失恋王女、対決する(3)
こうして男二人がにらみ合っていれば、おのずと周囲の視線を集めてしまうものである。それが、いま最も旬な噂の主であるとなればなおさらだ。
注目を集めていることに気付いて、シャルロッテはもう一度ランベルトを小突いてみた。しかし彼からは、余裕たっぷりの笑顔が返ってくるだけである。こちらは心臓が口から飛び出しそうだというのに、まったく憎たらしい――いや、頼りになると言うべきだろうか。さすがは騎士、肝が据わっている。うっかり惚れ直してしまいそう、と一瞬思って、シャルロッテは慌てて心の中で首を振った。そういう場合ではない。
なんとかして離れよう、ともがいてみたものの、しっかりとホールドされた腕はシャルロッテごときの力でどうなるものでもなかった。表面上はにっこりと微笑んでいるが、内心では嵐が吹き荒れているシャルロッテである。
一方、外で暴風雨が吹き荒れたような顔をしているのはエーミールのほうである。まあ、それもそうだろう。
自分のことを好きだったはずの王女が、その噂が広まるや否や恋人を引き連れて、その仲睦まじさをアピールして歩いているのだ。自ら噂を吹聴して回っていた彼としては、立場がないもいいところ――ということに思い至って、シャルロッテは遅まきながらようやくランベルトの狙いに気が付いた。
そうだった、見せつけるのが目的だった。
ならば、シャルロッテはここで気まずそうな顔はしてはならないわけである。元々エーミールとの間になにもないことをアピールするための恋人役なのだ。
そうとなれば、なるべく仲睦まじく見えるように振る舞わなければ。
シャルロッテは、無駄な抵抗を辞めると、大人しくランベルトの腕の中に納まっていることにした。多分その方が、恋人同士っぽく見えるのだろう。
「まあ、にいさま――どうなさったの? 怖いお顔。お隣の方が怯えているわ」
どっくんどっくんと鳴る心臓をどうにか宥めながら、シャルロッテはできる限り余裕のある声音を作るとそう切り出す。
「え、あ……ああ、すまないコルネリア」
視線だけで人を殺せそうな顔をしていたエーミールが、はっとしたように傍らのチョコレート色の髪を振り返る。手を差し伸べて、近くへと引き寄せると――ランベルトに対するライバル心だろうか。その腰に手を回し、さらに身体を密着させる。
「え、エーミール様……っ」
困惑する彼女に構わず、エーミールは得意げにシャルロッテにむかって口を開いた。
「紹介するよ、我が運命の女性――コルネリア嬢。バールケ子爵家のご令嬢なんだ」
「……コルネリア・フォン・バールケでございます……あの、このような格好で失礼を……」
エーミールにしっかりを腰をホールドされているせいで、礼が取れないことを気にしたのだろう。真っ青な顔で、震えながら挨拶をするコルネリアに、シャルロッテは笑顔で頷いて見せた。
「エーミールにいさまのせいですもの、気になさらないで」
「ああ、コルネリア……きみは慎み深い女性だからね、そう、悪いのは僕だ。気にしないでくれ……もちろん、シャルロッテだって気にしないさ、そうだろう?」
気にしないって言ったぞ、とシャルロッテはエーミールに白い目を向ける。それには気付かなかったのか、あえて無視したのか。芝居がかった口調でそう言うと、エーミールはことさら愛し気にコルネリアの髪を撫で、得意げにランベルトの顔を見た。さすがにお前には、ここまでは無理だろう――と顔に書いてある。その割には、彼女の青ざめた顔には気が付いていないらしい。誠に残念なことである。
それはそれとして、こちらも何かアピールせねば。そんなことを思いながら傍らの騎士の顔を見上げる。するとそこには、予想していたより柔らかい光を浮かべた蒼い瞳があった。どきん、と大きく心臓が跳ねる。
常よりも甘い視線をシャルロッテに注ぐ彼の、その口元がゆっくりと弧を描いた。
「もちろん、シャルロッテ様はそのようなささいなこと、気になさいませんとも」
ねえ、と耳元に吹き込むように囁かれて、シャルロッテは顔を赤くした。あまりの不意打ちに、こくこく、とぎこちなく頷いて、コルネリアに微笑みかけることしかできない。
それでも、いくらかほっとしたような笑顔を浮かべたコルネリアの姿には胸をなでおろした。それと同時に、エーミールの気遣いのなさにはげんなりとした感情が沸く。
本当に、この従兄が初恋の相手だったというのは、黒歴史もいいところだ。そもそも、十にも満たないような子どもの憧れにすぎない。初恋とも呼べないのではないだろうか。
実に自分に都合よく解釈をして、シャルロッテは従兄に対する自らの感情をさらに引き下げた。
しかし、そうすると――。
シャルロッテは考え込んだ。それでは、自分の初恋の相手は誰だろう。エーミールでないなら、それは。
「シャルロッテ様、そろそろ」
「ええ、わかったわ」
一瞬物思いに沈みかけたところに声をかけられてシャルロッテは顔を上げた。そこにあったのは、いつもと少し違う、柔らかな表情のランベルトの顔だ。
「あ、え……⁉」
それを認めた瞬間、ぶわ、と顔に朱が上る。そうだ、とシャルロッテは気が付いた――気が付いてしまった。
彼が、シャルロッテにとって初恋の――本当の意味での初恋の相手だ、ということに。
「……シャルロッテ様?」
「え、ええ……そろそろ、そろそろよね、うん」
急に挙動不審になったシャルロッテに、ランベルトが不審そうな視線を向ける。それを避けようとして、今度はエーミールと目が合ってしまう。なんとか誤魔化そうと、シャルロッテは彼に向けてひきつった笑みを浮かべた。
すると、エーミールは何を思ったのか、突然こんなことを言い出した。
「ああ、シャル――先日は踊れなかったから、今日は一曲……」
「あ、お断りします」
思わず素の口調で断ってしまい。シャルロッテは「あ」と口をおさえた。ひくり、と今度はエーミールの顔が引きつる。
「シャル――」
「申し訳ありません、エーミール様」
動揺したシャルロッテをかばうように、ランベルトが一歩前に出た。申し訳ありません、という割には、まったくそんなことを思っていないのが丸わかりの口調だ。
「今日は、シャルロッテ様のダンスのお相手は私だけ、とお願いしているので」
ざわ、と周囲の空気が揺れる。
はっとして、シャルロッテは周囲に視線を走らせた。途中からすっかり忘れていたが、それなりに注目を集めていたのだった。
にっこりと微笑むランベルトと、頬をひくつかせるエーミール。二人の顔を見比べて、シャルロッテはそっとため息をついた。
おそらく目的は果たせたのだろうが――今後、どういう噂が飛び交うか。考えただけでも頭が痛いシャルロッテの隣で、ランベルトは満足そうに笑っていた。
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