失恋王女、対決する(2)
「……もう、どれでも良くない?」
目の前に広げられた何着ものドレスをとっかえひっかえ着せられて、シャルロッテはついに音を上げた。そんなシャルロッテに、次のドレスを選んでいたクラーラが眦を吊り上げる。
「いいえ、いけません姫さま!」
握りこぶしを作り、目を血走らせた侍女の姿に、恐れをなした王女は思わず逃げの態勢にはいってしまう。じり、と一歩下がったその足元には、クラーラが却下した萌黄色のドレスが無造作に置かれていた。踏みつけそうになったところを、側に控えていた別の侍女がささっと除ける。
その間にも、クラーラはまた別のドレスを手に取り、シャルロッテににっこりと微笑みかけた。その笑顔がとてもこわい。
「さ、こちらをお試しくださいな」
「えっ、それさっきも……」
「さっきのはもう片付けました。さ、どうぞ」
「ううっ……」
気迫に押され、しぶしぶ袖を通す。侍女たちがシャルロッテの周りをさくさくと動き回り、あっという間に着付けの完了だ。
うーん、と唸りながら、クラーラがその姿を前後左右からとっくりと眺める。シャルロッテは、どきどきしながら彼女が口を開くのを待った。
「……やはり、最初のドレスにいたしましょう。誰か、アクセサリーケースを持ってきて」
「最初の⁉」
「はぁい」
返事をした侍女が、衣裳部屋へと消えていく。その間に、また別の侍女が着付けたドレスを脱がせると、他の散乱していたドレスと共に片付けた。
恐るべき手際の良さである。
うきうきと用意を進める侍女たちとは対照的に、シャルロッテはうんざり顔だ。
「ええ、まだやるのぉ……? いつもこんなに時間かけないじゃない……」
「まぁ、姫さまはどれもお似合いになりますからね」
年若い侍女が、くすりと笑いながらシャルロッテの前にアクセサリーを並べ始める。それに指示を出しながら、クラーラは首を振った。
「どれもお似合いになるからこそ、明日の一着は厳選せねばなりません。あの阿呆に目にもの見せてやりましょう」
めらめらと燃え上がる炎をクラーラの背後に見た気がして、シャルロッテは背筋を震わせた。今日のクラーラに逆らうのは得策ではない。
しかしまあ、あとはアクセサリーを決めるだけならそうは時間はかからないだろう。ほっと一つ息をついて、シャルロッテは鏡に向き直った。
「これが終わったら、次は髪型を決めましょうね」
「まだあった」
シャルロッテはため息をつきそうになる。が、忠実な侍女の気迫に押され、なんとかそれを飲み込んだ。
「うっわぁ、気合入ってるねぇ」
「……そのようだな」
ばたばたと部屋を出入りする侍女たちを眺めながら、護衛騎士二人はのんびりとティータイムを過ごしている。
交代時間であるから、ランベルトも帰って明日の用意をせねばならないのだが、そこを引き留めたのはスヴェンだった。
「で、何の用件だ」
「ええ、ランベルトくん冷たいな……たまにはこうして二人で……あっやだ嘘だから、帰らないで」
立ち上がりかけたランベルトを、慌てて引き留めたスヴェンがひとつ咳払いをした。きょろ、と辺りを見回して、侍女たちがすっかりシャルロッテにかかりっきりになり、部屋の中に誰もいないことを確認する。その不審な仕草に、ランベルトは眉をひそめた。
「おい、なんだ……?」
「いや、実はさ……どうも、妙な感じなんだよな」
「妙って?」
ちょいちょい、と手招きされて、ランベルトが身を乗り出す。その耳元に口を寄せて、スヴェンは話し始めた。
「実は――」
その内容に、ランベルトは渋面を作った。
「ん、んん……ッ、もう、無理……ぃ」
寝室に、シャルロッテの悩ましげな声が響く。布地の擦れる音、にじむ汗、そして――
「さ、姫さま、息を吸って!」
「んん……ぐ、ぐえ……」
クラーラの容赦ない言葉が響いた。
明けて当日の昼である。シャルロッテは、クラーラの手によりぎゅうぎゅうと絞められていた。――そう、ウエストを。
「う、こ、こんなに普段絞めないじゃ……う、ぐ……」
「今日は決戦ですよ、姫さま……! さあ、もっと息を吸って!」
「こ、これ以上むり……っ」
隣の部屋では、既にランベルトとスヴェンが支度を済ませて待っている。そちらまで聞こえてしまうのではないか、とシャルロッテは戦々恐々だ。
すう、と息を思いっきり吸い込み、そこで止める。寝台の柱にしがみつくと、クラーラが力の限り紐を締め上げる。
「……ま、いいでしょう。さあ、お袖を通して」
「うっ……」
ぜえはあと息をつきながら、何とかドレスを着付けてもらう。今日のドレスは、淡い浅葱色。裾に向けてだんだん白くなるよう染められていて、それとは逆に施された刺繍は段々濃くなっている。首元に輝くのは碧玉の首飾り。小粒の石をいくつも金のチェーンで連ねたものを、二重に巻いている。
赤交じりの金の髪は、敢えてシンプルに結いあげ、首元と同じような飾りが付けられている。顔の周囲は、もともとのウエーブを生かして少し垂らしているのだが、それが少し大人びた印象を与えていた。
「おお、胸が一回りくらい大きく見える」
「絞めた効果はありましたでしょう……というか、その感想、どうかと思いますよ、姫さま」
満足げに息を吐いたクラーラであったが、シャルロッテのその感想には苦笑を浮かべた。
「さ、参りましょう……いざゆかん、決戦の地!」
「いや、ただの夜会だからね……誰とも決戦なんかしませんからね?」
そう、言っていたのに。
シャルロッテは、引きつりそうな頬をなんとか抑えて微笑んだ。兄と共に会場入りし、トロムリッツ公爵に挨拶したところまでは良い。
トロムリッツ公爵は、シャルロッテにとって祖父の兄弟――大叔父にあたる。そのため、幼い頃から面識があり、気心も知れた関係だ。その大叔父が、やけににこにことランベルトとシャルロッテを交互に眺め、しきりに頷いていたことは気になるが、まぁその程度である。
問題は、その後にやってきた。
婚約者を伴った兄と別れ、次に挨拶しておくべき人物を頭の中のリストから引っ張り出そうとした時、シャルロッテの背後から、今日一番聞きたくなかった声が彼女を呼び止めたのである。
「やあ、シャル。なんだか久しぶりだね……元気そうで、なにより」
「ええ、エーミールにいさまも」
うふふ、となんとか微笑んで、シャルロッテはちらりとその隣に立つ人物に視線を走らせた。
先日はよく見えなかったが、可愛らしいタイプの女性である。チョコレートのような色をした髪に、少しグレーがかった青い瞳。明るいミモザ色のドレスが良く似合って可憐な印象だ。
よくよく見てみれば、今日はおとなしく黒の上下を身につけたエーミールのタイも同じ色をしている。興味が無さ過ぎて、気が付くのが遅れてしまった。
「ああ、きみは――ええと、そうだ。シャルの護衛騎士の」
「は、ランベルト・フォン・ヘルトリングと申します」
ランベルトが名乗ると、エーミールは首を傾げた。
「ヘルトリング……ああ、あの」
「ちょっと、にいさま――」
あまりの失礼さに、思わずシャルロッテが声を上げようとする。しかし、それを軽く制して、ランベルトはにこやかに答えた。
「ええ、その。覚えていてくださったとは光栄です」
その言葉と口調に、エーミールはわずかに気圧されたようだった。あ、いや……と意味のない言葉を呟いて、視線を逸らす。
そんなエーミールの様子に気がついているのかいないのか、ランベルトはシャルロッテの耳元に「失礼します」と囁きかけると、腰に手を回してきた。
「ちょ、ちょっと……」
さすがに慌てて、シャルロッテも小声で囁き返す。
「どうしたの……」
シャルロッテの疑問に、ランベルトは笑顔だけを返す。はたから見れば、いちゃつく恋人同士のような二人に、エーミールは、頬を引きつらせた。
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