失恋王女、めちゃくちゃな作戦を実行させられる(3)

 シャルロッテ様、と呼ばれるのは、なんとなくくすぐったい。そう呼ばれるのは、子どもの頃以来だ。

 ふう、と息をついて、シャルロッテは過去に思いを馳せる。

 護衛騎士になって以来、ランベルトからの呼称はだいたい「殿下」であって、リヒャルトが傍にいる時は「シャルロッテ殿下」であった。単に「殿下」だけではどちらかわからないからである。

 少しでも親し気な方がいいんじゃない、とその呼び方を提案したのはスヴェンである。どうも、この計画――計画と呼ぶには少々杜撰な気がする――において、リヒャルトから細かい部分は任されているらしい。兄も適当なことである。

 そのスヴェンは「ランベルトに任せておいたら、ただの主従関係にしか見えませんから」と笑っていたが、確かにまあそうだろうなとは思う。

「……テ様、シャルロッテ様?」

「ふぁい!」

 ぼんやりと物思いに耽っていたシャルロッテは、声をかけられて飛び上がりそうになった。そんな彼女を、声の主、ランベルトが目を丸くして見つめている。

「あ、ご、ごめんなさい。なにかしら」

「あ、いえ……なんだか、ずいぶんぼんやりされていたので……まだお酒が抜けていないのかと」

 飲みますか、と水の入った筒を掲げて問うランベルトに、シャルロッテは首を振った。

「ありがとう、でも今は良いわ。別に酔ってはいないの」

「そうですか。必要でしたら、いつでも仰ってください」

 こくん、と頷いて、シャルロッテはカーテンの隙間から外を覗く。夜の街中は、街灯が灯されており、未だ行きかう人々の姿がある。

 ――結局、あれからシャルロッテは三度ダンスを踊った。

 一度目は、主催のバルテン侯爵。次に、その嫡男アハッツ子爵。そういえば彼は、そろそろ侯爵位を受け継ぐらしい。バルテン侯爵はすでに五十近いため、領地に戻って隠居生活に入るのだとか。

 そして、三度目はランベルトと。もう二回も踊ったのだし、いいかと思っていたのだが、パートナーから申し込まれては断るわけにいかない。珍しく強引なランベルトに、シャルロッテは首を傾げたものだった。

 そうして、ダンスが終わるとランベルトはそのままシャルロッテを連れ、バルテン侯爵に退出の挨拶までしてしまったのである。

 目を白黒させるシャルロッテを馬車へと押し込んで、次いで自分も乗り込んだランベルトは、それからしばらくのあいだむっつりと黙り込んだままであった。そうすると、なんとなくシャルロッテも口を開きにくい。

 人々が行きかう時間であることもあって、馬車はそれほどスピードを上げられず、王宮までの道のりはやけに長く感じられた。

「……あなたも、今日は疲れたでしょう」

 ランベルトが黙り込んでいたのは、慣れない仕事のせいかもしれない。シャルロッテにしても、兄の名代を務めるのは初めてだったし、その場で恋人役など務めなければならなかったのだから。

 そう思った彼女が声をかけると、彼は目を瞬かせた。

「あ、いや俺は――いえ、私は別に……」

 一瞬、素の口調になりかけたランベルトが首を振る。慌てたように手をパタパタさせるのが面白い。

 その姿に、ふと思いついて、シャルロッテは口を開いた。

「そういえば、その口調。いいんじゃない、少しくだけた方が」

「は?」

「だから、その……ほら、折角名前で呼んでもらうようになったわけだし……いつまでも硬い口調じゃなくてもいいんじゃないかなーって。あと、その……態度も」

 目を丸くしたままのランベルトが、シャルロッテの顔を見つめたまま動かない。ちょっとした思い付きだったが、そんなに変なことを言っただろうか。

 ただ、こうして恋人役をしてくれるようになってからずっと、昔のような気安い口調や態度が出ることがほとんどなくなっていて、ちょっと寂しいなと思っただけなのだ。

 余りにも凝視されて、シャルロッテはなんだかだんだん恥ずかしくなってきた。耐えられなくなって視線を逸らそうとした時、ふっとランベルトの口元が笑みを刻んだ。

「そう、ですね。ちょっと力が入りすぎていたかな」

 そう言うと、ランベルトは固めて流した髪に手を差し入れ、少しだけくしゃりと乱した。ついでにこきこきと肩を鳴らし、背後のクッションに寄り掛かる。

 ふ、と息をついたその姿が――あまりにも色っぽい。

 どきん、とシャルロッテの大きく心臓が跳ねた。

「……どうしました?」

 ひええ。シャルロッテは心の中で白旗を掲げた。

 少し疲れをにじませたランベルトの声は、背筋がぞわっとするほどに色気がある。そんな、良い声で喋らないで欲しい。自分で提案したことながら、とんでもないことをした気分だ。

 慌てて逸らした顔を、どうしたことかランベルトが身を乗り出して覗き込んでくる。うっすらと微笑みを浮かべた顔が迫ってきて、シャルロッテの心拍数はぐんぐん上がった。

 こいつ、自分の魅力をわかっていてやってるんじゃないだろうな。ぐぬぬ、とシャルロッテが歯を食いしばったとき、突然馬車ががたんと大きく揺れた。おそらく、道に落ちていた石に車輪が乗ってしまったのだろう。

「ひゃっ」

「わ……っ」

 思わぬ衝撃にぎゅっと目を閉じたシャルロッテの耳元で、どん、という大きな音が聞こえた。一瞬だけ、何かが鼻先に触れる。なにか、ちょっと湿ったものが。

「あ」

 こぼれた声に震わされた空気までが、感じられて――シャルロッテは恐る恐る目を開けた。

 そこにあったものを見て、ひゃあ、と声を上げかけたシャルロッテは、なんとかそれを飲み込んだ。

 目の前に、ランベルトの顔がある。

 どん、という大きな音は、体勢を崩した彼がシャルロッテの背後にとっさに肘を当て、身体ごと飛び込むのを回避したために出たらしい。痛みを堪えているらしい彼の顔は、なぜか少し赤みを帯びている。

 大丈夫か、と尋ねたいのに声が出ない。ランベルトの蒼い瞳が、じっとシャルロッテの若草色の瞳を見つめているせいだ。吐息さえ感じられそうな距離で、二人はただ黙ってそのまま動けずにいた。

 呼吸が苦しい。息がうまく吸えない、吐けない。ようやく呼吸の仕方を思い出して、お互いに息をつこうとした瞬間、馬車が止まった。

 遠慮がちにノックされた扉の向こうから、御者が恐る恐る声をかけてくる。

「大変申し訳ございません。石に乗り上げてしまったようで……そのぉ、何か大きな音がしましたが。お二人とも、何ともございませんか……?」

 その声に、ランベルトが弾かれたように顔を上げた。慌てて体を起こすと、外へ向けて言葉を発する。

「大丈夫だ……殿下も大事無い。驚かせて済まなかった……出してくれ」

「かしこまりました。もうじき到着いたしますので……」

 ゆっくりと馬車が動き出す。ランベルトは静かに座席に座りなおすと、今度は窓の外を眺めている。王宮までもうじき、と言われたのに、再び沈黙が支配した馬車の中で、シャルロッテには到着までの時間がことさら長く思えたのだった。

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