第十四話 ハイヒールの音

道を歩いている人が消えるということは以前にもあったそうだ。

 九段さんは変わった趣味を持っていて、夜眠れないときなどに深夜徘徊をするのだという。住んでいるところは閑静な住宅街で、昼間でも人通りは少ないのだが、深夜ともなれば完全に人の気配が消える。

 大通りにも車は絶えて、まるで世界に自分一人だけになったみたいな気分で、かなりの解放感があるのだという。

 ある晩の深夜一時頃のことだ。いつものようにほてほてと家の周辺を散歩し、そろそろ帰ろうかなと元来た道を引き返していると、大通りに続く角から、背の高い女性が現れた。ヒールを履いているのだろう、コツコツコツと鋭いソールがアスファルトを叩く音がする。

 九段さんはただの散歩だからと部屋着のまま、髭も剃らずに出てきたため、ぱっと見は不審者全開だった。しかし、女の人を怖がらせるのはよくないな、と追いつかないような速度で後ろを歩いていた。

 コツ、コツ、コツ、コツ……規則正しい音が夜の住宅街に響く。

 ふいに、寒気がして九段さんはくしゃみをした。

 突然、ヒールの音が止んだ。

 見つからないようにしていた手前、九段さんは、やべ、と思って慌てて前を見た。

 すると、女の人がいなくなっていた。

 次の角まではそう遠くないとはいえ、その一瞬で曲がるのは無理そうだった。

 全力で走り去ったなら、足音は歩く時より大きく響くだろう。

 家に入ったのであれば、ドアの開閉音がするはずだ。

 時間も時間だったから、気味が悪くなった九段さんは逃げるように家に帰ったという。

「一個あるとすれば、俺がくしゃみした瞬間に靴を脱いで走り去った、くらいかなあ……まあ、そんな変なことしないだろうけど」

 九段さんはそんなことを経験しても、たまに夜の散歩に行くという。

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