失恋王女、大ピンチを迎える(1)
どんよりと昏い光を宿した瞳が、うつろな視線を並んだドレスに向けている。今日ばかりは、クラーラも声をかけられず、その後ろ姿に気づかわし気な視線を送った。
二日後に、エーミールの家――ハウスクネヒト公爵家での夜会を控え、今はその衣装選びの真っ最中なのである。
「気が進まないわ……」
「それは、そうでしょうとも……」
指先でドレスを撫でながら、はああ、と大きなため息がシャルロッテの口から漏れた。
「出なきゃ、だめなのよね……」
「リヒャルト殿下直々に仰ってましたからね」
昼過ぎにシャルロッテの部屋を訪れた兄の、爽やかに笑う姿を思い出して、シャルロッテは憂鬱そうに首を振った。
『ねえ、兄さま……やっぱり出ないとダメかしら……』
『だめ』
良い笑顔だったわあ、と遠い目をしてシャルロッテは呟いた。ダメ元で聞いてみたのだが、まさか一言で却下されるとは思わなかった。せめてもう少し言葉を選んで欲しい。
その後、少し時間が欲しいといってスヴェンとランベルトを伴って出て行った後ろ姿を思い出して、シャルロッテは肩をすくめた。
おそらく三人で、あの噂話について何か相談していったのだろう。当事者なのだから、自分がいてもよかったんじゃないか、とちらりと思う。
浮かない顔つきで、シャルロッテはドレス選びを再開した。適当なドレスを二、三枚選び出して並べさせる。そのうちの一枚を手に取って、彼女はもう一度ため息をついた。
それから、ふるふると首を振る。ぐっと腹に力を込めて気合を入れなおし、シャルロッテは衣装室を見回した。
ハウスクネヒト公爵家での夜会を終えれば、シャルロッテが出なければならないものはない、と言って良い。三公爵家の夜会は、それぞれシーズンのはじめ・中盤・終わりごろに催されるものだからだ。
つまり、社交シーズンはそろそろ終わりを迎える時期になったということである。
「これで最後だから……そうね、青系の……あ、あれにしましょうか」
シャルロッテが指さしたのは、少し紫がかった青色のドレスだ。色味だけを見れば、少しばかり地味だが、銀糸の刺繍と、繊細なレースの重なりが美しい一品である。
「ちょっとおとなしすぎませんか?」
「大人っぽいと言ってちょうだい」
頬を膨らませた姿は、まだまだ子どもっぽさが抜けていない。クラーラはそう思ったが、シャルロッテの心情を慮って頷いた。
「では、装飾品はこちらの、共布を使ったチョーカーにいたしましょうか」
真珠をあしらったチョーカーを差しだすと、シャルロッテは頷いた。
「髪型もちょっと大人っぽくしてね……最後だから」
頻りに「最後」と繰り返すシャルロッテに苦笑を返すと、クラーラはどんな髪型が良いか思案し始めた。
そんな状態ではあるが、相変わらずランベルトとの薔薇園散策は続けられていた。ただ、どうしてもお互いの態度がぎこちなくなってしまうのは避けられないことである。
それでも、遠巻きにしか見ないギャラリーには、二人は相変わらず仲睦まじく見えているようだ。ことに、若い令嬢たちの憧れの視線が、今のシャルロッテには若干辛く感じられるほどである。
例の「彼女」の出仕は、他ならぬ本人から断りがあった。少しほっとした様子でそう報告したランベルトに、シャルロッテは複雑な心境だ。二人の仲を邪魔したいわけではないが、実際に近くで仲睦まじい姿を見るのは辛い。ほっとしてしまう自分に、すこしばかり嫌気がさす。
同時に彼女からは、きちんと封のされた手紙を受け取ってもいた。ランベルトが逡巡しながら差し出したところを見ると、おそらく彼も中身は知らないのだろう。そこには『時期が来れば、お会いすることになりましょう。会わせたい者もおります』と記されていた。
意味深な手紙に、シャルロッテは嫌な想像ばかりを掻き立てられてしまう。時期、というのはもしかすると、そろそろ二人の間では結婚の話など出ているのではないか。――会わせたい相手とは、一体どんな人物なのか。まさか、という想像が一瞬頭を過って首を振る。いくらなんでも、まさか。
憂鬱な気分に拍車はかかるが、それを顔に出すわけにはいかない。シャルロッテは、頭を一つ振ると、なんとか気持ちを切り替えようとした。
小さな社交場である薔薇園では、やはり噂話をする声があちらこちらから聞こえてくる。先日のスヴェンの言葉通り、王女と護衛騎士が婚約間近、というのはすでに既定路線のようだった。合わせて、エーミールの話も出るかと思ったが、そちらを話題に上げるものはいなかった。ただ、最近姿を見ていない――という話がちらりと聞こえたのみである。小さなものから大きなものまで、おおよそ夜会と名のつくものには顔を出して遊び歩いていたという彼にしては、随分と珍しい話である。
まあ、ああまで大きな失態を見られた後では、顔は出しづらかろうが。
ランベルトに視線を向けると、彼はため息交じりにこう述べた。
「ここのところ、エーミール様も夜会は控えてらっしゃるようですね。コルネリア嬢がご病気ということもありますが、実際のところハウスクネヒト公爵がお怒りになって、当分は自粛するようにお達しがあったらしい、とスヴェンが話していました」
「……相変わらず、スヴェンの情報網には感心するわ」
そろそろ散り際を迎え開き切った花弁を、なんとなく手で弄びながら、シャルロッテは呟いた。触れた花がほろりと崩れて、手の中に花びらが残る。
まるで、自分たちの関係のようだ、とシャルロッテはぼんやりと考えた。
噂になるだけなって、後はこうして崩れるのを待つばかりの関係。――そんなことは、最初から分かっていたけど。
ランベルトは何か言いたげな顔をしていたが、それ以上特に口を開かずにシャルロッテの手元をじっと見つめている。
「それでもやっぱり、自邸での夜会には顔を出すわよね」
「……そうでしょうね」
一瞬だけ、二人の視線が交差する。お互いの瞳に陰りを見て、王女と護衛騎士はひっそりと肩を落とした。
ハウスクネヒト家での夜会は、既に明日に迫っている。当日は、こんなぎこちない姿を見せるわけにはいかないのだ。
これが、最後だから、少しだけは許してほしい。シャルロッテは、未だ姿も名前も知らぬ彼女にそっと願った。
全てが済んだら、ランベルトには兄の護衛騎士の職を斡旋しよう。王女の護衛騎士から王太子の護衛騎士となれば、栄転と言える。それくらいしか、ランベルトに報いる道はない。
もうじき、こうして二人で過ごす時間も終わりだ。シャルロッテは、ランベルトの横顔をそっと盗み見た。
憂い顔もかっこいい。絵になる。この色男め……。
王女らしからぬ思考を胸に、シャルロッテは半歩だけ、ランベルトの傍に寄った。この距離も、もうすぐあの「彼女」だけのものになる。胸の痛みを隠して、シャルロッテはランベルトの腕にそっと自分の腕を絡ませ、微笑みを浮かべた。
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