vs イボット3
広げられた糸は飴細工のようだった。
たっぷりの砂糖が溶けたお湯にフォークを掻き入れ、引き上げると、滴る雫が空気に触れて冷やされて、細くて長い糸に固まる。
凡眼には光の反射で白く見えるらしいけれど、その色は限りなく透明、邪眼にはちゃんと見えていた。
そんな透明で、だけど甘くなさそうな糸をイボットは両手を広げ、左右に展開する。
揺蕩う二線、その扱いもまた熟練して見えた。
睨みを効かせ、間合いを図り、そして右手を突き出すも動いたのは左手の糸だった。
音のない横薙ぎ、天気雨と交差して足を薙ぐ一斬りを、パレイドリアは縄跳びよろしく跳んでかわした。
雨と空気抵抗に萎んだスカートが輪切りになるも、その長くてむっちりとした足は無傷だった。
「はぁああ?」
この回避を手応えで感じたらしいイボット、不満の声を上げながらも今度こそ突き出した右手、その手首を捻って返して二撃目を放つ。
対してパレイドリア、着地のタイミング、いくら邪眼で見切れていても足がついて無ければ回避はできず、折れてなくてもサーベルではなびく糸を防げない。
残された手段はザンギャンバリザ、邪眼より流れ出た黒い涙が抑えた右手を流れて膜に、広がって硬質化し、外皮をこさえる。
その強度は不安、邪眼で見るまでもなく薄皮で、これまで見せられてきたイボットの武器攻撃ならば半減すらも難しい。
けれども、それで十分なほど、糸の二撃目は弱かった。
生肌ならば肉にめり込むだろう糸は、だけども外皮は超えられず、防がれ張り付くだけに終わった。
そうさせたのは天気雨だった。
雨粒、その一つ一つは小さいものの、それらをまとめて切れば摩擦は無視できなくなる。ましてや細い糸、質量に対する表面積の難しい話、べったりと張り付いた水が表面張力で張り付けば、無視できないほどに重くなり、その鋭さも太くなれば、半減する。
それでも勢い乗せて振るえば斬撃になるが、突き出した右手から手首の返しだけで飛ばした勢いでは斬撃に届かず、結果は残念だった。
これは、ひとえに環境との相性の問題った。
イボット、如何にその技術が熟達していようとも、その目はあくまで凡眼、空より降り注ぐ雨粒全てを見切ることは不可能、ましてやそれらを避けての斬撃など無駄でしかない。
これが凡眼であったなら、雨粒の反射に紛れて見失っていただろうが、邪眼の前では意味がなく、ただ威力低下させる不利益でしかなかった。
イボットの不運、だけどもパレドリアは幸運とは思えず、複雑な心境だった。
それでも戦いの中、張り付いた糸を振り払い、折れたサーベルをそれでも構え、邪眼を向ける。
対するイボット、避けられたいとと剥がされた糸、共に回収しながらその表情は不機嫌この上ない。しかし口はきつく閉じられ、怒りを内側に貯めこんでいた。
この状況、冷静に見るパレイドリアは接近戦が正解に見えた。
糸、大きく振るって勢い乗せれば十分脅威、その間合いを潰すのが最善手、ならばと判断しサーベル捨てて、今しがたイボットが落としたバスターソードを拾い上げる。
ズシリ、と思い金属の剣、イボットは片手で振るっていたが、乙女なパレイドリアには両手でなんとかの重量、外皮を外して肉体強化に回してようやくサーベルと同じように構えることができた。
対するイボット、なお間合いを離しながらまた糸を広げて、落ちてた武器、バールのようなものとバールをそれぞれ巻き付け、引き寄せて右手左手それぞれに構えた。
どちらも金属製、肘より先ぐらいの長さ、金槌よりも軽い鈍器ながら曲がった先端は尖っていて、当たれば一か所に力が集約して外皮程度なら貫通しそうではある。
観察終わり、改めて向かい合う。
正面正眼、見様見真似の騎士の構え、パレイドリア、邪眼を見開く。
その真ん前へ、自然体で歩いてくるイボット、だらりと下ろした両手から鈍器二つがポロリと落ちると、草に落ちる前に巻き付いた糸に引っ張られて中空で止まった。
そこから降るりと振るわれ、そこから回転、遠心力、ぶん回されて、そして右手左手同時に発射された。
まっすぐ飛来する右手のバール、強烈な一撃、だけれども邪眼なら余裕で見切れる。バスターソード、その切っ先をバールの向かう先、顔面の前に置く。
ぐわぁああああああん!
弾き飛ばされるバール、痺れる両手、欠けた切っ先、それでも一撃目は防げた。
次の二撃目、左手のバールのようなもの、これは右側より大回りに横薙ぎされている。その狙いは先端の打撃ではなく間の糸の斬撃、これまでの糸とは異なり、先に重さがある分、斬撃の威力は跳ね上がっているのが途中で引き裂かれた雨粒で見てとれた。
けれど、斬撃は右からこない。
パレイドリアの遥か後方、巨大な岩を超える長さまで伸ばされていた糸が引っ掛かり、折りたたまれ、時間差で左より来る。
それら全てを邪眼をもって俯瞰視点で見切っていたパレイドリア、その糸が届くより前に前に出てその身に糸が届くより先に先端のバールのようなものへ、バスターソードの切っ先ぶつけて弾き飛ばした。
これで次なる糸も防げた。鈍器も糸も地に落ち、そこから巻き寄せ、勢い乗せての斬撃は時間がかかる。それより先に前へ、先へ、パレイドリアは足を逸らせ間合いを潰す。
……ここで、パレイドリアは見落とした。
奥歯を噛みしめ、空になった両手を真上に粗ぶらせるイボット、それに連動し落ちてた糸が跳ねた。
濡れて鈍り、勢いない飴細工のような糸、その動きは斬撃ではなく蛇だった。
先端の鈍器は持ち上げず、間の糸を弛ませ、波打たせ、輪を作り、左手の糸はバースターソードを捕らえ、そして右手の糸はパレイドリアの首に巻き付いた。
同時二糸の攻撃、斬撃はないとの油断、見逃したパレイドリアはどちらにも対応しようとして、どちらにも間に合わなかった。
ぎゅるり、とバスターソードはもぎ取られ、それを追いかけようと伸ばした右手がぎゅるりと糸が遮る。
そこから引き絞られる糸に、パレイドリアの体は本能に従い素早く動いた。
首の位置、閉まれば断頭か窒息、下がれば頭蓋の輪切り、そうならないよう上に飛び、同時に両手で輪の中に差し入れて広げようと抗う。
けれども絞る力は存外に強く、かつ肉に食い込まないよう外皮に力を回したために一気に負けて、完成したのは両手は肘を曲げ、両手でニセチチを挟んで協調する格好、悲惨な緊縛だった。
これは、まずいですわ。
一瞬にして色々な不味いを脳裏に浮かべながら着地と同時に両手を広げて抗うも、ギリリと縛られた糸は硬く、剥がせない。
そんな姿を見て、イボットが口走る。
「やっとだ。やっと、やっとやっとやっとやっとやっとやっとやっとやっとやっとやっとやーーーっと、引っ掛かった」
壊れたように呟いて、それからひょいと、近くに刺さっていたショートソードを引き抜いた。
「満足だ」
そう言いながら、イボットは縛られているパレイドリアへ、ゆっくりと歩み寄った。
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