失恋王女、めちゃくちゃな作戦を実行させられる(4)
「これ、シャルロッテ様はお好きでしたよね」
王都の一等地に店を構えるヤンセン菓子店の袋を掲げて、ランベルトはにっこりと微笑んだ。
ふんわりと、いい匂いが漂ってくる。ピンときて、シャルロッテは思わず伏せていた顔を上げた。これは、おそらくヤンセン菓子店自慢のアップルパイだ。季節限定の上、数量限定、ということもあって、手に入れるのはなかなか難しい。
「す、好きっ……!」
飛びつくようにして袋を受け取ると、シャルロッテは目を輝かせて中を覗き込んだ。
箱を開けると、匂いは格段に強くなる。思った通り、中には薔薇の花を模したアップルパイが鎮座していた。琥珀色の林檎の実と、赤い皮のコントラストが神々しい。
「ふわぁ……」
見て良し、嗅いで良し、食べて良しの三拍子。王家お抱えの料理人にさえ再現できないと言わしめた逸品を目の前にして、シャルロッテはすでに蕩けそうになっている。
それを眺めて、ランベルトは満足げな表情を浮かべた。
「さ、お茶にしましょうか。ああ、クラーラ、きみたちの分ももちろん」
そう言って、ランベルトはもう片方の手に提げていた包みを渡す。それを見て、今度はクラーラが目を丸くした。
「あ、あら……お気遣いいただきありがとうございます」
「その代わり、といってはなんだけど……」
なにごとかクラーラに耳打ちして、ランベルトは片目をつぶって見せた。口元を緩めながらも、仕方ない、という顔をして、侍女はこくりと頷く。
スヴェンがいれば「俺とだいぶ扱いが違わない?」と憤慨したに違いないが、そこは普段の行いの差というものだろう。
アップルパイに夢中になっていたシャルロッテは、そのやり取りに全く気が付いていない。その間に、ほくほく顔で包みを抱えたクラーラは、一旦控えの間に姿を消した。しばらくして戻った彼女の手元にあるワゴンの上を見て、シャルロッテが不思議そうな顔をする。
「あら……? やだ、クラーラ、折角だからあなたも――」
「いえ、私どもの分はいただきましたので。こちらは、ランベルト様とお二人でどうぞ」
え、と呆気にとられたシャルロッテを尻目に、手際よく紅茶を淹れたクラーラが一礼して下がる。
薄紅色の部屋に、シャルロッテとランベルト、そして湯気を立てる二客のティーカップを残して。
さくっ、とパイを切り分けるかすかな音がしんと静まり返った部屋に響く。行儀悪くローズピンクのクッションを弄びながらも、シャルロッテの視線はパイに釘付けだ。
いや、意識してパイを見ていないと、気まずさに耐えられない。シャルロッテは、全神経を集中して、美しい薔薇の形をしたアップルパイを見つめている。
「さぁ、シャルロッテ様、どうぞ」
「あっ……ありがとう」
ぎくしゃくと返事をして、シャルロッテは目の前に置かれた皿に集中した。そうでないと、とてもじゃないが正気を保っていられそうにない。
何のご褒美――いや、何の罰ゲームなのだろう。馬車の中で大接近したのは、つい一昨日の話だ。昨日は非番だったランベルトとは、あれ以来初めて顔を合わせるわけなのだが。
面映ゆいとか、照れくさいとか、彼が来るまでは色々と煩悶していたはずなのに、お菓子一つで飛び上がって喜んだ挙句、今度はその相手と二人きりでお茶をする、とは。
大きく切り分けられたパイを目の前にして、シャルロッテは小さくため息をついた。もしかして、意識しているのは自分だけなのではなかろうか。そりゃそうか。あんなの、ランベルトからしたらよくあるハプニングの一つだろう。しかもこんな、九つも年下のおこちゃま相手に何を思うことがあろうか。自虐的にそう考えて、その考えにまた落ち込んでしまう。
「いただきまーす」
少し不貞腐れた気分で、シャルロッテはパイを口に運んだ。たっぷりとした甘みと、そのなかにある仄かな酸味。さっくりとしたパイ生地と甘さを控えたカスタードクリームがりんごの旨味を後押しする。
その一口だけで、シャルロッテの頭の中からはすべてが消えた。んん、と目を細める彼女を、ランベルトが微笑みながら見守っている。
「おっ、おいしい……っ」
「それは良かった」
少し小さめに切り分けたパイを、ランベルトも口に運ぶ。ん、と軽く目を見開いた彼もまた、シャルロッテと同じように感嘆の声を上げた。
「うん、うまい……。並んだ甲斐があった」
「え、ランベルトが並んだの?」
「ああ――まあ、時間がありましたので」
時間から考えて、ランベルトは騎士隊服姿で行列に並んだに違いない。ヤンセン菓子店は、王都の一等地――つまり、王都の目抜き通りの中でも、王宮に近い位置に店を構えている。
そこに並んでいるのは、おそらく女性ばかりだっただろう。その中に一人、騎士服姿のランベルトが並んでいるところを想像して、シャルロッテは思わず噴き出した。
「あ、ごめんなさい、笑ったりして。だって、その姿で列に並んだところを想像したら、つい」
「ま、そこそこ恥ずかしかったですが……シャルロッテ様に喜んでいただけたので、チャラですね。また並んでもいいくらいだ」
さくり、とまたフォークにパイを刺したランベルトが、それを口に運ぶ。さすがに男性らしく、あっという間に皿の上が綺麗になってしまうのを、シャルロッテはどぎまぎしながら眺めていた。
ちなみに、それでもアップルパイはしっかりお代わりをした。
「最近、ランベルト、おかしくない?」
「ランベルト様が、ですか?」
就寝の準備をしていたクラーラが首を傾げる。はて、と言いたげな侍女に、王女はさらに言い募る。
「やたらと何か、貢ぎ物を持ってくるし」
「姫さま、あれはプレゼント、と言うのですよ」
クラーラにたしなめられて、シャルロッテは行儀悪く寝台へ寝転んだ。赤交じりの金の髪が、シーツの上にふわりと広がる。
まだ駄目ですよ、と体を起こすよう促されて、シャルロッテはしぶしぶ起き上がった。鏡台の前に座ると、クラーラが柔らかい髪を丁寧に梳いてくれる。
「アップルパイに始まって、新作のクッキーだとか、タルトだとか……およそ、ランベルトらしくない、と思わない?」
「それだけ姫さまのことを気にかけてくださっているんでしょう」
「……小さい子におやつを持ってくる感じに似てるわよね」
くすり、とクラーラは口元に笑みを浮かべた。
「ひねくれものでいらっしゃること」
寝ている間に絡まないよう、梳いた髪を今度は緩く三つ編みにしていく。できましたよ、と声をかけられて、シャルロッテは鏡越しのクラーラにむけて唇を尖らせた。
だって、おかしいじゃない。
口には出さず、シャルロッテは心の中でそう呟いた。
ランベルトは、本当は恋人じゃない。恋人「役」だって、クラーラだって知っているはずだ。
恋人役なら、人目に付くところでだけ優しくしてくれればいい。こんなことをされたら、まるで本当に――。
ずきん、と心が痛む。
そんな都合の良い話、転がっている訳はない。今年二十五になるランベルトからしたら、九つも年下の自分など、対象外だ。
恋人役も、噂が下火になればお役御免となるだろう。そうしたら、シャルロッテは再び「失恋王女」と言われるのかもしれない。
今度は、正真正銘、本物の「失恋王女」だ。
いや、もしかしたらその頃には、シャルロッテにも縁談が――王女にふさわしい、政略結婚の相手が決まっているかもしれない。
そうしたら、今度は恋人と引き裂かれた哀れな王女になるのだろうか。
どちらにしても、あんまり明るい未来じゃないな。
兄は、一体何を思ってこんな計画を立てたのだろう。今更そんなことを考えながら、シャルロッテはうとうとと、眠りの中に落ちて行った。
「おやすみなさいませ。……あまり、考えすぎないことです」
灯りを吹き消したクラーラは、小さくそう呟くと一礼して部屋を出て行った。
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