第32話 理由

 


 しんしんと雪が降る雪山の中、彼らはお互いを確かに認識した。

 孤児であるシュワルツにとっては父親のように慕い、尊敬していたグランニッヒ。

 大国の英雄グランニッヒにとっては、自分の跡を継ぐものとして厳しくも大事に育てて来た息子のような存在。


 間違える筈がない。


 グランニッヒは強く動揺しながらも、こう尋ねた。


「幽霊ではないようだな。

 シュワルツ、生きていたのか」


「……ええ、自分です」


「一先ず、お前が生きていたことを喜ぼう。

 無事で良かった。


 だが――」


 グランニッヒは銃口を向けた。


「その機体の翼には……パルクフェルメ空軍の紋章が描かれている。

 私はお前の教官でもあるが、連邦の軍人だ。




 何故その国旗を掲げて飛んでいる。


 どういうことだ、説明せよ、中尉」


 シュワルツは思わずたじろぐ。

 有無を言わせぬ口調だった。

 老人になるにつれ、鳴りを潜めていたグランニッヒの教官としての顔だ。


 だが、だからこそ、シュワルツは一度外した視線を再度真正面からぶつける。


「あの日の事故は、事故ではありません。

 連邦に、アルフレッドに裏切られました」


 親友に裏切られ、脚を失ったこと。

 世間からの激しい非難、貸家すらも追い出されたこと。

 自殺を考えた時、それを寸前で止められたこと。

 そして、祖国を捨てたこと。


 全てを話した。


 だが、シュワルツの話を聞いてもなお、グランニッヒは険しい表情を崩さなかった。


「それで、どうする気だ?

 ……その戦闘機で、無差別虐殺か?

 復讐の為に、延々と牙をむき続ける気か?

 憎しみのままに飛び続けるか、お前は」


 交差する視線。

 その時、シュワルツはあることを思い出した。

 彼がエースとしての頭角を現してきたときのことだった。



 "成程……シュワルツ、貴様にはそれなりの才能があるようだ。まだ、それなりだがな。"


 "教官、ありがとうございます!"


 "あまり浮かれるなよ、ヒヨッコ。


 で、毎日、毎日、徹夜で座学にも励み、制限時間ぎりぎりまで狂ったように飛行訓練を続けて、馬鹿馬鹿しくないのか?


 お前の同期達は女や夜遊びに夢中になっているというのに"


 "……自分はただ飛びたいだけです。

 飢え死にしそうだったガキの頃は、戦闘機パイロットになりたい一心で腐らずに生きて来れました。

 不自由だったけど、夢があったからここまで来れたんです"


 だから――。


「自分は自由に空を飛びたいだけです。

 そして、誰かに夢や希望を見せてやりたい。


 こんな理由では、駄目でしょうか?」


 奇しくも、記憶に残るその時と同じ回答をした。

 グランニッヒが何か言おうとした時、彼の無線に通信が入った。


<――少将閣下、村に民間人を発見。

 ですが、何かおかしい。

 拷問をして吐き出させますか? それとも援軍を?>


 彼らは見逃してくれ、そうシュワルツが言う前にグランニッヒはこう返した。


「放っておけ。

 もしも、民間人だったら面倒だ。

 逆に変なものを探し出しても面倒だ、放っておけ」


<ですが――>


「どうせ、上も煩わしい我々に戦果など期待してないさ。

 少将という私が目障りで仕方ないのさ。

 ならば、お望み通り、精々だらだらするとしようじゃないか」


<り、了解……>


 彼は強引に部下を納得させた。

 そして銃を降ろし、タバコを咥え、雪が止んだ空を見上げた。


「自由に飛びたいか……実に馬鹿だが、悪くない答えだ」


 これまた、奇しくもあの時と同じ返答だった。


「教官……彼らを見逃してくれてありがとうございます……」


「これは贖いだ。

 シュワルツ、お前を見てやれなくて悪かった。


 こうして前線に来て分かった、連邦は腐っていた。

 誰もが、戦争をショーか、ゲームだと思っている。

 だが、やってきたはいいものの……私には何一つ変えられそうにない。

 少将という肩書ながら、上層部に気に入られているあの男アルフレッドすら、私にはどうすることも出来ない」


「教官、でしたらあなたも!」


 こちら側へと、シュワルツがそう説得しようとする。

 が、視線を逸らすようにグランニッヒは村の方を振り返った。


「もう、歳をとってしまった。

 私には、お前のように空を求めて敵国に飛んでいけるほどの体力も。

 お役人に間違っていると拳を叩きつけることも。


 そして、今まで培ってきた過去を捨てることは出来ない。

 過去の栄光に、意地に縋って生きて来たのだ。

 しかし、こんな私にも着いてきてくれる若者たちがいる。

 連邦の闇を知らず、自分達が立派な兵だと純粋無垢に信じている彼らを見捨てるなどできない。


 これ以降はもう私とお前は敵同士だ……行け、シュワルツ。

 さらばだ」


 背を向け、ゆっくりと自身の部下の元へと歩き出す、グランニッヒ。

 連邦を捨てる、それはそこの英雄である恩師との決別も意味する、そんなことシュワルツにだってわかっている。

 だが、シュワルツはその背中に疑問を投げた。

 どうしても、教えて欲しいことがあったのだ。


「最後に一つだけよろしいでしょうか、教官!


 ……俺は尚も憎しみを捨てられていません。

 アルフレッドを赦したくなど無い、連邦への憎しみも消えることは無いと思います。

 それでも自由に空を飛びたい、これからはその身勝手な矛盾にぶつかっていくことになるでしょう。

 自分はどうしたら良いのでしょうか?」


「所詮、善も悪も人間の主観だ。

 せっかく此処に来たんだ、思う通りに飛ぶがいい。

 迷えばいい。お前の後ろには大勢がいる、彼らがお前の助けになる筈だ。


 何もせずに、私のような愚かな人生を歩むんじゃない。

 お前は魂の命ずるままに、飛べばいい。

 達者でな、シュワルツ」


「……教官も、お達者で」


 ◇


 グランニッヒは少し離れた村まで一人歩く。

 その時、遠くの方で戦闘機のジェットエンジンの音が響いた。

 それから一拍おいて、戦闘機が離陸する爆音が雪山に響いた。


「……良い仲間を持ったな、シュワルツ」


 後ろを振り返ると、ラファールが急上昇し、雲の中へと消えていくところだった。




「まさか、私が見上げる立場になるとはな。


 ……すまない、一つ嘘をついた。

 また、会おうシュワルツ」




 元愛弟子を見守る眼差しは、かつての戦闘機パイロットの眼をしていた。




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