂には、悪霊が取り憑いてしまうそうだ。
だからこうして一年に一度、
人形を川へ流すことによって、あの世へ橋渡しさせている。
そうすれば、死者の魂は浄化され、
再び人形に戻ってくることが出来るそうだ。
僕らが死者を忘れない為に。
失った魂を、常に傍で感じられる為に。
人は二度死ぬ。
僕らが死者を覚えていれば、彼らが二度目の死を遂げることはない――
「琴姉……」
風呂敷を開いて、僕も琴姉の人形を取り出した。
そうしてそのままゆっくりと、
火を灯した小さな提灯と共に、人形を川に流してあげる。
今だけ。
あの世から現世へ戻ってくるまでのこの時間だけが、
僕と琴姉が離れ離れになってしまう時間だ。
羽島琴音は、交通事故で亡くなった。
だけど、僕は琴姉のことを一度も忘れたことはない。
この街に伝わる『輪廻』の言い伝えが、
僕らと死者の魂を繋ぎとめてくれている……。
「お父さん、お母さん……」
そして、美咲もまた同じように、
二つの人形を川へと流していた。
普段は笑顔の絶えない彼女も、この時だけは涙を見せる。
「あの時、私が……」
十年前。
美咲がまだ幼かった頃。
夏の夜に起きた火災事故によって、美咲の両親は亡くなってしまった。
不運な事故だった。
玄関前にあったペットボトルと金魚鉢に太陽光が反射し、
光を一点に集中させてしまうことで火種が発生したのだという。
所謂、『収れん現象』。
夕暮れに発生した火種は夜になって燃え広がり、
安城家一帯を瞬く間に覆いつくしてしまった。
燃え盛る炎の中で、安城家の両親は幼い美咲だけを逃がして亡くなってしまった。
世間的には、そう思われている。
「あの時、私が声を上げていたら……」
美咲の唇が震えていた。
悔やんでも悔やみきれない後悔が、彼女の心には残っている。
あの時の火災は、決して事故なんかじゃなかった。
その責任を、美咲はひとりで抱えている。
それを知るのは美咲と、
美咲を信じる僕らくらいのものだ。
「……ううん、違うよね」
しかし、自責の念を振り払ったのか、
美咲は静かに両手を合わせた。
「二人が私を残してくれなかったら、私はここにいないんだもんね。学校に行って友達に会えるのも、こうして真琴とお祈りすることが出来るのも、全部二人が、私を残してくれたからなんだよ」
「ありがとう」と小さく呟き、彼女は黙とうを捧げる。
僕も同じように、想いを琴姉へ捧げた。
琴姉が今の僕らを見たら、なんて言葉をかけてくるのだろうか。
そこに私はいないのだと、天からだるそうに眺めているような気がする。
十年前の琴姉は、輪廻の慣わしなど微塵も信じていなかった。
僕だってそうだ。
大切な文化だと両親は教えてくれたけど、幼い僕には不思議なお伽話であるようにしか聞こえなかった。
夢のない子供だったのかもしれない。
ただ、死んだあとの魂がどうなるかなんて、子供の想像力じゃ想像もつかなかった。
信じるようになったのは、琴姉が事故で亡くなってからだ。
琴姉を失った悲しみを、
僕はこの『輪廻』という慣わしに縋る他なかったんだと思う。
「会いたいよ……」
それはきっと、美咲も同じだ。
隣で涙を流す美咲は、家族全員を失ってしまった。
死者を失った悲しみを、共感出来る人すら周りにいない。
想像するだけで酷な話だ。七歳にして家族が全員いなくなったら。
僕は耐えることが出来ただろうか。
「また三人で過ごしたいなって、毎日思ってるよ。またこうやって、一緒に話せたらいいなって何度も思ってるよ……」
「……でも、きっと近くにいてくれてるんだよね。前よりもずっと近い所で、きっと私を見てくれてるんだよね」
「だから、私は頑張るよ。私は、絶対……」
……いつもそうだ。
美咲は毎年、この人形流しで両親に向かって話しかける。
美咲は信じているんだ。
この街の輪廻が、僕らと死者を繋ぎ止めてくれていることを。
「……届いてるよ」
「うん」
「僕の想いも、美咲の想いも、きっとみんなに届いてる」
「……そうだね。きっと、届いてるよね」
頬に伝う涙を拭いながら、美咲はそっと僕の肩に寄り添ってくる。
「ごめんね。ちょっとの間だけど、こうさせてね」
「……僕でよければ」
色んな想いを吐き出して、美咲の身体は小さく震えていた。
頼る所のない美咲にとって、幼馴染の僕は唯一の拠り所だったのかもしれない。
僕なんかで美咲を支えられるのなら、これからも支え続けていきたい。でも……。
『真琴先輩は、美咲先輩のことが好きなんです』
何かを変えようとすれば、何かが変わってしまうかもしれない。
そう思うと、今ひとつ一歩を踏み出せなかった。
僕らが互いを支え合っているのは、あくまで悲しみを共にした幼馴染であるから。
僕はそう思っているし、きっと美咲も同じことを考えていると思う。
「展望台まで行こうか。あそこなら、この景色を一望できる」
「うん、いつもの場所だね」
だから今は、あかりの言うようなことを考えたりは出来ないのだ。
今の僕に出来ることは、幼馴染として美咲の傍にいてあげること。
そして――
美咲の両親を殺した犯人を、見つけ出してやることだ。
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