失恋王女、今度こそ失恋する(3)
ぱたん、と戸を閉めて、クラーラは大きくため息をついた。何があったかは知らないが、シャルロッテが人知れず泣いていたことが彼女にとってはショックな出来事だ。
「……私にも、理由をお話しいただけないなんて……」
「どうしたの」
朝食会へのお供をするために、既に待機していたスヴェンがその姿を認めて近寄ってくる。クラーラはそのへらへらした顔を一瞥すると、ツンと顎をそらした。
「なんでもありません。……姫さまは、体調がすぐれないご様子でしたので、本日は一日お休みをさせていただきます。スヴェン様には申し訳ございませんが、そのようにお言伝を」
「――もしかして、泣いていた?」
ぎくり、と身体をこわばらせたクラーラは、すぐに自分の失態に気付いて顔をそむけた。しかし、その態度が雄弁に事態を物語っている。
「チッ……あの馬鹿……なんでこう肝心な時にいないかな……」
二人は、この場にいない黒髪の騎士の姿を同時に頭の中に思い浮かべ、それぞれに彼の不在を罵った。
「にしたって、一体殿下はどうしたっていうんだ」
「さあ、それが……昨日から、ご様子がおかしいようには思っていたのですが……」
そうなんだよなあ、とスヴェンもクラーラの言葉に同意した。シャルロッテは何でもない風を装っていたが、二人の目はそうそう誤魔化されるものではない。
「昨日、お一人で手紙の返事を書く……とおっしゃってからの様に思うのですが」
ちらり、とクラーラは文机の上を見た。恐らく、口に出さなくても気が付いているだろう。
クラーラの用意した便せんも、ペンも、インクも、使用した形跡はなかった。
ということは、当然昨日の手紙への返事は書かれていないということである。
「――あのお手紙、どなたからだったのでしょうね」
「手紙、か……」
文机の上は片付けられて、当然昨日の手紙もそこにはない。二人は顔を見合わせると、同時に大きくため息をついた。
クラーラを見送って、シャルロッテはもう一度寝台に寝ころんだ。行儀悪く枕までごろごろと転がると、顔を押し付ける。
昨日、散々顔をうずめた枕は少し湿っぽく、涙の匂いがするような気がした。
それを感じると、またぎゅうっと心臓が掴まれるように痛い。
じわ、ともう枯れたと思っていた涙が浮かんできて、シャルロッテは慌てて仰向けに寝転んだ。そんなことをしても、涙は目の中に戻ったりしないのはわかっていたけれど。
「……昨日、決めたじゃない」
天蓋を見つめながら、シャルロッテは呟いた。
あの告白の事は忘れてもらう。ランベルトの恋人の事は、きちんと知っていると言う。そのうえで、これからも協力をお願いする――今度は、リヒャルトの命令ではなく、シャルロッテのわがままに付き合ってもらう、という形で。
ランベルトは気付いていないのかもしれないが、あそこまで話を膨らませてしまった今、全て嘘でした――では通じなくなってしまっている。下手をすれば、ランベルトはまさしく「王女を騙そうとした男」という扱いを受けてしまうだろう。
それだけは避けたい。
シャルロッテの為に行動してくれたランベルト。その彼の為に、今度はシャルロッテが何かをしてあげたい。
だが、できれば、その王都にあるという家に通うことはしばらくは控えてもらわねばならないだろう。恋人たちの邪魔をするのは、シャルロッテにとっても不本意であるのだが。
「あ、そうだ」
シャルロッテはむくりと身を起こした。
「ランベルトに通ってもらってまずいなら、彼女をここに呼べばいいのよ」
我ながら名案だ、とシャルロッテは笑った。笑おうとした。
ぽたり、と雫がこぼれて胸元を濡らす。
「だいじょうぶ……こんなのぜんぜん大丈夫……」
ぽたぽた、と溢れる雫をぐいっと拭って、シャルロッテはもう一度、ぽすんと枕に顔を埋めた。
「あの、シャルロッテ様、なにを……?」
「大丈夫、私は知っているから。その……先日のことは、忘れてちょうだい。うん、そう、わかってるから」
昨夜のうちに戻ったランベルトは、スヴェンと交代で朝番に就いている。
思えば、その交代の時から、スヴェンはなにか含みのありそうな顔をしていたし、味方につけたと思っていたクラーラもどこかよそよそしい、とランベルトには感じられていた。
極め付けは、シャルロッテの態度である。先日まで無邪気な笑顔を見せてくれていた王女は、朝食会に向かう道すがら、一言も口をきかなかった。
それ自体は、まあ寝不足の日などにありがちなことだったので、それほど気にしてもいなかったのだが、無言のうちにランベルトをちらちらと横目で見るのはどうしたことか。密かに胸の内でランベルトは首を傾げていた。
そのシャルロッテから、思わぬ内容の言葉を聞かされたのが現在のことである。
「その……ランベルトには、王都に……ええと、面倒を見ている女性がいるって」
シャルロッテは、なるべく言葉を選んで話し始めた。さすがに「囲っている」などと直接的なことは言いにくい。
それを聞かされたランベルトは、顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けていた。
「え、なっ……誰がそんな」
「誰だっていいでしょう。本当なのね?」
嘘のつけない男、ランベルトは助けを求めて周囲を見回した。が、スヴェンは交代していて不在であるし、クラーラは控えの間に下がっている。
「面倒を見ている、というか……はあ、まあ……」
奥歯に物が挟まったような言い方で、ランベルトはそれを認めた。しかし、シャルロッテの表情を見るに、なにか誤解があるような気がしてならない。
「その、シャルロッテ様、彼女は――」
そこまで言って、ランベルトはハッとしたように口をつぐんだ。シャルロッテは、そんなランベルトの様子に首を傾げる。
「……そ、それでね。その方には――ううん、ランベルトにも、申し訳ないのだけれど、恋人役の方はこのまま継続してもらいたいの。その……少々、派手にやりすぎたじゃない? 私たち」
「そ、それはもちろん、言われるまでもなくそのつもりですが」
「もう一つ、大変申し訳ないお願いなのだけれど……しばらく、その家に行くのはやめてほしいの」
ぎゅっと拳を握って、シャルロッテはなんとかそう口に出した。これが、自分勝手な頼みであることは重々承知している。そんなシャルロッテの前で、ランベルトはますます動揺した様子を見せた。
「えっ……いえ、その、行かないわけにいかない事情が、その……」
顔を赤くして、ランベルトがまたしても言いよどむ。その様子に、シャルロッテの胸はずきりと痛んだ。
そんなに、会いたいのか。
まだ見ぬ彼女の姿を想像して、シャルロッテは落ち込んだ。きっと素晴らしい女性なのだろう。シャルロッテよりも多分年が上で、落ち着いて、そう、ランベルトが他の女性の恋人役を命じられても、それを許してくれる度量もある――。
涙ぐみそうになって、シャルロッテは慌てて上を向いた。
「もちろん、会いたいでしょう。ええ、わかるわ……だからね、ランベルト」
ゆっくりと、声が震えないように気をつけて、シャルロッテは言葉を紡いだ。
「その女性を、ここへ住まわせなさい。そうね――表向きは私の侍女ということでいいわ。ああ、もちろん彼女が良いと言えばだけど」
「は……?」
ランベルトの口から、間抜けな声があがる。シャルロッテは、微かに痛む胸を押さえて、彼に向けて頷いた。
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