失恋王女、大ピンチを迎える(5)
「にいさま、何を……ッ!」
エーミールに引きずられて、シャルロッテの身体は背後にあった寝台へと投げ出された。どれだけ初心な王女でも、そうなればおのずと彼の目的を察することができる。
しかし、おとなしくそんなことをさせるわけにはいかない。片膝を寝台に乗り上げたエーミールに向かって、シャルロッテはなんとか抵抗しようと足をばたつかせる。――いや、ばたつかせようとした。
「いた……ッ」
途端に痛みに顔をしかめた彼女を、エーミールは無感情に見下ろした。ふん、と鼻を鳴らし、無遠慮にその足首を掴む。
「ううっ……」
痛めた足首をさらに捻りあげられて、シャルロッテは呻き声を上げた。それでもエーミールは表情一つ変えることはない。
「馬鹿だなあ……あんな女を庇ったりするからさ」
「エーミール、考え直して……! こんなところを見つかったら、あなたこそただじゃ済まないわよ」
しかし、シャルロッテの言葉に、エーミールはただ歪んだ笑みを浮かべただけだった。
「そうだな……今度は、騙された王女を献身的に支える――という役どころも悪くない。……うん、いいじゃないか。お互い真実の愛に目覚めた、というのはどうだ? 王女を騙した男から助け出してやるんだ、感謝してほしいね……!」
もはや、正気とは思えない。いや、だいぶ前からそうだったような気がする。あまりにも自己中心的な話に、眩暈がしそうだ。
そもそも、こんな場面を目撃させて、どうやってそんな荒唐無稽な話に繋げるつもりなのか。すべてが破綻している。しかし、もはや狂気に支配されたエーミールに何を言っても無駄だろう。
そうしている間にも、扉を打ち破ろうと体当たりする音は続いている。外から聞こえる声からするに、そこにいるのはランベルト一人なのだろう。みしみしと軋みを上げる扉が破られるのが先か、それともエーミールがこの先に進むのが先か。
シャルロッテは、ちらりとエーミールの背後に目をやった。せめて、彼女が気が付いて鍵を開けてくれたら。
しかし、コルネリアはただ呆然と座り込み、何事かぶつぶつと呟いているだけだ。余程ショックを受けているのだろう。こんな状況でありながら、シャルロッテは彼女に深く同情した。こんな馬鹿男のせいで、かわいそうに。
なんとしても、エーミールには天誅を食らわせてやらねば気が納まらない。シャルロッテの中の負けん気がむくむくと顔を出してくる。
ここまでの彼の話から推察するに、おそらくエーミールは『自分自身が主人公』であることにこだわっているのだと思われる。
最初は『王女との婚約を蹴って真実の愛を見つけた男』という役どころだった。そして今は『騙された王女を真実の愛で救う男』だ。
それにしても、随分と杜撰な脚本だ。三流芝居もいいところ。
ふん、と鼻で笑ってやると、エーミールはわずかに顔色を変えた。それを見て、シャルロッテは心の中でほくそ笑んだ。思った通りだ――彼は、自分が馬鹿にされることが我慢ならないのだ。
「おあいにく様ね、ランベルトは私を騙したりなんかしていないわ。全部無駄なことよ」
「俺が作り話をしているとでも思っているのか? 少なくとも、あいつが女を囲っているのは間違いない。女と――子どもがいるんだぞ」
優位を取り戻そうとしてか、エーミールは得意げな表情を作ると、とっておきの爆弾を投げ入れてきた。
「こっ……子ども……⁉」
さすがのシャルロッテも、そればかりは初耳だ。足の痛みも忘れ、がばっと起き上がると、彼女はエーミールの襟首をつかみ上げ、ぎゅっと締め上げた。
「どういうこと⁉」
「お、おまっ……くるし……」
先程まで圧倒的優位に立っていたはずのエーミールが、息苦しさにあえぐ。シャルロッテは、はたと気付いた。このままでは、彼は失神してしまうかもしれない。どちらかというと、その方が良いような気もするが、そうなれば詳しい話は聞けなくなる。
シャルロッテは、慌てて襟首をつかむ手を緩めた。しかし、完全に手を離しはしない。
ごほごほ、と咳込んだエーミールは、息を整えるとシャルロッテに小馬鹿にしたような表情を向けた。襟首をつかまれた格好のまま、というところが少々格好悪い。
「知らなかっただろう、おめでたいやつめ。だからお前は愚かだというのだ。――奴に、女とはもう別れたとでも言われたか? ふん、その割には足繁く通っている様子だったがな。報告によれば、子どもは五歳くらい。奴によく似た、黒髪に蒼い目をしているということだ」
「ご……五歳ぃ……⁉」
どうだ、間違いあるまい、とエーミールはせせら笑った。さすがにショックを受け、力を無くしたシャルロッテの腕がぱたりと落ちる。逆にその腕を掴み、力任せに引き寄せて、エーミールはにやりと笑った。
「さあ、シャル……失意の王女殿下、君を慰めて差し上げましょう」
形勢逆転である。シャルロッテは呆然と、彼の歪んだ笑みを浮かべた顔が近づいてくるのを見上げていた。
――その時である。
どごん、とひと際大きな音が室内に響いた。
「シャルロッテ様……っ! ご無事ですか⁉」
吹き飛ばした扉を踏み越えて、黒髪の騎士が室内へと飛び込んでくる。巻き起こった砂埃を払い、素早く室内に目を走らせた彼は、寝台の上の二人を見つけると、鬼神もかくやという形相になった。
「ひっ……」
「貴様……ッ!」
「まっ……」
――おそらく、エーミールの筋書きでは、寝台の上の二人を見たランベルトは呆然とするはずで、こんな展開は予想していなかったのだろう。だから、三流芝居だというのだ。仮にもランベルトは、王女の護衛騎士である。その身を守ることこそが最重要課題であって、恋だの愛だの、そういったことは二の次なのだ。
まあ、そうシャルロッテが分析できたのは、後日の事である。
実際には、彼女が止める間もなくエーミールに躍りかかったランベルトが、握った拳を叩きこむ。それも、一撃どころではない。その様子を、シャルロッテはただ呆然と見ていただけであった。
「この、不埒者めが……!」
「う、ぐっ……や、やめ……」
「ちょ、ちょっと、ランベルト……! 大丈夫、なにも、なにもなかったから……!」
あ、今どこかの骨が折れる音がした気がする。正当防衛は認められるだろうか。
もはや、ランベルトを止めることは不可能である。早々にそう判断して、シャルロッテはどこか遠くを見るような瞳で、エーミールがぼこぼこに殴られる姿を眺めていた。
ちらりと見れば、床の上にへたり込んでいたままのコルネリアもまた、その姿を呆然と見つめている。
――まあ、そうだよね。わかる、わかるよ……。
シャルロッテは深く頷いて、痛む足を引きずりながら彼女の元へと向かった。
「コルネリア様……もう大丈夫よ」
「……え、ええ」
呆然自失の態で、コルネリアは小さな声で答えた。その背中をそっと撫でてやる。
そこで緊張の糸が切れたのだろう。安心したように微笑むと、コルネリアはふっと意識を飛ばした。
「貴様、ただで済むと思うなよ……」
「ん、ぐう……」
「もうそれくらいにしてあげて、気絶してるわ」
地を這うかのような恐ろしい声に続いて、絞められた鶏のような声が上がる。
それを聞いて、はあ、とため息交じりにシャルロッテが背後に向かって声をかけた。ランベルトは、今気づいたとでもいうように、締め上げたエーミールの襟首を離す。
どさり、と白目をむいたエーミールが寝台の上に倒れ込む。こうなっては美貌も形無しだ。
床でなくて良かったわね、とシャルロッテは心の中で合掌した。
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