失恋王女、対決する(1)

 麗らかな昼下がりのことである。シャルロッテは、珍しくリヒャルトに呼ばれ、彼の部屋へと足を運んだ。

 ここのところ忙しくしていた兄が、時間が出来たのでささやかながらお茶会でもしよう、と声をかけてくれたのである。

 今年二十五――つまり、ランベルトと(ついでに言うならスヴェンとも)同じ歳だ――の兄は、九つと言う年齢差もあってか、シャルロッテには基本的に甘い。小さなころから一人前のレディの様に扱ってくれるリヒャルトに、シャルロッテは良く懐いていたものだ。

 王太子であるリヒャルトは、王宮の本宮には部屋を持っていない。王太子専用の宮が別に建てられていて、そちらに居を構えている。シャルロッテの住む本宮の王族専用区画からは、渡り廊下で繋がっていて、通常リヒャルトが行き来するのにはそちらを使用している。しかし彼女は、宮を取り巻く森の中の細い道を歩いていくのが好きだった。

「シャルロッテ様、足元、ほら気を付けて――」

「ありがとう、でも大丈夫よ……慣れてるもの」

「慣れてる、とはおっしゃいますが」

 眉をしかめて、ランベルトは小さくため息をついた。

 きちんと手入れをされている森は、道は均されていて歩きやすい。しかし、それでも石が転がっていたり、多少でこぼこしていたりはする。

 ランベルトの注意はもっともなのだが、シャルロッテは頓着しなかった。幼い頃の様に石を飛び越え、軽やかな足取りで進んでいく。

 リヒャルトもシャルロッテも、父がまだ王太子だった時分の子どもだ。つまり、王太子宮は生まれ育った場所である。そして、父が王位についてからも、今度は立太子された兄に会うために足繁く通っていた。が、兄が請け負う政務が増えてからはご無沙汰だ。

 慣れている、というのは嘘ではない。しかし、随分と久しぶりなことも、また事実なのである。

 ちなみに、子どもの頃よく遊んだのは、この先にある王太子宮の庭だ。リヒャルトの遊び相手であったランベルトにとっても、馴染みのある道ではあった。

 懐かしい風景に、シャルロッテはうきうきと歩を進める。そんな王女に苦笑したランベルトは前方に視線を走らせ、あ、と短く声を上げると伸びてきていた枝を払った。危うく当たるところであったシャルロッテが驚いて足を止める。

 若々しい緑の葉ががさりと揺れ、それに驚いたのか小鳥が二羽、飛び立っていった。

「あ、ありがと……ああ、驚かせちゃったわね」

「そのようですね……悪いことをした」

 何気なく、その小鳥の行方を視線で追う。番いなのだろうか、お互いに追いかけ合うようにして飛び去って行くその二羽を、シャルロッテもランベルトも、目を細めて見送った。

「さ、シャルロッテ様」

 ランベルトが手を差し出す。それを、たっぷりふた呼吸ほどする時間見つめて、シャルロッテはそろそろと自分の手を伸ばした。少しかさついた大きな手に、シャルロッテの白くて小さな手が乗る。

「あ、ありがと……」

「いえ、足元だけでなく、周囲にもお気を付けください。もう小さな子どもではないんだから」

 しかつめらしい顔つきをしたランベルトは、それを確認すると、緩く手を握って歩き出した。

 それは、きっと身長が大きくなっている――という趣旨の言葉だろう。確かに、幼い頃なら木の枝など、まだまだぶつかるほどの場所にはなかった。

 ――そうだよ、とシャルロッテは心の中で呟いた。もう、小さい子どもじゃないの。

 だから、こういう何気ない仕草にときめいてしまう。これ以上、優しくしないで欲しい。だって、ますます好きになってしまう。そうすると、後が辛くなるじゃない。

 シャルロッテはランベルトに手を引かれ、今度はおとなしく着いて行く。上目遣いにちらりと伺うと、少し前を行く彼の口元は少しだけ笑っているように見えた。


「トロムリッツ公爵家の夜会ぃ?」

 おおよそ、王女らしからぬ顔つきをしたシャルロッテが、これまた王女らしからぬ声を上げた。

 シャルロッテが通されたのは、リヒャルトの私室である。

 広い王太子宮の中で、王太子の私室は完全なプライベート空間だ。本宮に執務室および応接室を構えているため、宮を訪れるのはそもそもがごく限られた人間だけになる。

 その中でも私室となれば入れるのは身内だけ。つまり、現在ではシャルロッテと両親だけ――あとは、王太子付きの侍従と侍女くらいか。

 きらきらしい王太子宮の中にあって、ここだけは落ち着いた内装に仕上げられていた。クリーム色の壁紙に、飴色になるまで使い込まれた書き物机。ソファもダークブラウンの落ち着いた色調のものだ。若い王太子の部屋としては、少し落ち着きすぎかもしれないが、壁に飾られた数枚の絵と、ソファの上に無造作に置かれた若草色のクッションが雰囲気を和らげていた。ちなみにこのクッションは、何年か前にシャルロッテが作って兄にプレゼントしたものである。

 そのクッションをぎゅうぎゅうと抱きしめて、シャルロッテは唇を尖らせ、不満をあらわにしていた。

「まぁまぁ、シャル――そんな顔をするものじゃないよ」

 にこやかにそう諭すのは、兄であるリヒャルトだ。珍しく部屋に呼んだと思えば、と苦々しい気持ちで兄の涼しい顔を睨みつける。

 久しぶりにお茶会でもしよう、などという兄の言葉に喜んで、ほいほいと来てしまったが、まさかこんな話をされるとは思わなかった。

「……出ないわけにはいかない?」

「さすがにねえ、公爵家の夜会となればねえ」

 微笑みを絶やさないリヒャルトに、シャルロッテは肩を落とした。

「シャルも十六になったでしょう。今回からは、出ないわけにはいかないよ」

「そう、なんだけど……」

 王族の夜会への出席は、公務とは呼べないまでもほぼ仕事の一環と言える。十六歳から社交界への出入りを認められるこの国において、今年十六を迎えたシャルロッテにも、もちろんそれはまわってくる。先日、王太子の名代として出席をしたのが良い例だ。

 それにくわえ、公爵家の夜会となれば、逃げることはできない。

 開け放った窓から、少し生温い、花の香りを含んだ風が二人の間を通り抜けていく。まだ瑞々しい葉をつけた木々が、その風にさわさわと音を立てた。

 その様子を眺めながら、シャルロッテが口を開く。

「トロムリッツのおじさまには良くしていただいているし、出るのは全然嫌じゃないのよ」

「うん」

「でも――おじさまのところの夜会なら、来るでしょう?」

 誰が、とは言わなかったが、リヒャルトは察し良く頷いた。まあ、当然といえば当然なのだが、現在三つある公爵家のうちの一つが開く夜会である。同格の家柄であるエーミールもまた、ほぼ間違いなく出席する。そして、きっと例の運命の女性、コルネリア嬢とやらを伴ってくるはずだ。

 これまで、何度か小さな夜会に顔を出したが、エーミールとはかち合わなかった。つまり、あの噂が立った舞踏会以来初めて顔を合わせることになるわけだ。そして、おそらくそのエーミールとも挨拶を交わさねばならないだろう。

 正直なところ、気乗りしないどころの騒ぎではない。あの従兄殿が今度は何を言いだすかと思うと、頭痛がしそうな気持ちである。

「いつも通り、ランベルトを連れて行くと良いよ」

「そ、それです! 兄さま何を考えてるの?」

 立ち上がり、どん、と机を叩かんばかりの勢いのシャルロッテに、リヒャルトは最初から全く変わらない笑顔で答えた。

「もちろん、いつだって僕は可愛い妹の幸せについて考えているよ?」

 そういうことじゃない。シャルロッテは膝から崩れ落ちた。

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