失恋王女、今度こそ失恋する(2)

 その手紙が王宮の王女の居室へと届いたのは、翌日のことであった。

 差出人の欄には、ユリアーナの名前が書かれている。しかし、シャルロッテはそれを見てかすかに眉をひそめた。

「どうなさったんですか?」

 いつもであれば、喜んで封を切るシャルロッテであるのに、様子がおかしいと気が付いたのだろう。クラーラが訝しげに主人の表情をうかがった。珍しくおとなしく控えているスヴェンも、同様の表情を浮かべてシャルロッテとクラーラの会話を聞いている。

「あ、ううん……なんでもないの。ただ……そう、あの事について聞かれるのかなぁ、と思って」

 作り笑いを浮かべたシャルロッテに、クラーラは苦笑を返した。

 なるほど、友人を代表して一番仲の良いユリアーナがその役目を押し付けられる、というのはおかしな話ではない、とクラーラは考える。仕方のないことだ、そう思って「そうですか」と微笑めば、シャルロッテはあからさまにほっとした表情を浮かべた。

 夜会の翌日、夕方から交代番で姿を見せたランベルトは、その翌日から、つまり今日から二日間の休みをとっている。ここのところ休みが多いな、とは思うものの、基本的に年中休みなくそばにいてくれた彼の希望とあれば、いちいち理由を問うのも憚られた。

 したがって、シャルロッテは未だにランベルトときちんと話をすることができていない。そのことも、シャルロッテの表情が冴えない一因であろう、とクラーラは推測していた。

 文机からペーパーナイフをとったシャルロッテが、封書の隙間からそれを差し込みシュッと刃を滑らせる。封筒から便箋を取り出し、ぺらり、と折り畳まれたそれを開くと、その内容にさっと目を通した。一瞬目を瞠った彼女が、それを素早く裏返す。

 その隣で、銀製のペーパーナイフが、窓から差し込む陽光に鈍い光を放っていた。

「……ごめんなさい、クラーラ、スヴェン。ちょっと一人にして欲しい。返事を書きたいの」

 そう言われたとき、クラーラは別段驚かなかった。手紙を書くときのシャルロッテは、たいそう独り言が多い。書く内容を推敲している――というのが本人の主張だが、少しばかりはしたないので治していただきたい習慣である。まあ、そういう事情もあり、プライベートな手紙を書く際には大抵は一人になりたがるからだ。

 手紙が来てすぐに返信を書くというのはめずらしいが、きっと返事を急かされでもしたのだろう。そう軽く考えて、クラーラは渋るスヴェンを追い立て、便箋とペンを文机に準備すると控えの間へと下がっていった。

 部屋には一人、シャルロッテだけが残される。もう一度机の上の手紙を手にすると、シャルロッテはその場に突っ立ったまま、青ざめた顔でその中身をもう一度食い入るように読み始めた。

 便箋一枚分の、短い内容だ。――しかしそこには、シャルロッテにショックを与えるのに充分な内容が書かれていた。

「……ふ、ん」

 馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、シャルロッテは二度、三度とその内容を読み返してしまう。

 そもそも、開く前から怪しさ満載の手紙だった。

 まず、表の差出人の名前――ユリアーナの名が書いてはあるが、筆跡がまるで違う。何度も手紙をやり取りしたシャルロッテには、それがすぐにわかった。

 封筒も、ただ真っ白なだけの事務的なもので、可愛らしいものが好きな彼女らしくない。

 本当の差出人も、おそらくは、まず筆跡でバレることはわかっていたのだろう。手紙の最初は、王女の友人の名を借りて手紙を出す無礼を謝罪する言葉から始まっていた。

 柔らかな筆跡は、おそらく女性の手によるものだと推測できる。しかし、自分にこのような内容を送ってくる女性にシャルロッテは心当たりがない。

 そこには、王女の恋人ランベルトについて、知らせておかねばいけない重大な事実があること、そしてそれが何なのかについて書かれていた。

 シャルロッテは、震える手で手紙を持つと、ゆっくりともう一度読み直す。

『護衛騎士にして、王女殿下の恋人――ランベルト・フォン・ヘルトリングは、王都に家を与え、囲っている女性がいるのです。

 このことを、殿下にお知らせするべきかどうか、私は大変悩みました。が、王女殿下が真実の愛を見誤り、不埒者の毒牙にかかることを見過ごすことはできません。

 自らの名を明かすこともせず、このような形でお知らせするしかできないことをお許しください――』

 囲っている、とはまぁなんというか、少し悪意に満ちた言い方である。

 普段であれば、一笑に付すような内容だ。しかし、そこには証拠の一つとして、ランベルトがその家に通ったという日までもが書き込まれていた。

「この日も、それに……」

 今日も――手紙にある日付に、シャルロッテは心当たりがあった。全てランベルトがここ最近休みを取った日付である。

 ぼすん、と大きな音を立てて、シャルロッテの身体がソファに沈み込んだ。目の前が真っ暗になったような心持ちに、耐えきれなくなって、目を閉じる。

 手紙には、ランベルトの不実をなじる言葉が書き連ねてあったが、シャルロッテ自身は彼にそんな言葉をぶつけられる立場になかった。ランベルトは、ただ噂を鎮めるための恋人役を、命じられて行っているだけだ。

 そうか、と納得する気持ちがどこかにある。シャルロッテの告白をなかったもののように振る舞う彼の態度の答えがこれだ、と思えば、それは至極納得のいく理由だった。

 正面切って主を袖にするわけにもいかず、かといって本物の恋人に不義理をするわけにもいかず、彼はきっと苦しい思いをしているに違いない。

 いっそ、この茶番の一部として、なかったことにしてしまいたい――そう思っているとしたら、全部のつじつまが合う。

 ――失恋王女は、ほんとに失恋しちゃったわけだ。

 いっそのこと、泣き喚ければ楽なのに。シャルロッテは唇を噛みしめてそれを堪えた。

 大声を出せば、控えの間にいるはずのクラーラやスヴェンに聞こえてしまう。くしゃりと手元の紙を握り締め、シャルロッテはなんとか顔を上げた。

 泣いていいのは、自分ではない。両手でぱちんと自分の頬を挟むようにして叩く。

「ごめんなさいね」

 小さくそう呟いて、シャルロッテはもう一度、ソファに深く身体を沈み込ませると大きくひとつ息をついた。

 ここまで派手にやってしまった計画だ。今更やめた、とは言えないし、そんな無責任なことはシャルロッテにもランベルトにも許されない。

 もう少しだけ、彼を貸していて――。姿もわからぬその人に心の中で謝りながら、シャルロッテはそのまま身じろぎ一つせず、しばらくの間そうしていた。


 翌日の朝、シャルロッテの起床を促そうと寝室へ向かったクラーラは大変驚いた。

「ひ、姫さま……ちょっと、何があったというんです……?」

「う、うん……その……」

 自分でもわかるほど目が腫れぼったい。まあ、それも当たり前だ、とシャルロッテは覇気のない笑顔をうかべて肩をすくめた。

 昨日の夜、ひとりきりになったことを自覚した瞬間、ぽろぽろとこぼれだした涙を止めることができなかったのである。

 王女として自分を律したつもりのシャルロッテであったが、まだ十六の少女である自分のことまでは律しきれなかった。なにせ、初恋に破れたのである。

「ええっと……実は昨日、寝台の中で本を読んでしまって……その、悲しい話だったのよ……」

 我ながら苦しい言い訳だ、とシャルロッテ自身思う。弁解する声も弱々しく震えていて、とてもじゃないが信憑性がない。クラーラも、疑わし気な視線を寝台に投げかけている。

 シャルロッテお気に入りの、紫色の紗がかけられた寝台は、今は朝の光に柔らかく照らされて、少し乱れた姿を晒している。そこには、寝具はあるが本は見当たらない。

「ちゃっ……ちゃんと、片付けたから……」

 我ながら苦しすぎる。朝腫れぼったい目を晒すほど泣いた人間が、その原因となる本をきちんと片付ける筈などない。

 クラーラのじっとりとした視線を横顔に感じて、シャルロッテの心臓がきゅうっと音を立てそうなほどに収縮した。

「……とりあえず、目を冷やしましょう。それから、スヴェン様には言伝を頼んでまいります」

「あ、ありがと……え? スヴェンに、なにを……?」

 はあ、と大きなため息をついて、侍女は王女の瞼にそっと触れた。

「これでは、多少冷やしたところで元にはもどりませんでしょう……。今日の姫さまは、体調が芳しくない様子、と申し上げておきます。今日はこちらで、ごゆっくりお過ごしください」

 クラーラの優しい微笑みに、シャルロッテは情けなく頷いた。

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