第64話 Ace of Aces

 雲の上。

 抽象的過ぎる程、広いその場所はたった二機だけの空と化していた。


 シュワルツは銀翼のフルクラムの特異な外見に気が付いていた……以前のフルクラムとはほんの少し違う、高機動試験型OVTだ。


 対するシュワルツの赤色のラファールと比較すると、通常型のフルクラムはラファールよりか僅かに格闘戦性能で劣っているが、OVT型であればラファールを凌駕する。電子機器等の総合的な能力差で比べると互角程度になるが……シュワルツには分かった、これはグランニッヒが本気でやるという意思表示だ


 シュワルツの脳裏に刻まれている教官としてのグランニッヒの軌道を遥かに凌駕している。恐らくは、彼自身の全盛期すらも。


<missile! missile!>


 感傷に囚われている暇なんてない、グランニッヒが放ったミサイルがシュワルツに向かって一直線に飛んでくる。シュワルツは今まで経験してきたミサイルの挙動を脳裏に描き、尚且つ妨害弾フレアと電子ジャミングを併用し何とかそれを回避する。

 が、それすらも予想されていた。シュワルツが回避したそこに間髪を入れず無誘導ロケット弾が撃ち込まれた。


 本来は地上の静止目標を狙う筈のロケット弾を時速1000kmで動き回る戦闘機に狙いをつける、正気の沙汰ではない。だが、シュワルツは何時しかの学んだ技術、エアポケットを用いた機動で回避、逆にグランニッヒの機体をコンマ1秒程度だけ射程に収めた。

 そして、命中した。

 撃墜には至らなかったが、グランニッヒのフルクラムは薄く黒煙を引いていた。


<……やはり、ミサイルでも、ロケットでも堕とせないか。

 でなければ失格だ、私が見込んだパイロットなのだからな。ならば、これでどうだ?>


 だが、グランニッヒは翼に装備した兵装を全て投げ捨て、身軽になった状態で向かってくる。逃げる素振りも恐れる素振りもない。ただただ思うがままに飛んでいる。

 再び、両機が雲を引き裂きながら、空で喰らい合う。


 教官とその教え子……そんな感傷を無視して、エースパイロットとしてのシュワルツの脳裏は忽然と空戦の行く末を計算し続ける。

 ロール、スライスバック、ループ、ダイブ……。

 そして、結論に辿り着いた。

 シュワルツは、秘匿無線を開いた。


「……グランニッヒ・ハルトマン少将、降伏を。

 勝敗は着きました」


<はっ、何を言うか。私は負けてなどいない。

  今の私は全盛期にも匹敵している。それに此処は連邦の空だぞ?

 さぁ、来い>


「わかっている筈です、教官! 

 ……何故、自分達が殺し合わなければならないのです?

 自分はあなたの背中を追ってきました。ですが……! 貴方の背中に銃口を向けたいと思ったことは一度もありません!」


 シュワルツの慟哭で、空戦は小休止を迎える。

 だが、グランニッヒから返ってきた返答は穏やかなものだった。


<ずっと並走を続けるかけっこが何処にあると言うんだ?


 シュワルツ、どうであれ、人の人生は終わる。

 連邦の歴史も、この戦争も、その先の平和も、いずれは終わってしまう。

 だが、この空だけは続いていく。空には英雄が必要なのだ。


 今度こそは皆を導ける英雄を見つけ、本当にそれほどのパイロットかを確かめさせてもらう。

 これが私の見出した最期の使命だ。

 手加減はしない。来い、シュワルツ。

 お前なら、この歴史に終止符が打てる筈だ>


「……了解、教官」


 小休止は小休止だった。

 雪の降る空の中、機内からは分からないが酷く寒いのだろう。二機が再度向かい合う。

 兵装を投げ捨てたフルクラムは先程よりも一段と素早い動きでシュワルツのラファールに迫る。

 ラファールも兵装を投げ捨てた。まるで迷いを捨てるかのように。

 機動性を増した二機は、接近戦と言うよりもぶつかり合いのような空戦を続ける。

 どんな人間が見ても、その二人に隙など無かった。

 しかし、そんな空戦にすらも終わりというものはあった。


 彼らの空戦は雲の遥か上で迄達した。

 グランニッヒの全身全霊の旋回に対し、シュワルツも同じく応える。

 戦闘機の機動性能自体にはグランニッヒに分があったが、エンジン性能自体は設計の新しいラファールに分があった。

 その僅かな燃焼効率の違いが、旋回後にシュワルツに一瞬の射撃機会を与えた。

 シュワルツは迷わなかった。

 二機が交錯する直前、引き金を引いた。

 この結果は、シュワルツの思い描いていた通りの結果だった――彼は教官を越えていたのだ。


 グランニッヒの駆るフルクラムが遂に、今度こそは確かな黒煙を噴いた。


 疑いのないような撃墜だった。


<今の爆発はどっちのだ!?>


<……銀色の翼が落ちたのが見えた、負けたんだ……>


<嘘だ、連邦の英雄は負けたのか?……俺達は負けたのか?>


 下から聞こえてくる無線を聞いて、シュワルツはようやくグランニッヒの真意を知った。

 ただ、この空で起きた空戦には一切の茶番は無かった。


<……シュワルツ、聞こえるか?

 私は英雄などでは無かった。


 多くの人間がお前の飛行を憎んで、嫉妬して、そして希望を持ち、誰もが憧れた――私もその大勢の一人に過ぎなかったのだ。


 さらば、先により高みの空へ行く>


 そして、グランニッヒのフルクラムは雲の中に消え、爆発した。


「……自分も貴方に憧れた大勢の中の一人です。

 お達者で、教官」




 ◇




 連邦の英雄の死。


 その効果は絶大だった。


 空戦の下にいた兵達から残っていた僅かな戦意を奪い、既に嫌気がさしていた連邦兵達へとなだれ込むように伝播していった。


 かくして、この日、戦争は終わった。


 そして、アルタイル連邦も崩壊した。


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