失恋王女、今度こそ失恋する(1)

「何にも、なかった……?」

「そうよお! 何にもなかったのよ……!」

 半分ほどクッションに顔を埋めたまま、シャルロッテは昨日の帰りの馬車の中でのことから部屋に送り届けられるまでの一部始終を語った。

 ――あれから、馬車の中は終始無言であった。シャルロッテとしては、勢いばかりの告白とはいえ、なにかしらの反応が欲しいところである。しかし、ランベルトがそのことについてどう思っているのかはおろか、本人の気持ちさえ聞くことができなかった。

 これはなにも、シャルロッテが意気地なしだった――というだけではない。口元には緩い笑みを浮かべていたランベルトだが、その蒼い瞳の発する光がそれ以上の会話を拒んでいるように見えて、シャルロッテは一言も言葉にすることができなかったのだ。

 結局、ランベルトが口を開いたのは、王宮に馬車が着いてからの「お手をどうぞ」の一言と、送り届けられた時の「それでは、本日はこれで」の言葉くらいのものである。ちなみに、その日スヴェンを置き去りにして帰ったため、近衛隊に後を任せると、ランベルトは宿直室にそのまま戻っていった。

 シャルロッテはその後ろ姿を見送って、ため息をついたものである。

「……あの朴念仁の意気地なしめ」

 眉をしかめたスヴェンが、口の中でそうぼそりと零したが、シャルロッテはそれには気が付かなかった。というのも、顔をすっかりクッションに埋めて頭を擦り付けるのに忙しかったからである。

「もう本当に、私……」

 どうしよう、と消え入りそうな声を出すシャルロッテに、スヴェンは苦笑した。今までかたくなに隠し通している(つもり)だったであろう気持ちが駄々洩れだということに、彼女は気が付いていないようだ。もちろん、スヴェンにとって九つ年下の少女の気持ちなど、今更聞くまでもないことなのだが。

 クッションに向かって、なおも意味不明な奇声を上げ続ける主から視線を上げて振り返ると、部屋の隅に控えているクラーラと目が合う。彼女は肩をすくめると、重々しく一つ頷いた。つまり、シャルロッテの言うことが間違いなくそうだった、という肯定の意を示したのだ。

「重症だなあ」

 クラーラに向けて、同じように一つ肩をすくめると、スヴェンはため息とともにそう零した。

 ひとしきりそうやって一人で騒いだシャルロッテは、ふとあることに気が付いた様に顔を上げた。その先に、訳知り顔のスヴェンの姿を認めて――恐る恐る、と言った調子で問いかける。

「あの……スヴェン? そういえば、あなたあんまり驚かないけど……その、もしかして、知ってたの……?」

「知られてないと思っていたことが驚きなんですけど」

 こともなげにスヴェンが言う。

 目をぱちぱちと瞬かせて、シャルロッテはスヴェンを見つめた。それをじっと見つめ返して、スヴェンはにんまりと笑った。

 たっぷり十数えるほどの間、そうして見つめ合ったあと、シャルロッテはみるみるうちに顔を真っ赤にする。

「え、ええ……⁉ ちょ、ちょっと待って、そんな……⁉」

「ぶっ……殿下、驚きすぎですよ」

 一度吹き出したら止まらないらしい。ははは、と腹を抱えて笑うスヴェンに、シャルロッテはあわあわと慌てた。これは、恥ずかしいどころの騒ぎではない。

 出来れば、今すぐ頭から布団をかぶって姿を隠したいくらいだが、あいにく手元にあるのはクッションだけ。先程から顔をうずめていたそれを、今度は頭の上に置いてぎゅうと押し付けると、シャルロッテは叫んだ。

「う、嘘だと言ってよスヴェン……!」

「残念ながら、本当です……実を言えば、クラーラもまぁ……知っていると思います」

 全く残念そうでない口調で、スヴェンは容赦なくシャルロッテに事実を告げた。びくん、と身体を飛び跳ねさせて、シャルロッテが恐る恐るスヴェンの身体越しにクラーラを見る。忠実な侍女が、目を伏せてからしっかりと頷くのを確認して、シャルロッテはもう一度クッションを被りなおした。

「う、うそでしょ……ま、まさか……他には……」

 ひええ、と情けない声を上げる王女に、生ぬるい視線を送る護衛騎士と侍女であった。


「そっか、そうなのね……」

 三十分後、ひとしきり奇声を上げたり一人でじたばたとクッションを被ったり振り回したり顔をうずめたりしたのち、シャルロッテはようやく落ち着きを取り戻した。

 ぽい、とクッションを放り出すと、シャルロッテは今更ながらにスヴェンに座るように勧める。今日の朝食会を仮病で欠席した彼女は、やっと空腹を覚え始めていた。

 タイミングを見計らったかのように、クラーラが熱い紅茶を淹れてくれる。それから、軽い口当たりのクッキーも。それが、ヤンセン菓子店のものだ、と気が付いて、シャルロッテはかすかに微笑んだ。彼女がここのお菓子を好んでいることを知って、わざわざ用意してくれたのだと思うと、心遣いにほっとする。次いで、少し渋い顔をしながらも、スヴェンの分も用意してくれる辺りが彼女らしい。

 ふう、と紅茶に息を吹きかけて冷ましているシャルロッテの対面で、スヴェンは性懲りもなくすぐに口をつけ「あちっ」と情けない声を上げていた。

 そんないつも通りのスヴェンの姿に、落ち込んでいた心が少しだけ軽くなる。思えば、いつもスヴェンはこうだった。

 はあ、とひとつため息をこぼす。シャルロッテにとって、スヴェンはもう一人の兄にも等しい存在だ。護衛騎士に就任してから五年、ずっとこうして傍で見守ってくれていた。

 ほこほこと暖かい気持ちが胸に満ちる。

「スヴェンみたいな人を好きになったらよかったのかしら」

「そんな恐ろしいこと言わないでください」

 クラーラに睨み殺されちゃいます、とおどけるスヴェンに、ようやくシャルロッテは笑い声をあげた。

「スヴェンを、とは言ってないわよ」

「おや、これは一本取られた」

 鷹揚にそう言ってスヴェンが笑う。十六歳になりたての少女の精一杯の虚勢を、彼は優しく受け止めた。

 いただきまあす、と少し間延びした声をあげ、クッキーを摘まむ王女は、よく見れば目の下に少し隈ができている。

 なにをやっているんだか、と心の中で舌打ちし、同僚に呆れとほんの少しの怒り――そして、ちょっぴりの同情心を抱きながら、スヴェンはもう一度紅茶に口をつけ――再び「あちッ」と舌を出した。

 その姿を見て、王女の忠実な侍女は呆れた視線を護衛騎士に送ったのだった。

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