失恋王女、めちゃくちゃな作戦を実行させられる(2)
――いつから彼の事を好きだったのか、シャルロッテにもよくわからない。
ただ、気が付いた時にはもうそうだった、としか言いようがない。
ずっと近くにいた異性だから、というのなら、スヴェンだって条件は同じはずだ。だが、シャルロッテの心の中は、いつの間にか黒髪の騎士の姿でいっぱいになっていた。
「はぁ……」
髪をいじりながら、ぼうっとした顔でため息をつく。ここに、あの手が触れたのだ。目を閉じると、あの時の彼の顔がすぐに思い浮かんでくる。
「尊い……」
最近流行だという言い回し、理解できなかったが今ならできる。シャルロッテは、しみじみと噛みしめた。
「ランベルトが帰ってからずーっとその調子ですね、殿下」
「わひっ⁉」
突然声をかけられて、シャルロッテは王女にあるまじき声を上げた。振り返ると、茶髪の護衛騎士がにやにやと笑っている。
「んもう……驚かさないで」
「いや、実を言うとちょっと前から何度かお声をかけていたんですが」
気付けば、窓の外はすっかりオレンジ色だ。目をぱちくりさせて、シャルロッテはスヴェンを見上げた。彼の口元は、にんまりと弧を描いている。
「名前を出すだけでこの反応。いやあ、いいですねえ」
「そんなことはありません!」
ぷい、と顔を逸らしたシャルロッテの耳に、スヴェンの愉快そうな笑い声が聞こえた。どうやら、またからかわれていたらしい。もう、と小さく呟いて、シャルロッテは護衛騎士の頭を小突いてやった。
ああ、視線が痛い。
シャルロッテは、思わず自分の首筋をさすった。こうしてランベルトと連れ立って歩くようになってから、周囲の視線を集めまくっている気がする。型通りのエスコートを受けているだけなのに、背中がむずむずしてしまう。
目的通りではあるはずなのだが、居心地の悪さは禁じ得ない。
対して、隣に立つランベルトはいつも通りの澄まし顔だ。回を重ねるごとに、その振る舞いがだんだん自然になっている。
器用なものね、と小さく呟いて、シャルロッテは他から判らないようこっそり息を吐いた。
「どうかなさいましたか」
むっつりと黙り込んでいるシャルロッテの顔を、ランベルトが覗き込む。心配そうな蒼い瞳と目が合って、シャルロッテの心臓がどきりと大きな音を立てた。
今までは、こうして目が合うことも稀だったのに。
シャルロッテは、小さく微笑むと「なんでもないわ」と首を振って見せた。
こうしてランベルトと行動を共にするようになってから、すでに二週間ほどが経過している。最初の内こそ、片思いの相手と今までにない距離感で接することに浮かれていたシャルロッテも、時が経つにつれてもやもやした気持ちを抱えるようになっていた。
初めは隣を歩くこと。
つぎは、視線を合わせること。
そして、その指先が触れること。
公式の場でのエスコートも、私的な時間でのささやかな触れ合いも。どきまぎするのは、シャルロッテの方だけで、ランベルトは涼しい顔だ。
努力の甲斐あってか、エーミールとの噂よりも、ランベルトとの噂の方が、最近は優勢らしい。そうスヴェンから聞かされた時は、快哉を叫んだものだったけど。
「……心臓に悪いわ」
ぽつり、とそう呟く。
ざわざわと喧噪あふれる会場の中、シャルロッテのその呟きは、誰にも聞かれることなく宙に消えた。
今日の舞台は、バルテン侯爵家で行われている夜会である。古くから王家に仕える由緒正しい家系とあって、王太子あてに招待状が届いていたものだ。
しかしながら、忙しい身であるリヒャルトは出席が叶わず、シャルロッテにお鉢が回ってきた。
さすがは侯爵家主催の夜会だけあって、室内には多くの人がひしめいている。豪華なシャンデリアに、品よく並べられた生花。時期を迎えたばかりの薔薇が、瑞々しく芳香を放っている。
主催のバルテン侯爵をはじめとして、主だった貴族たちと挨拶を交わす。なかには、ちらちらとランベルトの方を見る者もあったが、彼はその全てを笑顔で躱していた。なかなかやるな、と密かにシャルロッテは舌を巻く。
「
挨拶の波が途切れ、ふう、とため息をついたシャルロッテに、ランベルトが声をかける。
手を差し出されてそれを取ると、彼はシャルロッテを会場の隅、カーテンの影へと誘った。
「少し、お休みになった方が良い。お疲れでしょう」
小休憩用に、カーテンの陰には椅子が置かれている。初めてそれを目にして、シャルロッテは目をぱちくりさせた。
「へえ、こんなところがあるのね」
「立ちっぱなしは疲れますからね……何か、お飲み物でも取ってきましょうか」
「いいわ、ここにいて」
あいにくと、挨拶の途中勧められるがままに飲み物を口にしていたシャルロッテは、お腹がたぷたぷだ。気遣いは嬉しいが、さすがにもう飲めない。
うっかりしていたが、酒の類も飲んだ中にあったらしく、少々頭がふらついてもいた。
「ランベルトも疲れたでしょう。横に座る?」
シャルロッテがそう勧めると、わずかに目を見開いたランベルトがぶんぶんと音がしそうな勢いで首を振った。
そんなに嫌がらなくてもいいのに。
ちょっとだけ残念に思いながら、それでも人の目が気にならない場所というのはありがたい。なにしろ、会場入りした時からずっと好奇の視線に晒されていたのだ。
背もたれに身体を預けて、ふう、と息をつく。
「シャルロッテ様、もうしばらくするとダンスの時間のようですよ……今日は、どうなさいますか?」
「うーん……踊っておいた方がいいんでしょうねえ」
カーテンの陰から外の様子を伺っていたランベルトに言われて、シャルロッテは気乗りしないながらもしぶしぶ返事をした。
おそらくは、主催であるバルテン侯爵か、その嫡男であるアハッツ子爵マヌエルに誘われるだろう。面倒だが、これも仕事のようなものである。
兄が来ていれば、公爵夫人か、マヌエルの妻であるカロリーネと踊ることになっていたはずだ。
「よろしければ、バルテン侯爵にはお断りを申し上げてきますが」
「疲れたみたいだからって? さすがにそれはどうかしら」
正直なところを言えば、少々気疲れしている今、断ってもらえるのはありがたい。だが、円滑な人間関係の為にはこういうことは必要なのだ。多少疲れたくらいで、とは思う。
肩をすくめたシャルロッテに、ランベルトは首を振った。
「いえ――私が、シャルロッテ様を他の人間と踊らせたくない、と申し上げてきます」
一瞬、シャルロッテは目を丸くした。ランベルトの口から、ありえない言葉が出なかっただろうか。
見上げたランベルトの顔は、カーテンの影がかかって表情は読めない。ただ、視線だけはこちらを向いているような気がした。
「なっ……なにを」
急激に心拍数が上がる。顔が赤くなったような気がして、シャルロッテは思わず自分の頬を手袋に包まれた手で挟み込んだ。手袋越しでも、熱いような気がする。
ふわっとどこかへ舞い上がってしまいそうだ。ああ、あの、どちらかといえばお堅いランベルトの口からそんなセリフが出るなんて。
「そ、そんなの……いいのかしら……」
どきまぎしながらその提案に乗ろうとしたシャルロッテに、ランベルトは視線を逸らして返答した。
「――と言ってもいい、とリヒャルト殿下とスヴェンが申しておりましたので」
「大丈夫、踊れます」
そりゃそうだ、と落胆しながらシャルロッテはすっくと立ちあがった。舞い上がった気分は、すでに地の底まで落ちている。
「そ、そうですか……?」
どことなく力のないランベルトの声を背に、シャルロッテは再び会場内へと戻ったのだった。
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