失恋王女、大ピンチを迎える(4)
「さ、乾杯だ――シャル、わかるだろう」
赤い、毒々しい色の液体をグラスに満たして、エーミールはシャルロッテに微笑みかけた。しかし、いつものような華々しい笑みではない。底冷えのするような冷たさが、表情ににじみ出ている。
「……にいさま、だったのね」
覚悟を決めて、シャルロッテはエーミールの手からグラスを受け取った。
あの手紙、そしてカードを使ってここへ彼女を呼び出したのは、全てエーミールがコルネリアに命じてやらせたことなのだ、と悟る。
そして、ここで彼の機嫌を損ねれば、全てをばらすつもりなのだ、ということもエーミールの表情から察せられた。
くすくすと笑うエーミールを、ぎりりと睨みつけ、シャルロッテは受け取ったグラスを掲げる。それに口をつけ、一口だけ飲みこむと、彼女はそれをテーブルの上に置いた。
「おや、お気に召さなかったかな……? うちの領地産のなかでも、女性に人気の高い銘柄なのだけど」
同じように口をつけたエーミールは、そんな彼女の様子を面白そうに眺め、グラスを揺らしている。赤い液体が、透明なガラスの中でゆらゆらと揺れて、鈍い光を放っていた。
「言いたいことがあるのでしょう。まずは、その話を聞いてからゆっくりいただくわ」
「せっかちだねえ。誰に似たのかな」
肩をすくめて、エーミールは弄んでいたグラスをテーブルに置く。再び背もたれに身体を預け、シャルロッテに向けて小馬鹿にしたような視線を向けた。
「言いたいことも何も、シャル――きみの目を覚ましてやる、と言ってるんだよ。あの護衛騎士がどんな男か、きみも知りたいだろう……? 全て手紙に書いてやったというのに、きみは一向に態度を改めない」
エーミールの声に苛立ちが混じり始める。なんとか冷静で尊大な態度を崩さずに話をしようとしながらも、彼は自分の感情を制御できないようだった。
「ヘルトリングの男が、どれだけ女にだらしないか――聞いたことがないわけじゃあるまい? あの護衛騎士も、例に漏れず、ということさ」
ふん、と鼻で笑うと、エーミールは再びグラスを手に取り、一息に飲み干す。いさかか乱暴な手つきで、もう一度グラスを満たすと再びそれを一気に呷った。
ぎらつく若草色の瞳が、シャルロッテをねっとりと見つめている。背筋にぞっとするものを感じて、シャルロッテはわずかに身を引いた。
その間も、コルネリアはただ地に伏して、すすり泣いている。その嗚咽に交じって、未だに「申し訳ございません」と言う言葉が、途切れ途切れに聞こえていた。
「残念だけど、聞いたことがないわね」
ちらり、とコルネリアの姿を振り返ると、シャルロッテはエーミールに向き直った。この場で頼れるのは、自分一人である。自らのピンチを乗り切るのも、コルネリアを守るのも自分の仕事だ。そして、ランベルトの名誉を守るのも。
ぎゅっとこぶしを握り、シャルロッテは言葉を紡いだ。
「少なくとも、ランベルトは誠実に向き合ってくれているわ」
そもそも、シャルロッテの恋人役を引き受けたのだって、ランベルトにしてみれば業務命令のようなものだ。彼が自分の女性関係について王女に対して何か報告する義務はないし、ましてや仮初の恋人相手に何か釈明する必要もない。ずきりと痛む胸を押さえて、シャルロッテはそう言い切った。
しかし、その言葉はエーミールにとって逆鱗に触れたようなものだったのだろう。悪鬼のような様相で、彼はドンと机に拳を打ち付けた。
「他所に女を囲うような男だぞ! なあ、シャル……お前は騙されてるんだ。お前が本当に好きなのは――」
そこで一旦言葉を切ると、エーミールはうっとりとした笑みを浮かべた。こころもち顎を上げ、まるで舞台俳優が観客に語りかけるかのようにゆっくりと続ける。
「この僕だったはずだ」
「違いますから」
完全に自分の世界に入り込み始めたエーミールの言葉に、つい素直に反応してしまい、シャルロッテは心の中で「しまった」と声を上げた。しかし、言ってしまった言葉は取り消せない。頬を引きつらせるエーミールに向かって、シャルロッテは必死に言いつのった。
「そ、そもそも……にいさまのほうじゃないですか、運命の女性に出会ったっておっしゃってたの! 私が誰を好きでも、にいさまには関係な――きゃっ」
突然どんと突き飛ばされて、シャルロッテは体勢を崩した。後ろに座り込んでいるコルネリアを避けようとしてとっさに身をよじったため、足首に痛みが走る。
「ちょ、ちょっと……! エーミールにいさま、なにを……!」
「うるさい! 全部、全部お前のせいだ……!」
目を血走らせたエーミールが、シャルロッテの腕を掴んだ。
「お前があんな男に騙されたりしなければ、僕は……!」
ぎりぎりと握った腕に力を込めたエーミールが、どこか焦点の会わない瞳をシャルロッテに向ける。痛みに顔をしかめながらも、シャルロッテはなんとかそれを振り払おうと力を込めた。
「途中まではうまくいっていたんだ……僕は、運命の女性を取って……そう称賛されるはずだったのに……お前が、お前が……ッ」
「もう……もう、おやめください……エーミール様っ……!」
揉み合う二人の間に、突然割り込んできたのは、それまで地に伏せていたコルネリアであった。涙にぬれた顔を晒し、エーミールに飛びつく。なんとかシャルロッテの腕を握る手を外そうと、必死になっているようだった。
「コルネリアさま……っ」
「お、おまえ……ええい、うるさい!」
二人がもみ合ううちに、シャルロッテの腕が解放される。しかし、コルネリアもまたエーミールに突き飛ばされ、再び床の上に倒れ込んでしまった。
「にいさま、やめて……!」
シャルロッテの腕を解放してしまったことに気付いて、エーミールの顔が歪む。その怒りの矛先がコルネリアに向かったことに気が付いて、シャルロッテは再び二人の間に割り込み、彼女を庇った。
「そこをどけよ、シャル……そいつは、俺のものなんだ。どうしようと、俺の勝手なんだよ……!」
「何をいっているか、わかっているの⁉」
エーミールの放つ異様な雰囲気に、シャルロッテは顔を青ざめさせた。もはや、何を言っても彼には通じないのではないか――そんな思いが一瞬掠める。
一歩、また一歩、エーミールが二人に近づく。立ち上がろうとして、シャルロッテはずきりと足に痛みを覚えた。先程ひねってしまった場所だ、と気付く。
これでは、彼女を連れて逃げるのは無理か。
「シャル、お前に痛い思いはさせたくないんだ。わかるだろ……そこをどけよ」
「だめ、だめよ……にいさま、正気に戻ってちょうだい」
「俺が正気じゃないっていうのか? 至って正気だよ。ふん、いいさ……言い訳は何とでもなる。まずはお前から……!」
いびつな笑みを浮かべたエーミールの手が、シャルロッテの腕を掴もうとする。
その時、扉を激しく叩く音が室内に響き渡った。
「――ま、シャルロッテ様! こちらにおいでですか⁉」
「ラン――むぐっ」
次いで聞こえてきた声に、シャルロッテが大声を上げて答えようとする。しかし、それよりもエーミールの手が口を塞ぐ方が早かった。
「んんん――!」
「うるさい、喋るな……! ああ、いや……そうだな……おあつらえ向きだ」
エーミールは、再びシャルロッテの腕を掴むと、無理やり引きずるように立たせる。扉の外からは、どんどんと扉を叩く音に代わって、体当たりをしているのだろうか。どすん、という大きな音と、扉のきしむ音が聞こえてきた。
「あの男に、シャルが本当に愛しているのが誰なのか教えてやろう――なあ、シャルロッテ? お互いが裏切り合っている二人だなんて、実に似合いじゃないか……」
先程までの激情が嘘のように、エーミールの顔には穏やかな表情が浮かんでいる。いや、そうではない。表情が抜け落ちているためにそう見えているだけだ。
狂気を宿した瞳に射竦められて、シャルロッテは息を呑んだ。
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